紀藤正樹弁護士のデマ【3】~「ずっと以前には、信者を何人かで強引に車に乗せて奪還することも、なかったわけではない」
1,【デマその3】「ずっと以前には、本人がいる場所に車で乗りつけ、何人かで強引に車に乗せて奪還するといった考え方も、まったくなかったわけではありません」(2012年)
【2】の続き。
今回のデマ&ウソは紀藤氏の著書『決定版マインド・コントロール』(アスコム、2017年)から取りました。
2025年11月8日18時現在、同書のアマゾンのレビューは評価数433個で5点満点中の4.5点。これはかなり高い評価で、いかに多くの人がだまされているかを示すものです。
いくら紀藤氏の言う「だましの手口」を学んでも、肝心の紀藤氏にだまされてしまうようではあまり意味がないと思うのですが…。
見出しにした紀藤発言のどこがデマでありウソなのか? 詳しく検討するため、少し長くなりますが、まず該当箇所を含む数段落を引用します。
「ずっと以前には、本人がいる場所に車で乗りつけ、何人かで強引に車に乗せて奪還するといった考え方も、まったくなかったわけではありません。そのようにしてうまくいったケースも現実にあります。
しかし、最近では、強引な手法は取らないほうがよい、と考えられています。むりやり連れ出すと逆効果になる場合があり、違法とされる場合すらあるからです。
アメリカではこれが問題となり、『ディプログラミング』(deprogramming)は、やってはならない手法とされています。
アメリカでは、この言葉を価値中立的な『脱洗脳』や『脱マインド・コントロール』の意味で使用する用語例は、少なくとも『脱会カウンセリング』の専門家の間ではありません。
ディプログラミングは『拉致監禁による脱会説得』という意味で使われています。
違法といっても、親が子どもをカルトから強引な手法で取り戻すとき、警察に現行犯逮捕されたという例は聞きません。
ただ子どもがカルトに再び戻ってしまい、親が訴えられて違法とされ敗訴したケースはいくつかあります。
子どもが強引な手法で引き離されても、そのままカルトから抜けてしまえば、家族に感謝するのが普通ですから、もちろん裁判にはなりません。
いずれにせよ現在は、家族が違法な手段によらず、どのようにかかわっていくべきかという問題に焦点が絞られています。」
『決定版マインド・コントロール』pp.165-166
2012年版pp.173-174
以上、『決定版』を手元に置いて書き写しましたが、この箇所は『決定版』の5年前に刊行された2012年版の文章と同一です。
したがって、文中の「ずっと以前」や「最近では」は、2012年を基準にした言葉遣いと見ることができます。
それにしても突っ込みどころ満載の文章ですね。とても全部は書けないので、ポイントを絞って書くことにします。
注目は、「ずっと以前には」「最近では」「現在は」という時を表す3つの副詞です。
2,「強引に車に乗せての奪還」には4パターンある
旧統一教会(家庭連合)の信者を狙った「拉致・監禁による脱会強要(強制棄教)」は、「拉致」から始まります。
被害者の体験記や証言を読めば分かることですが、拉致の基本的な手法は、紀藤弁護士も言うように、「本人がいる場所に車で乗りつけ、何人かで強引に車に乗せて奪還する」というものです。
ただし、それにはバリエーションがあり、私なりに大ざっぱに分類すると次の4パターンです。
路上での突然の拉致と監禁場所への連行
実家に帰省したときなどに(ウソをついて帰省させることも多い)、大勢で身体拘束し、車に押し込めて連行
待ち合わせ場所に呼び出して車に乗せ、そのまま連行
食事会に行く、買い物に行く、祖父母の家に行くなど何らかの名目で車に乗せ、そのまま連行
1と2は力ずくで車に押し込む極めて乱暴なやり方。110番通報されてもおかしくありません。
「本人がいる場所に車で乗りつけ、何人かで強引に車に乗せて奪還する」にピッタリ当てはまるのが、これです。
【1の例】小林宗一郎さんの路上拉致~日本基督教団・清水与志雄牧師
1997年4月11日午前7時過ぎ、当時25歳の小林宗一郎さんは、アルバイト先に向かう途中、東京都足立区の千住警察署に近い路上で両親や親族約20名に襲われました。
小林さんは、四方から手足をつかまれて担ぎ上げられ、ワゴン車に押し込まれた。「助けてくれ!」と大声で叫ぶ小林さん。
車は千住大橋を渡り、高速道路の入り口に向かった。するとパトカーが追跡してきた。
パトカーの中から警察官がやってきて、助手席から中を覗き込む。小林さんの父親は「こいつは統一教会で狂わされているんです。親子の問題なんです」と釈明した。
警察官は「どうしたんですか?」と小林さんに質問。
小林さんが「拉致されたんです。基本的人権があるんだから、ここから出してください」と訴えた。
警察官は「本人がこう言っているし、本人の意思もあるんだから、降ろしたらいいんじゃないですか」。
すると、小林さんの周囲にいた男女7、8人がその警官を取り囲み、「こいつはマインドコントロールされているんだ」と一斉に叫んだ。
警官はこれに圧倒されて、「行っていいです」。
そのまま小林さんは群馬県太田市のサンライズマンションまで連れていかれた。
監禁方法は「ハード監禁」そのもの。入り口のドアは南京錠とダイヤル式のカギとチェーンで三重にロックされ、窓は厚いベニヤ板などでふさがれ、窓自体も開かないように細工されていました。
監禁下で小林さんに脱会を強要したのは、日本基督教団太田八幡教会の清水与志雄牧師です。
7ヶ月後の11月15日、小林さんは隙をついて脱出に成功。
(以上、引用も含め、『日本収容所列島~いまなお続く統一教会信者への拉致監禁』(賢仁舎、2010年)pp.100-102を参照しました)
【1の例】強制改宗被害者の会が制作した再現映像
全国拉致監禁・強制改宗被害者の会が制作した「拉致・監禁による脱会強要」の再現映像は、1の路上拉致のケースを取り上げています。
5分過ぎから8分30秒までを見てください。
【2の例】寺田こずえさん、高知で拉致され大阪のマンションへ連行~キリスト教神戸真教会・高澤守牧師
次は、国際合同結婚式で韓国人と結婚した寺田こずえさん(当時28歳)の被害体験です。
「2001年、高知にいる母親が病気だというの帰国したところ、実家で拉致され、そのまま大阪のマンションに監禁された。やってきたのは神戸真教会の高澤守牧師だった。2ヶ月後に監禁から解放されたが、それは韓国人の夫がこずえの監禁場所を探し出したからである。サラリーマンの彼は会社に休暇願いを出して来日したという」(米本和広『我らの不快な隣人』p.184)。
拉致のやり方は次の通りです。
寺田さんが実家に帰ったとき、大阪在住の妹と叔父2人が突然入ってきて、実家の敷地内に停めてあったワゴン車に無理やり押し込み、そのままマンションに連行。
監禁方法は厳重で、通常の施錠に加え、元々ある防犯チェーンと別に用意したチェーンをつなぎ、2つの南京錠で固定するという念の入れよう。窓も開かないよう固定されていた。
訪日した韓国人の夫は「妻は大阪にいる」という手掛かりだけを頼りに大阪市内の警察署を片っ端から回り、運良く4軒目の東淀川警察署で寺田さんの件を知る警察官に出会う。
寺田さんは助けを求めるメモを玄関ドアの牛乳受けの隙間から外に落とし、それを見つけた管理人が警察に通報して、同警察署の警察官が事情を聞きに来ていた。
それが功を奏したのである。
夫の話を聞いた警察官は寺田さんの母親を署に呼び、夫は母親と話し合った後、監禁マンションへ行って寺田さんを解放させた。
ちょうどその時、高澤守牧師ら3人が駆けつけた。
だが、夫は激怒して「なぜ第三者なのに入ってくるのか。お父さんとお母さんも大きな間違いを犯した。妻を連れて出ていくが、もし邪魔をしたら弁護士を通して自分ができる全ての法的処置を取る」と警告。
高澤守牧師は何も言えなかったという。
後日、寺田さんは高澤守牧師を民事、刑事で提訴。
民事では高澤牧師の違法行為が認定され一部勝訴。刑事では起訴猶予処分(犯罪事実を認めた上での不起訴)に。
前掲『日本収容所列島』pp.116-121、『我らの不快な隣人』
p.184、p.376に基づく要約
【2の例】元木恵美子さん、韓国大使館が外交ルートで捜査を要請~現土崎グローリアチャペル松山裕牧師
2002年に拉致された元木恵美子さん(当時32歳)のケースも衝撃的です。
夫婦で山形市の実家に帰省したとき、韓国人の夫が一緒にいるにもかかわらず、恵美子さんは寝込みを襲われ、拉致されたのです。
異変に気づいた夫は、父親と妹の夫に拘束され、その間に恵美子さんは母親と妹らに両手両足を縛られ、猿ぐつわをかまされてしまいます。
恵美子さんだけ外に担ぎ出されて車に押し込められ、そのまま秋田市の土崎聖書キリスト教会(現土崎グローリアチャペル)に連行されました。
閉じ込められたのは、同教会の監禁専用に作ったとしか思えない部屋でした。その部屋で恵美子さんは、松山裕牧師夫妻と元信者から棄教を強要されます。
2週間後に解放されたが、それは韓国人の夫が韓国大使館に働きかけ、大使館が外交ルートで日本政府に捜査を要請した結果でした。
後日、元木夫妻は松山裕牧師とその妻を刑事告訴し、起訴猶予処分に(犯罪事実を認めた上での不起訴)。
詳しくは『我らの不快な隣人』pp.184-185、p.376、前掲『日本収容所列島』pp.112-115をご覧ください。
◆ ◆ ◆
続けて、3と4のパターンをご紹介しましょう。
3と4は自ら進んで車に乗ったものの、気がついた時はもはや後の祭りというパターンです。
家族や親族が両脇をがっちり固めて脱出不可能にし、そのまま監禁場所まで連れて行きます。
暴れて抵抗する人もいますが、暴れてもどうにもならず、あきらめてしまう人もいます。
本人は、(抵抗しても無駄と悟り、)形の上では自発的に車に乗っているため、後日、裁判になって「拉致された」と主張しても、家族・親族が全員で口裏合わせをすれば、立証が難しいケースです。
暴れて抵抗しなかった場合、裁判官に「家族の話し合いの申し出に自らの意思で応じたのでは」という心証を抱かせ、なおさら不利になります。
しかし、誰が何と言おうと、被害者は自由を奪われ、無理やり連行されているわけで、「何人かで強引に車に乗せて奪還する」の一種と見ることができます。
拉致は基本的に家族、親族だけでやるのが原則ですが、人手が足りないときは元信者が手伝うこともあります。
また、目的地のマンションなどでは、数人から十数人の元信者が先回りして待ち構え、素早く監禁部屋に連れ込む手助けをします。
【3の例】原理研究会K・Mさん、両親が空港でタクシーに乗せ、監禁マンションへ連行~日本基督教団・豊田通信牧師
大学生のとき原理研究会(CARP)に入会し、同会の寮で生活しながら国家資格の取得を目指して予備校に通っていたK・Mさん(当時28歳)。
以下は、小出浩久医師が代表を務める「拉致監禁をなくす会」のウェブサイトに掲載されたK・Mさんの証言(手記)です。
彼は、京都にある母の実家に帰るため飛行機に乗って伊丹空港に到着。迎えに来てくれた両親とタクシーに乗り、「最近引っ越した」という大阪市東三国の父のマンションに荷物を降ろしたところ、気づいたらそこが監禁場所でした。
実の親にだまされて監禁される。これだけでも相当な衝撃です。
彼は約2ヶ月後、偽装脱会してキリスト教会に通うようになったとき、隙を見て脱出しました。
しかし、彼の手記からは「親と牧師はなぜこのようなことをするのか」という怒りと悲しみが伝わってきて、暗澹たる思いにさせられます。
2006年1月19日、京都にある母の実家に帰るため、飛行機で伊丹空港に行きました。
父が単身赴任で大阪に住んでいることもあり、新大阪駅まで父と母が迎えに来てくれました。
それから、タクシーで父のマンションに行く事になりました。
なぜかなと思いましたが、近いのでちょっと寄っていくということなのかと思っていました。
最近引っ越したということで前とは違う大阪市東三国のマンションでした。
着いて中に入り、かばんを下ろしてしばらくすると、弟とおじ、おばが入ってきました。
びっくりして、そしてかばんがなくなっていることに気付きました。
監禁だと気付き逃げようとしましたが、入り口を数人で塞がれていたので無理でした。
今思えば不自然なことも多くて気付くべきだったと思いますが、親は寮に来てくれた事もあったし、まさか自分の親が監禁するとは思ってもみなくて、安心しきっていました。
K・Mさんは手記の最後の方で、こう事件を振り返っています。
「統一教会に入ると、自由を奪われ、苦労させられる、と言われましたが、今回のように閉じ込められ、不安、恐怖、精神的苦痛を与えられたことは、一度もありません。
自分の心の中の、本当に大切なものを強引に奪われようとする苦しみは、とても耐えられるものではありません」
【4の例】札幌「青春を返せ裁判」の原告。車で駅へ向かうはずが、監禁マンションへ連行~日本基督教団・大久保進牧師
1992年、親族との食事会の後、「地下鉄の駅で降ろす」という名目で車に乗せられ、気づいた時はもう手遅れでした。
そのままマンションへ連行され、監禁下で棄教を強要された浜田静子さん(仮名)。
結果として脱会し、札幌「青春を返せ裁判」の原告の1人となりました。
しかし、法廷に提出した陳述書では、正直に「恐ろしい圧迫感と、『監禁』された事に対する怒りで気が狂いそうだった」と書いています。
詳しくは、以下のnote参照。
3,「ずっと以前」から強引な手法が横行し、2000年代に入っても続いた!
紀藤弁護士は、「本人がいる場所に車で乗りつけ、何人かで強引に車に乗せて(信者を)奪還する」のは「ずっと以前」のやり方だと書きました。
では、その「ずっと以前」とは具体的にはいつ頃を指すのでしょうか?
もう一度、被害件数の推移のグラフを確認してみましょう。

「拉致・監禁による脱会強要」の起点は1966年です。
1970年代に被害が急増して87年に最初のピークを迎え、やや収まった後、90年代前半に再び、今度は最大のピークに達し、そこから沈静化に向かいました。
しかし、2000年前後はまだ結構な被害件数があり、以後漸減して今に至っています。
拉致・監禁のタイムスパンはおよそ半世紀。
とすると、2012年の時点から見て「ずっと以前」は、1970年代か、せいぜい1980年代あたりまでという気もしますが、本当のところはよく分かりません。
紀藤弁護士が時期を明示していないからです。
ただ、紀藤弁護士は、「ずっと以前には、本人がいる場所に車で乗りつけ、何人かで強引に車に乗せて奪還するといった考え方も、まったくなかったわけではありません」と書くことで、犯罪的なやり方をしたのはかなり昔のことで、しかも、ごく一部の人がやっただけだとほのめかしています。
これこそデマでありウソです。
実際には、被害者の体験手記や証言その他で明らかなように、信者を車で拉致してマンションなどに閉じ込め、監禁下で棄教を強要する犯罪的手法は全国各地で横行しました。
しかも、それは「ずっと以前」にとどまらず長期間に及び、2000年代に入っても続いたのです。
小林宗一郎さんの路上拉致は1997年4月です。寺田こずえさんの拉致は2001年、元木恵美子さんは2002年、原理研究会(CARP)のK・Mさんは2006年。いずれも拉致には車が使われました。
2012年の紀藤正樹弁護士にとって、1997年、2001年、02年、06年は「ずっと以前」なのでしょうか?
しかも、「まったくなかったわけではない」どころか、2000年代に入っても度々起きているではありませんか。
「デタラメ言うな!」と一喝してやりたいところです。
「拉致監禁をなくす会」は2000年~2008年について、事実関係がはっきりしている「拉致・監禁による脱会強要」を16件挙げました。
明示的に書いてあるわけではありませんが、監禁場所へはほぼ全て車で連行されたと考えられます。
4,犯罪的手法を肯定する紀藤弁護士。「うまくいかなかったケース」には、誰が責任を取るのか?
紀藤正樹弁護士は『決定版マインド・コントロール』の引用文中、「まったくなかったわけではありません」に続けて、「そのようにしてうまくいったケースも現実にあります」と書いています。
これを読んで、はらわたが煮えくりかえる思いになるのは、私だけではないはずです。
逮捕・監禁罪(刑法第220条)に相当する違法行為と「信教の自由」「内心の自由」という天賦の人権を蹂躙する行為を信者の親、家族、親族が行い、多くの脱会支援者や牧師がそれを教唆、幇助、指導してきたというのに、「うまくいったケースもある」とは、なんという言い草でしょうか?
紀藤弁護士に問いたいですね。
①あなたにとって良い結果が得られるなら、刑法犯罪に相当する手段を使い、人権侵害を行ってもよいのですか?
②「うまくいかなったケース」については、誰が責任を取るんですか?
「うまくいかなかったケース」では、自殺、レイプ、(大)怪我、PTSDや鬱病発症など、数々の被害が報告されているのですが。
少し前にK・Mさんの手記を引用しました。
「統一教会に入ると、自由を奪われ、苦労させられる、と言われましたが、今回のように閉じ込められ、不安、恐怖、精神的苦痛を与えられたことは、一度もありません。自分の心の中の、本当に大切なものを強引に奪われようとする苦しみは、とても耐えられるものではありません」
このような拉致・監禁被害者の声に、紀藤弁護士は向き合ったことはあるのでしょうか?
おそらく、ほとんどないでしょう。
向き合ったことがなく、向き合う気持ちもないから「うまくいったケースもある」などと理不尽なことを平気で書けるのです。
私には良心が麻痺しているとしか思えません。
5,名古屋大学(08年)、大阪大学(06年)のキャンパスで起きた拉致事件
2012年1月刊行の室生忠著『大学の宗教迫害』(日新報道)には、冒頭から驚くべき事件が報告されています。
なんと大学のキャンパスで、衆人環視の中、信者の学生を大勢で拉致し、無理やり車に押し込んで連れ去ったのです。
「何をするんだ! 止めろよ!」
「なぜこんなことをする! 止めろ!」
記録破りの猛暑が続いた2008年8月の初旬だった。国立・名古屋大学理工学部の研究室に、K君(当時、4年生)の絶望的ともいえる怒りの絶叫が響いた。
約5分から10分、柱にしがみついてまで必死に抵抗するK君を引き剥がして、なおも暴れるのを羽交い締めしているのは、K君の両親や親族など合わせて約15名。
彼らはK君を校舎の外に引きずり出すと、ワゴン車に押し込め、計2台に分乗して一気に走り去った。
自宅、路上、駐車場、自動車運転教習所、被害者所属の教会…。いまや国際的な批判を浴びている、日本の統一教会信者に対する拉致監禁の発生は時間と場所を問わない。
ついには“真理探求の砦”大学の構内でも続発するという、信じられない事態になっている。
まだ残暑が残る2006年9月中旬、国立・大阪大学のN君(当時、大学院生)は、大学の研究棟を出ようと玄関に降りたところを、待ち構えていた両親、親戚ら6名に取り囲まれた。
突然の出来事に呆然とするN君。
数人が有無を言わさずN君のズボンのベルトを掴んで逃げられないようにすると、まず携帯電話を取り上げた。N君が友人に助けを求めるのを阻止するためである。
N君は、大学構内の駐車場に待機していたレンタカーのワゴン車に押し込められた。
運転席のカーナビは、N君に行き先を知られないようにハンカチで覆われていた。
N君は後部中央座席に座らせられると、両側を両親に固められたまま連れ去られた。
(同書pp.12-13)
主に信者を車で拉致する「拉致・監禁による脱会強要」は、「ずっと以前」どころか、1980年代、90年代と激増し、2000年代になっても、減少したとはいえ、依然として継続されました。
「まったくなかったわけではない」は事実に反する発言です。やり方がソフトであれハードであれ、信者を意に反して連れ去り、マンションなどに監禁して棄教を強要するという考え方は、「ずっと以前」から全国の脱会支援者や牧師の間に広がっていました。
そうした考え方の下、彼らは信者の親の不安を煽り、親を実行犯に仕立てて、競うようにして信者1人1人を狙い撃ちしたわけです。
その結果、少なくとも4300件の拉致・監禁事件が発生したのです。
なお、冒頭の引用箇所には、「子どもが強引な手法で引き離されても、そのままカルトから抜けてしまえば、家族に感謝するのが普通ですから、もちろん裁判にはなりません」という断じて見過ごせない一文が含まれています。
これについては、別の機会に取り上げます。
