小説・自己中恋愛ラプソディ⑮-2完
決断の時は間もなくやってきた。いや、雅史はあのエリと別れた瞬間に思いを決めていたといってもいい。
エリと一緒に生きていきたい。
まっすぐな雅史の気持ちだった。
エリと進む道が平たんでないことは、容易に想像できた。おそらく周囲の人間には受け入れられないだろう。何の罪もない婚約者を捨てる自分は、完璧な悪者だ。
しかも婚約者はごく一般的な常識人であり真面目な性格。結婚したら妻らしい立ち振る舞いをしてくれるに違いなかった。一方、自由すぎるエリに普通の妻を期待するのは難しいかもしれない。正直すぎるエリの性格が、親に受けるかどうかも怪しいところだ。
エリを選ぶことはリスクでしかなく、人生最大の賭けとも言えた。それでも雅史は迷わなかった。
自分の人生に必要なのはエリなのだ。常識的な全てを失ったとしても、それ以上のものを得られる確信があった。
「いいのね? 本当に」
あれから1か月も経たないうちに会ったふたり。エリは小悪魔のような、しかし天使にも見える表情で雅史に問いかけた。
飛び込む覚悟はできていた。「もちろん」
ほっとしたのかうれしいのか、エリは声を上げて笑った。手を広げて背伸びするように、いっぱいに息を吸い込む。小さな街角の公園から世界に向けて喜びを表現するかのようなエリを見ていると、「きっと大丈夫だ」と思えた。それは生涯、雅史にとって忘れられない光景となった。
雅史はエリに向き合った。「エリ、ぼくと結婚してください」
「はい」にっこりするエリ。
雅史はエリの肩に手を置くとゆっくりと静かにキスをした。3度目にして雅史からの初めてのキスは、式を挙げなかったふたりのささやかな結婚の誓いとなった。
その後しばらくは慌ただしい日々が続いた。婚約者に別れを告げると同時に両親への説明、友人たちへ婚約破棄の報告。さすがにエリとの復縁については少し時間を空けることにした。
予想通り、雅史は悪者のレッテルを貼られた。一部の雅史の気持ちを知っていた数少ない友人を除いては。実母はヒステリーを起こし、婚約者の両親からは殺されるかと思うほどの怒りをぶつけられた。自分を愛してくれた婚約者を悲しませたことだけは、雅史の心に暗い影を落とした。
傍から見れば最悪でしかなかったが、エリが横にいることが雅史の心を救った。
しばらく経ってからの結婚後もまた予想通り、エリには振り回されっぱなしだった。雅史の元へ引っ越すため新卒で入社した会社は辞めたエリだったが、間もなく再就職。バリバリと働いていたため家事は分担した。エリは家事分担のルールを決めても自分の都合で無視するため、どちらかというと雅史の方がよく家事をこなしていた。
しかしそんなことも不思議と苦にならない。疲れて帰ってきて家事をするとなるとゲンナリすることもあったが、ソファで仕事着のまま突っ伏して、スヤスヤ気持ちよさそうに寝ているエリを見るとつい許してしまう。
エリが喜んでくれるなら、たまにはいいか、と洗い物などをしていると、その後に気づいたエリが「あ、ごめん。ありがとう」と心からの感謝を向けてくれる。それだけで報われた。
仕事の話もよくふたりでしていたので、エリのひたむきな情熱は雅史を奮い立たせることもあった。しょっちゅうケンカもしたが、それはより良い関係性を築くためのちょっとしたスパイスだった。
しばらく月日が流れた後、風のうわさで元婚約者の話を聞いた。勤めている会社の御曹司に見初められ、幸せな結婚をしたという。過去に分かりやすく雅史に愛を示してくれていた関係を思い出す。当時も幸せだったが、心のどこかで元婚約者に対して「自分はそこまでの思いがないのに、申し訳ない」という罪悪感があった。
エリはというと、元婚約者のように分かりやすいことばもベタベタしてくるような態度もない。かつては「それは自分を愛していないからだろう」と思っていたが、そうではなかった。連絡なしに遅くなっても何も聞いてこないし、雅史の機嫌が悪い時は責めずにさりげなく気遣ってくれる。
本人はといえば、よく分からないがいつも楽しそうにしている。それはエリなりの雅史への信頼と愛情表現なのだと次第に理解した。
元婚約者も、自分以上に、そして本人以上に愛される幸せを手に入れてほしい。雅史はそう心から願った。
***
数年後。
幼い双子が乗ったベビーカーを押す雅史。エリはその横でアイスクリームを食べている。「雅史くん、おいしいよ」と差し出すエリ。
「ありがとう」立ち止まってエリのアイスを食べる雅史。
と、その目線の先には懐かしい元婚約者の姿が見えた。大きなお腹を抱えてゆっくりと歩くのを、夫らしき人が気遣いながらエスコートしている。大事にされているのだろうということは、遠目でも見てとれた。
ぼんやりとしている雅史に「どうしたの?」と聞くエリ。
「いや、なんでもない」雅史はしらばっくれた。
雅史が見ていた方向と雅史を交互に見て、エリはなるほどといった表情をすると「元婚約者さん?」と聞いてきた。
「な、なんでわかったの」察しが良すぎるエリに動揺したが、「いや、幸せそうでよかったなと」それは本心だった。
「よかったんだよ」エリはからっといった。「雅史は雅史の好きなわたしと、元婚約者さんは愛してくれるあの人と結婚した。別れた時はつらかったかもしれないけどね、全部うまくいくんだよ。神の采配なのよ」根拠のない訳知り顔でエリは満足そうにいう。
「そうなのかもね」雅史はそれに従った。
「わたしを選んでよかったでしょ?」
「うん。エリを選んでよかった」
「でしょう」当たり前といわんばかりに、にやりと不敵な笑みを浮かべるするエリ。そして、「ねえ」とからだを雅史の方に向けて顔を上げると、目をつむった。
エリからの事故のようなキスはもうない。ことばで通じない、もどかしい思いを別の形で表現する必要性は、ふたりの間にはもうなくなっていた。
すっかり定番になった合図を受けて、雅史は軽く短いキスをした。
<完>
ほかにも色々書いてますので、よろしければ読んでみてください。
