「作者の気持ち」なんてエスパーじゃあるまいし─〈国語・現代文〉界隈最大の「都市伝説」を考察してみる
国語の「作者の気持を答えなさい」という問題なんて答えられるわけがない。
……このフレーズ、聞いたことあるでしょうか?
もし「あるある」と思ったら、記念にスキを押しておいてください(笑)
たぶんこの記事は、過去に国語でモヤモヤした経験がある、あなたのための記事です。
国語が解けないときって、どうしてもこんなふうに思ってしまいませんか?
「国語なんて結局、採点者のさじ加減じゃん」
「作者本人ですらテストで間違えるらしいよ?」
「正解が一つに決まるのがそもそも不思議」
わかります。ものすごく、わかります。私も国語難民でしたから。
そして不思議なことに、この「国語=理不尽」説は、もはや学校の怪談レベルで常識化しています。
でも、ここで一つ、意外な事実をお伝えさせてください。
実際の入試問題で 「作者の気持ちを答えなさい」 なんていうエスパー問題は出ません。今までも、これからも。
ではなぜ、私たちは「出ないはずの問題」を語り続けているのでしょうか。
この都市伝説の正体を考察してみたいと思います。
ちなみに、こちらはバンブさんの以下の記事から着想を得ました。ありがとうございます。
採点者はあなたの「テレパシー能力」を見ていない
現代文の入試問題を、色眼鏡を外してよく見てみましょう。
書いてあるのは例えば以下のような問題文です。
「傍線①の筆者の考えを説明したものとして最も適切な選択肢を選びなさい」
これ、よく読んでみると「筆者の気持ちを当てろ」って意味じゃありません。 そんなの、筆者のオカンだって分かりません。
ここで問われているのは 「本文に書いてあることを説明したものを選べるか」 という能力です。
ちなみに説明問題の原理に関しては以下の記事で解説しています。
「筆者」「作者」と「登場人物」をごっちゃにするとややこしい
この話がこじれる最大の原因は、みんなが 「筆者」と「作者」と「登場人物」を、 鍋料理みたいにごちゃ混ぜにしてしまっているせいです。
論説文を書いた人は筆者、小説を書いた人は作者と呼びます。
ここ、テストには出ませんが、人生の役に立つので整理しておきましょう。
① 論説文の「筆者」は、主張したい人
論説文を書く人を「筆者」と呼びます。 彼らは「俺の考えを聞いてくれ!」と思って文章を書いています。だから、本文中に答えが落ちています。それを拾うだけです。
② 小説の「登場人物」は、演技中の役者
小説で聞かれるのは「登場人物の気持ち」です。 「作者の気持ち」ではありません。
例えば、激しい言い争いのシーンを書いている最中の作者は、コタツでみかんを食べているかもしれません。
もし「作者の気持ちを答えよ」と言われたら、正解は「こたつ最高」になってしまいます。 そんなわけないですよね?
私たちが読み取るべきは、 みかんを食べている作者の気持ちではなく、 「友達に裏切られたとわかったときの主人公の気持ち」です。
これは本文の描写(行動・セリフ・情景)から、論理的に確定できます。
ちなみに心情問題の解き方は以下の記事で解説しています。
③ じゃあ「作者の気持ち」は?
分かりません。 以上。
作者が何を感じて書いたかなんて、本人にLINEして聞かないと分かりません(というか本人も覚えていないでしょう)。
だから入試問題には出ないんです。
「作者の気持ち」は、原則として出題されない。
ここを知っておくだけで、「国語は無理ゲー」という誤解がだいぶ解けるはずです。
※補足しておくと、随筆の場合「筆者」の気持ちを問われるケースはあります。その場合、随筆の筆者を小説の登場人物のように考えればよいでしょう。それでも「作者」の気持ちではありません。
なぜ、この「都市伝説」はなくならないのか?
入試に出ないのに、なぜみんな口を揃えて「作者の気持ちが〜」と言うのか。
ここには、個人的な心理と、もっと大きな「文化」の問題が潜んでいると考えています。
仮説① 自分のミスを守りたい(心理的要因)
国語で点を落とす原因は、たいてい地味です。
「文章をちゃんと読んでない」「勝手に脳内変換した」。
でも、それを認めるのはちょっとつらい。
そこで脳は、自分が傷つかない説明を見つけ出します。
「作者の気持ちなんて、分かるわけないもん!」
これは心理学で「利用可能性ヒューリスティック」と呼ばれます。
脳は、自分が納得しやすい理由を真実だと思い込んでしまうんです。
仮説② 日本人が「察する天才」だから(文化的要因)
実はこれが一番大きい理由かもしれません。
日本は世界でも有数の「以心伝心」の国です。
私たちは普段、「言わぬが花」「空気を読む」という高度なコミュニケーションの中で生きています。
日本では、「言葉になっていない部分(=相手の気持ち)」を察することが美徳とされるからです。
でも、現代文という教科は、明治時代に西洋から輸入された「論理(ロジック)」で作られています。そこにあるルールは、日本の日常とは真逆です。
日常(日本的): 書かれていないことを察するのが正解
現代文(欧米的): 書かれていることだけを扱うのが正解
多くの人は、「日本的な気遣い」を「欧米的なテスト」に持ち込んでしまっているのです。
つまり、現代文が苦手な人は「空気が読めない」のではなく、 むしろ「空気を読みすぎている(優しすぎる)」からこそ、罠にハマっているのかもしれません。
必要なのは「テレパシー」ではなく「観察」だ
「作者の気持ちは出ない」 この事実を知るだけで、景色が変わります。
現代文のテスト中、あなたがやるべきは、 見えない心を透視することではありません(それは超能力です)。
書かれている「文章」という事実をありのままに見て、 そこにある答えを見つけ出す「観察」です。
「作者の気持ちを答えなさい」なんて問題は、 私たちの思い込みの中にしか存在しません。
もし次に誰かが 「作者の気持ちなんてわかんないよ〜」 と嘆いていたら、優しく教えてあげてください。
「大丈夫、それ入試に出ないから」と。
でも、そう伝えると、「何言ってんだコイツ」と思われるかもしれないので、 心の中でそっとスキを押してあげるくらいが丁度いいかもしれません。
【あとがき】
実はあと二つ仮説があるのですが、ちょっと炎上するかもしれないので控えさせていただきます。実は生徒はこれを言わない、大人が言うというのがヒントです。炎上するから有料で書くという手段もありますが、noteのみなさん優しいので書かないでおこうと思います(笑)
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