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朗読動画#7 脱会支援者・牧師・弁護士が信者の親をだましていた!~『“人さらい”からの脱出』最終回


約2年の監禁生活に終止符。ついに脱出に成功した小出医師

#6の続き。
『“人さらい”からの脱出~違法監禁に2年間耐えぬいた医師の証言』(小出浩久著、光言社、初版1996年、改訂版2023年)の朗読動画(本書からの抜粋)の最終回が公開されました。
動画に添えられた説明は次の通りです。


【第7回の内容】
拉致監禁から2年が経とうとするころ、小出氏はいよいよ精神的に追いつめられ毎日悪夢にうなされるようになった。ある日曜日、両親の目が届かなくなった機会を逃さず、小出氏は脱出に成功する。
小出氏は、勤めていた都内の病院を2年ぶりに訪れた。突然の訪問に驚いた病院長は、しばらく言葉が出ないまま、小出氏の手を握りしめ、涙を流し続けた。
ふらっと気ままに出かける散策で目に入る花々、木々、海、そして小鳥のさえずり、そのすべてが言いようのないほど素晴らしかった。小出氏は自由の尊さをかみしめた。


筆舌に尽くしがたい受難の数々~脱会支援者、牧師、弁護士らの天をも恐れぬ悪鬼の所業

1992年~94年にかけて、よくぞ2年も耐えぬいたと思います。小出医師が被った受難は筆舌に尽くしがたいものでした。

  1. 拉致~ウソをついて呼び出し、集団でよってたかって外へ連れ出し、ワゴン車に押し込む。

  2. 監禁~実に7つの監禁場所を転々と移動。拉致・監禁は刑法第220条の逮捕・監禁罪に相当。1991年の時点で「たとえ家族によるものであっても、拘束及び棄教要求は違法」との判決(京都地裁)が出ているのに、反統一教会勢力にはぬかに釘。

  3. 棄教の強要(強制棄教)~「信教の自由」は「思想・良心の自由」と並んで人が生まれながらに持ち、何人たりとも奪うことのできない人権である(天賦人権説)。基本的人権は犯罪などを犯せば一部制約される(例:人身の自由)が、人権は国家といえども制約してはならないもの。にもかかわらず、反統一教会勢力は、信者に棄教を強要し、「棄教しない限り、監禁を解かない」と宣言して監禁を続けた。まさに天をも恐れぬ悪鬼の所業と言うほかない。

  4. 東京高裁が認めた「人身保護請求」を暴力的脱会支援者の宮村峻(たかし)は無視した

  5. 監禁現場にやってきた霊感弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)の平田広志弁護士が「監禁されている環境は合法的」と言い、監禁にお墨付きを与え、小出氏の両親や家族をだました

  6. 教団の内部情報の提供を強要

  7. 信徒仲間の個人情報の提供を強要

  8. 殴る蹴るの暴行

  9. 偽装脱会を見抜くための踏み絵として、TBS「報道特集」(1993年9月13日放送)に出演を強制。元信者として顔写真と実名がテレビ放映された。

  10. 偽装脱会を見抜くための踏み絵として、有田芳生と「週刊文春」の取材を受けさせた。取材内容は「週刊文春」1993年9月16日号に掲載。

  11. 偽装脱会を見抜くための踏み絵として、勤務先病院を無理やり提訴させた~「正当な」賃金支払いを要求して豊島簡易裁判所に調停を起こすよう強制。暴力的脱会支援者の宮村峻が代理人として紹介したのが紀藤正樹弁護士である。

  12. 偽装脱会を見抜くための踏み絵として、拉致して監禁した他の信者を棄教させる活動を手伝わせた~小出医師は福田ますみ氏のインタビューで、その時の気持ちを「私、監禁の現場に行かされて、その晩はもう身もだえ、発狂ですよ、夜中。彼らの苦しさが伝わってきちゃって」と述べている。

  13. 「殺すぞ」と脅迫~「おまえをもう生きてここから出すわけにはいかない。宮村さん(暴力的脱会支援者の宮村峻)、松永牧師(日本同盟基督教団新津福音キリスト教会の松永堡智(やすとも)牧師)、熊木さん(脱会支援者)のことも知り過ぎた。そのおまえを統一教会に帰すわけにはいかない。もし何かあったら、お前を殺して、父さんも死ぬ。父さんは死ぬ覚悟はできているから」と実の父親が脅迫。これは刑法第222条の脅迫罪に相当。その口ぶりから、宮村、松永、熊木の3氏が世間に知られたらマズイ違法行為をしていると父親が自覚していたことが分かる。

  14. 紀藤正樹・山口広両弁護士は、宮村峻の紹介で小出医師の代理人になるが、小出医師は脱出後に解任通知を送った。その後、『人さらいからの脱出』初版を1996年に刊行。彼らは自分の元依頼人が「拉致・監禁による脱会強要」の被害者だと明らかになっても、本人と連絡を取って事実関係を確かめようとしなかった。元依頼人が、棄教したかどうかを確かめる踏み絵のために裁判を起こすよう強制されたというのに、弁護人として良心の呵責を感じなかったのか? 普通の人権感覚を持った弁護士なら、「拉致・監禁による脱会強要」の被害者に寄り添い、拉致、監禁、棄教の強要を行った人物らを告発し、その実態を世間に明らかにし、過去に同様の事例はなかったのか徹底的に調査し、二度とこのような凶悪犯罪が行われないように力の限りを尽くすのではないか。しかし、2人はそのような良心的行動は取らなかった。それどころか、紀藤正樹弁護士は弁護士や牧師がかかわっているケースで拉致監禁はない。霊感商法は教団による組織的な事件だが、拉致監禁は偶発的なもので、たまたま親がやり過ぎてしまったケースが違法行為として認められている」(2010年7月)と真っ赤なウソをヌケヌケと言ってのけた。つまり、紀藤正樹・山口広両弁護士は「拉致・監禁による脱会強要」を見て見ぬふりをしたのである。

ざっと思いついたことを書くだけで、これだけあります。時間さえあれば、いくらでも書けそうな気がしてきました。

紀藤正樹・山口広両弁護士は「拉致・監禁による脱会強要」を見て見ぬふりをした

なお、霊感弁連の初期の幹部だった伊藤芳朗弁護士は、暴力的脱会支援者・宮村峻のやっていることは「脱会活動に名を借りた金儲けで、実態は拉致監禁であり、棄教の強要に過ぎない」として、彼を霊感弁連から排斥し、締め出すべきだと提案。紀藤・山口両弁護士を含む幹部メンバーと1994年中に話し合い、彼らも賛成したと証言(法廷で証拠採用された証言!)しています。
にもかかわらず、紀藤正樹弁護士だけはその後も宮村峻と付き合いを続け、宮村峻から紹介される事件を引き受けていたようだ、とも。
また、「山口広弁護士は、宮村氏が拉致監禁説得をしていることを知っていましたか」という問いに、伊藤芳朗弁護士は「もちろん!です」と即答しています。
このように、紀藤正樹・山口広両弁護士が「拉致・監禁による脱会強要」の横行を見て見ぬふりしてきたことは、否定しようがありません。
伊藤芳朗弁護士の証言は、25年9月5日noteの「紀藤正樹・山口広弁護士と『拉致・監禁による脱会強要』の関係を法廷で暴露~米本和広blog『火の粉を払え』が非公開に」を参照のこと。
『“人さらい”からの脱出』には、次のような記述もあります。


山口、紀藤の両弁護士は、こういう打ち合わせの時点で、私が両親の監視下で生活していたのをよく知っていた。また、宮村氏の役割も十分にわきまえていたようだ。
両弁護士は、毎回「もう、そろそろ自由に行動させてあげても大丈夫じゃないかな。まあ、そのあたりのことは宮村さんに聞いたほうがいいけどね」と言い、宮村氏は決まって「あいつら(統一教会)は何するか、おれも分からないからな。向こうがつかまえにくることがまだないとは言えない」と返答していた。(p.166)


彼らは「家族の話し合い」と言いますが、実際には家族でも何でもない第三者の宮村峻が、小出氏をいつ自由にするかを決める決定権を持っていたのです。
そして、山口・紀藤両弁護士は、小出氏が「自由に行動できない」ことを知っていました。知っていながら弁護士業務を引き受けており、両親や宮村峻に働きかけて小出氏を解放させようとしませんでした。
これは弁護士法第1条「基本的人権を擁護し、社会正義を実現」に違背する行為です。弁護士資格を剥奪されても文句は言えないと思います。
小出氏は、自らの実体験から、福田ますみ氏のインタビューで「紀藤正樹氏、山口広氏がいちばん人権侵害してる」と言い切っています。

悔い改めた両親。最期を看取ったのは信者の小出氏と統一教会系病院だった

暴力的脱会支援者の宮村峻や悪辣な牧師にだまされ、そそのかされて、拉致、監禁、棄教の強要を実の息子に行ってしまった両親ですが、もくろみが失敗に終わった後は、悔い改めたと私は想像しています。
『“人さらい”からの脱出』には「悔い改めた」とは書かれていません。しかし、第7回朗読にもあるように、末尾で小出医師はこう書いているのです。
「両親とも、姉や弟と一緒にI病院および近くの施設で天国への旅立ちを看取ることができた」と。
「統一教会とは縁を切れ。そこへ帰るというなら生かしてはおかない。お前を殺して俺も死ぬ」とまで言っていた、その憎むべき統一教会系のI病院でご両親は人生の最期を迎えました。拉致・監禁を手伝った弟も異を唱えませんでした。
ということは、いずれかの時点で、お二人は「息子には悪いことをした」と自らの非を悔い、心を改めたのではないでしょうか。
反統一教会勢力は「統一教会が家庭を崩壊させる」とありもしないデマを飛ばしますが、全7回の朗読および原作で明らかなように、家庭を崩壊させたのは暴力的脱会支援者と牧師、弁護士であり、家族の絆を結び直したのは旧統一教会(家庭連合)信者の小出医師でした。