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札幌「青春を返せ裁判」法廷証言から⑫⑬~原告陳述書に「監禁」/日本基督教団・大久保進牧師が脱会強要


の続き。
『世界日報』連載の第9部は1987(昭和62)年に始まり2001(平成13)年6月29日に地裁判決が出た札幌「青春を返せ裁判」の証人尋問(反対尋問)を取り上げたもの。

1,統一教会を訴えた原告が陳述書で監禁を認めた

引き続き2013年2月16日の第12回、2月17日の第13回です。
第12回では、統一教会を訴えた原告が陳述書で自ら監禁の事実を認めたケースが紹介されています。
第2次提訴した15名のうちの1人、浜田静子さん(仮名)が1999(平成11)年5月6日に作成した陳述書の「保護」「反対派牧師」の項に注目すべき記述がありました。


 92年(編注・平成4年。提訴の1年前)4月6日。忘れもしないこの日は私が保護された日である。妹の嫁ぎ先である▲▲家の、お父さん、お母さんと私達家族とで食事をする事になっていた。▲▲さんご夫妻はとても感じのいい方達で、以前にも家族ぐるみで食事した事もあったので楽しみにしていた。家で両親だけと話すよりいろいろな話題が出てたのしかったし、統一協会や現在の生活に関する質問などもされないので気楽だった。

 (札幌市)西28丁目の地下鉄駅で待ち合わせた。そこから車でステーキのおいしい店に案内された。食事の時間は楽しく過ぎた。それから地下鉄まで乗せてもらう為に車に乗った。私の両脇に父と母が座ったのであれっと思った。こういう配置で座った事はなかった。今日は泊まって行かないんだと母に言ったが返他(ママ)がなかった。

 妹の夫である■■君が運転する車は実家の方に真っ直ぐ向かっていた。両親を降ろしてから地下鉄まで乗せてもらえばいいと思って黙っていた。思い返して見ると、その時は何となく皆が無口で変だった。実家の近くの知らないマンションの一つに車が入っていこうとした。「どうしてここに行くの。ここは何なの」と私が聞いた時、■■君の顔がすごく緊張している事に気が付いてはっとした。これは「監禁」だ。(中略)

 車のシートにしがみついていたのを下ろされてマンションの入口まで連れて行かれた。何とか腕を振りほどいて、走って逃げようとしたのだが、皆が必死になって私を押さえ付けようとした。妹が涙を流しながら、こうするしかなかったんだと言っていた。父親がなおも何かを説明していた。父さんはとにかく決心したんだときっぱりと何度も言っていた事しか覚えていない。

 皆の顔が、とても自分の身内とは思えないような恐ろしい顔に見えた。マンションの入り口に千葉の伯父さんが立っているのが分かった。続いて▲▲さんご夫妻、が入って来た。この人達も何食わぬ顔をしてグルだったのだと思った時目の前が真っ暗になった。

 エレベーターがなかなか降りて来なかった。エレベーターから男の人が2人降りて来たので私は必死に助けを求めたが不思議そうな顔をしながら行ってしまった。エレベーターのドアが開くと年配の女性が立っていた。この人は誰なのと叫んでから、旭川の伯母さんである事に気が付いた。(中略)恐ろしい圧迫感と、「監禁」された事に対する怒りで気が狂いそうだった。


2,「保護」は、自らの体験を書き換えるため、事後的に持ち出された理屈

本人は「保護」と書いていますが、外形的に見れば、明らかに拉致(法律用語では逮捕)です。
保護ならば、なぜ車のシートにしがみついたり、マンションの入口まで連行された後、腕を振りほどいて走って逃げようとしたのでしょうか?
「皆が必死になって私を押さえ付けようとした。妹が涙を流しながら、こうするしかなかったんだと言っていた」
とあるように、浜田静子さんは身体拘束を断固拒否したのです。

保護は、意に反してある場所に隔離されるか、望まない組織の一員にさせられていた人を、そこから救出することですから、救出を嫌がることはあり得ません。
精神的に未熟で事情を飲み込めない未成年ならともかく、成人に達したいい大人が「私は救出されることを断固拒否した挙げ句に保護されました」と言ったら、誰もが「はぁ???」と思うでしょう。
「保護」は、旧統一教会(家庭連合)を脱会後、自分の過去の体験を、現在の自分に都合のいいように書き換えるため事後的に持ち出された理屈でしかないのです。
いってみれば、自分を監禁した両親、脱会支援者、牧師らとの口裏合わせのようなものです。

3,日本基督教団手稲はこぶね教会・大久保進牧師が脱会を強要

翌日、浜田さんの監禁マンションに聖書を持って現れたのは、日本基督教団手稲はこぶね教会(札幌市)の大久保進牧師でした。

大久保進牧師は、1993年6月刊の『強制改宗~引き裂かれた信教の自由』(統一教会編、光言社)の「反対牧師および反対活動家一覧」の北海道の項目に名前が載った人物です。
2015年に92歳で亡くなりました。(「教団新報」4821号消息

日本基督教団札幌教会「川畔の尖塔」2012年9月2日号(PDF)には、略歴として「1985年 統一協会からの救出相談にかかわり始め、現在に至る」、「1988年 救出関係は多忙」と書かれています。
平気で略歴に載せるくらいですから、罪の意識は希薄だったことがうかがえます。

日本基督教団札幌教会「川畔の尖塔」2012年9月2日号

ここで、これまで何度も紹介してきた「拉致・監禁による脱会強要」のグラフを見てみましょう。

「現代の宗教迫害②」(動画、6分3秒~)

大久保牧師が「救出」に多忙だった1988年は、年間224件の拉致・監禁事件が発生しており、違法行為と人権侵害が続発した時期と重なっています。

4,監禁下にあると知りながら脱会説得を行うのは違法~2000年8月鳥取地裁判決

第13回の記事は、次のように書いて記事を締めくくりました。


浜田静子さんは、その後の被告側代理人の反対尋問でも、両親や親族と会食した後、帰るつもりだったのに、無理やりマンションに連れ込まれたことや、牧師、脱会者の話を聞いて脱会したことなどを認めた。
浜田さんは1カ月ほどでそのマンションを出たが、最初の1、2週間は部屋から出られないよう、窓やドアに鍵をかけられていたと証言している。


浜田静子さんは、結果として旧統一教会を脱会しましたが、まぎれもなく「拉致・監禁による脱会強要(強制棄教)」という違法行為(刑法第220条の逮捕・監禁罪相当)と人権侵害の被害者です。
大久保牧師が、この違法行為と人権侵害に関与したことも明らかです。
1997年6月から1年3か月間監禁された女性信者が両親と神戸真教会の高澤守牧師を提訴した裁判で、鳥取地裁は2000年8月31日、「一般的に宗教的活動は自由であるとしても、右のような状態(注:棄教目的で逮捕監禁されている状態)にある原告に対し、その状態を知りながら、原告の意思に反する宗教的活動を行うことは、正当な業務活動であるということはできない」として、両親と高澤守牧師の違法性を認定し、損害賠償支払いを命じています。(『拉致監禁』家庭連合編、2022年、光言社、p.154)

大久保牧師の脱会説得は、浜田さんを監禁した状態で行われました。牧師と会ってもいいと言ったのは浜田さんですが、それは「怒りにまかせていいよと言ってしまった」もので、本心から出た言葉ではありません。
そもそも自分の意思で話を聞きたいというなら、監禁は必要ないわけです。
監禁状態の浜田さんを見た大久保牧師が真っ先にやるべきは、両親に監禁を解かせることでした。
「監禁を解きなさい。彼女を自由にした上で、後日、自由に出入りできるオープンな環境で、本人が望むなら聖書の話をしましょう」
大久保牧師はこのように言うべきでした。
それをしなかった同牧師は、監禁という違法行為を幇助したと言われても仕方ありません。
そして、監禁下で行った脱会説得は、棄教の強要という人権侵害です。結果的に脱会したかどうかは無関係です。