朗読動画#6 旧統一教会信者の医師を監禁して裁判を強要~紀藤正樹・山口広弁護士登場
やりたくもない裁判を無理やりやらされる。断れば監禁が長引くだけ…
#5の続き。
旧統一教会(家庭連合)信者で医師・小出浩久氏の稀有な被害体験記『“人さらい”からの脱出~違法監禁に2年間耐えぬいた医師の証言』(初版1996年、改訂版2023年)が朗読動画となって登場。
要所をピックアップした全7回シリーズの第6回が公開されています。
動画に添えられた内容紹介は次の通り。
【第6回の内容】
統一教会を偽装脱会した小出氏に更なる試練が襲いかかる。ついに統一教会に対して法的措置をとる話が持ち上がった。
宮村氏(注:暴力的脱会請負人、脱会屋)が小出氏に紹介したのは、全国弁連の2人の弁護士(注:紀藤正樹・山口広両弁護士)だった。
統一教会を執拗に攻撃する全国弁連は、国際勝共連合が推し進めていた「スパイ防止法」をつぶす目的で設立された反日左翼系弁護士集団であるという。(国際勝共連合HPより)
脱会屋・宮村峻(たかし)氏、そして宮村氏と親密な様子の全国弁連の2人の弁護士を交えた打ち合わせでは、毎回、小出氏の前で耳を疑うような不穏な会話が交わされていた。
偽装脱会により”反統一教会グループ”に“潜入"し、その一員として活動していた小出氏は、元信者が統一教会に対して起こす「青春を返せ訴訟」の恐るべき実態を目の当たりにしたのだ。
さらに小出氏は、牧師の指示に従って複数の統一教会信者に対する拉致監禁、棄教強要の手伝いをさせられるようになる。
そこで行われていたのは“保護”、“救出“という名の“統一教会信者狩り”であり、人権を無視した“信仰破壊”、“思想改造”であった。
暴力的脱会請負人が紹介したのは、霊感弁連の2人の弁護士(紀藤正樹、山口広)
以下、紀藤正樹・山口広両弁護士の登場シーン。「10月下旬」は1993年です。「新津教会」は新潟の日本同盟基督教団・新津福音キリスト教会(新潟市秋葉区)のこと。
「宮村氏」は暴力的脱会請負人(脱会屋、脱会支援者)の荻窪栄光教会・宮村峻(たかし)氏。同教会の森山諭牧師の弟子筋にあたりますが牧師ではありません。







ここから先はテキスト化しました。
1,家族の話し合いのはずが、主導権を握っているのは第三者の改宗請負人
この二人の弁護士は、統一教会が「霊感商法」を行っていると批判活動をしている全国霊感商法対策弁護士連絡会に所属していた。
改宗請負人と言われる宮村氏と被害弁連(注:全国霊感商法対策弁護士連絡
会を指す)の弁護士とは、かなり親密な様子だった。
私と両親は新潟市白山にある新潟合同法律事務所で両弁護士たちと会った。そこで、世界基督教統一神霊協会(統一教会)とI病院に対し、どのような要求をすべきかが話し合われた。
私はあらかじめまとめておいた統一教会に入るようになった経緯、その後の活動、I病院入職当時の状況などを山口、紀藤両弁護士に説明した。
父は私を拉致・監禁している間の状況、そして“私が今も統一教会に追われているため”に、1人では外を歩けず、また松永牧師の新津教会への送り迎えは父が行っていることなどを話した。
この時、父は拉致・監禁という言葉を保護と言い換えていた。
山口弁護士は父に対し、「統一教会とI病院との交渉の目標はどこに起きますか?」と尋ねると、父は「とにかく縁を切りたい。もう私の息子に手を出さないと約束してほしい。それが目標です。別に金銭的なものを得たいとは思っていない」と答えた。
私としては統一教会とI病院と縁を切りたいとは全く思っていなかったが、その意見に同意したふりをしなければならなかった。
両親のいるところで言われた通り、弁護士の委任状に署名し、捺印した。
山口、紀藤両弁護士は「宮村氏に新潟まで行ってほしいと言われたので来ましたが、次回からの打ち合わせは東京まで出て来てもらっていいですね」と言い、父はそれを承諾した。
これ以降の打ち合わせは、東京の山口弁護士もしくは紀藤弁護士の事務所で毎月1回のペースで行れた。
こうして、これらの弁護士を代理人として、内容証明付きの郵便で統一教会とI病院に対し、様々な要求を行っていった。
その打ち合わせには毎回、両親と宮村氏が同席した。そして宮村氏の考えと意見に重きが置かれた。
私は、心にもない手紙を院長宛に直筆で書き、またI病院関係の組織図、及び統一教会の信徒会の組織図を書かされたりもした。
2,紀藤正樹・山口広両弁護士は、小出医師が自由を奪われ、拘束されていると知っていた
山口、紀藤の両弁護士は、こういう打ち合わせの時点で、私が両親の監視下で生活していたのをよく知っていた。
また宮村氏の役割も十分にわきまえていたようだ。両弁護士は毎回「もう、そろそろ自由に行動させてあげても大丈夫じゃないかな。まあ、その辺りのことは、宮村さんに聞いた方がいいけどね」と言い、宮村氏は決まって「あいつら統一教会は何するか俺もわからないからな。向こうが捕まえにくることがまだないとは言えない」と返答していた。
結局、新津教会への“送迎付き”の生活は、変わらないまま行われていた。その間、もし、統一教会の信仰を心のうちで持っていることが知られてしまえば、再度、しかも今度は何カ月監禁されるか分からないという恐怖心が、常に頭を離れなかった。
3,本人の意向を無視して、賃金請求裁判を強要された
結局、翌年(注:1994年)4月に、I病院を相手取り“調停”を起こすことになった。
訴えの内容は、私がI病院で働いていた2年間に、正当な賃金が支払われていないという理由であった。
これは法律的にも無理な要求なのではないかと感じたし、賃金は全てその都度受け取っており、間違いなく受領していた。
(注:小出医師の父親は、両弁護士に「別に金銭的なものを得たいとは思っていない」と言ったのに、いつの間にか勤務先病院相手に賃金請求裁判を起こすことになっています。これは家族ではない第三者の宮村峻の指示によるものでしょう。原著『“人さらい”からの脱出』117ページには宮村峻から「弁護士を立てて賃金も献金も全部取り戻せ」と指示されたと書かれています)
こうなるまでに、私は母に幾度も訴えた。
(5分あたりまで。以下略)
#7へつづく
