見出し画像

著者チャールズ・アイゼンスタインについて

訳者コメント:『人類の上昇』著者のウェブサイト charleseisenstein.org に収録されている経歴を翻訳しました。『コロネーション』へとまとめられることになるエッセイはここに発表されましたが、その後エッセイ発表の場は Substack に移行しています。


チャールズについて

公開の経歴として、どの程度共有すべきでしょう? ちょっとしたジレンマです。履歴書に書くような無味乾燥なものを書いたら、不誠実なヤツだと思うでしょう。その一方、見ず知らずの人に自分をさらけ出し過ぎるのもためらわれます(悪気はないのですが)。なので、当サイトにとって有益な背景を提供できるよう最善を尽くしてみます。

私は1967年生まれで、とても感受性が強く知的で夢見がちな子供でした。「私はどこから来たのか?」「私はなぜここにいるのか?」「私はどこへ行くのか?」といった疑問でいつも頭がいっぱいだったので、科学と理性を真理の源とみなす文化に埋め込まれていた私は、もちろん答えを「解き明かそう」としました。私はイェール大学で数学と哲学の学位を取得して卒業しましたが、いくら理性と知性を発達させても本当に関心のある真理に近づくことはできませんでした。

私の探求には感情的な側面もありました。私は幼い頃からこの世は何か間違っていると感じていました。教室で演習をやっていると、私の中の一部が反抗しました。「こんなことをしている場合じゃない!こんなふうになっているはずじゃない!」それはまだぼんやりとした思いで、憤りと困惑の雲に包まれていました。この認識があったので、生態系の破壊と社会の不公正に対する気付きの高まりも手伝って、私は普通のキャリアを心から受け入れることができませんでした。

自分が何を求めているのかは分かりませんでしたが、イェール大学を卒業した私に差し出される人生の選択肢は、どれも魅力的とは思えませんでした。私は台湾に渡り、中国語を学び、まもなく翻訳者として働くようになりました。私は20代のほとんどをそこで過ごし、東洋のスピリチュアルな伝統について幅広く学びました(といっても猛烈に勉強したわけではなく、染み込んできたと言った方がぴったりきます)。健康、栄養、グローバル化、精神世界、物理学、生物学など、本もむさぼるように読みました。翻訳が他の仕事につながり、私はこのような人生体験を良く知るようになりました。台湾では、私の親愛なる友人であり前妻であるパッツィーと出会い、3人の息子を授かりました。2011年に再婚し、妻のステラと私の間に息子が生まれました。誰も女の子の作り方を教えてくれませんでした。

20代の後半に、私は危機が激化する長い期間に入りました。職業人としての仕事に耐えられなくなったのがきっかけでした。私にとってどうでもいい仕事をするのが耐え難いものになったのです。なぜ仕事を辞めることが無責任で非現実的で愚かなことなのか、百万もの理由が私の頭をぐるぐる回っていましたが、結局もう自分自身を納得させることはできませんでした。「こんなことをするために私はここにいるんじゃない!」という抑えがたい感情が、私の人生を支配するようになりました。そして、私は長い模索の期間に入りました。ヨガ指導者のトレーニングを受けましたが、分かったのはヨガを教えるなんて絶対やりたくないということでした。私はペンシルベニア州立大学の下っ端(正式な役職は「臨時職員2種」)として教鞭を取りましたが、 学問に対する嫌悪感を再確認しました。その後、私はほとんどの時間を自宅で過ごし、息子たちの世話をしました。

私は何がしたかったのでしょう? 私は36歳でしたが、まだ分かりませんでした。また、「この世の間違いの根源は何なのか?」という私の生涯の疑問にも答えられませんでした。そしてある日、疑問に対する答が私の中で結晶化したとき、両方の疑問が一気に解けました。こういう疑問の場合よくあることですが、答は問いよりも大きなものでした。その前提が崩れ、私の世界の秩序は変わり始めました。その「問いを超えた答」をここでは言いませんが、私はその後4年間の心血を『人類の上昇』の執筆に注ぎ、あの日に結晶化したものを一冊の本にまとめました。

「私の世界の再構築」は知的な領域に留まりませんでした。それからの5年間は、まるで出産のようなものでした。古い世界は溶解し、私を新しい世界へと産み出す陣痛は、かつて私がしがみ付いていたもの全てを崩壊させるという形をとりました。私は離婚、破産、極度の消耗を経験しました。私は「コントロールされた人生」を手放さねばなりませんでした。無力さの中で、私は助けを受け入れました。私はそれまで諦めていたものを授かりました。例えば、私はステラと出会って子供を授かり、前妻のパッツィーも含め、家族全員の間に愛があふれています。お金ではないにせよ、人との繋がりという意味で、私は豊かになりました。世界中の友人や見知らぬ人たちから届く手紙には、私の本が彼らにどのような影響を与えたのかが記され、それが私の信念の支えとなり、私の仕事への情熱を養ってくれます。

ここまで書いた私の経歴だと、自分が成功の高みに達し全ての過ちは過去のものとなったように暗示してしまいます。まあ、私は全てを解き明かした男ではありません。コロナ禍の間、私は再び内外両面の解体を目の当たりにする機会に遭遇しました。社会を襲う災難を目の当たりにして、何ヶ月にもわたる麻痺したような落胆を経験しました。それは私が何年もの間、終わりに近づいていると宣言してきた「分断の時代」そのものでした。それどころか、それは新たな極限に達しようとしていました。同時に、コロナ禍への社会的反応に対する私の批評は、激しい批判、非難、キャンセルを巻き起こし、私が深く信頼する盟友だと考えていた人々も加わっていました。もしかしたら、狂ってしまったのは私であって、世界ではないのかもしれないと思いました。この疑問、疑念が私を麻痺させました。この数年間のことは最新作『コロネーション』で語っています。

私の著書などの作品が、深い霊感をもった源から生まれることは知っていますが、その源は私ではありません。むしろ、知識の世界や語られるべき物語と繋がっているような感じです。この知識は、他の誰にとってもそうであるように、私にとっての師です。私がずっと会い続けている素晴らしい人々に比べたら、私などは平凡な人間です。私も他の人と同じように学んでいるのであって、私たちの文明による刷り込みとそれが作った傷に縛られながら、「私の心が知っているもっと美しい世界」に向かって精一杯さまよっているのです。

もう一つ、私の文章の源は私ではないのですから、自分の仕事を「私の」作品とは呼びたくありません。私がやらなければ、他の誰かがやることになるでしょう。私が書いたものを知的財産の壁で囲い込むことが好きではない理由もそこにあります。このサイトにあるものは全て自由に利用できます。それを最大限に活用し、私たち全員が奉仕するのに最も適した方法で使用し、次の段階へと進化させることを私は歓迎します。

私の著書について

時々、私の4冊の著書のうちどれを最初に読むべきかと聞かれます。そんなときは、『私たちの心が実現できると知っているもっと美しい世界』を勧めますが、それはこの本が新たな社会への移行を深い物語の中に高度に凝縮して説明しているからです。

これを読めばどこに向かえばいいか分かるでしょう。『聖なる経済学』は、この移行がお金と経済とギフトの世界に適用されるとどうなるかを探求します。この本には実際の経済学に加えてお金のもつ心と魂の側面に関する資料がたくさん収められています。本の始めにこう問いかけます。「なぜお金は不正と破壊の力のように見えるのでしょう?結局それは単なる契約のシステムであり、物語でしかないのに。」「癒やされていく地球に合った新しい物語、新しい契約のシステムとはどのようなものでしょうか?」

人類の上昇』は、「分断の潮流が生み出したのが現在に集結する危機であり、それが新しい時代の誕生につながる」という考えを、まとまった形で初めて明らかにした本です。そこでは、生態系、医療、教育、政治など様々な危機に共通する起源を辿っていきます。それは、「間違いの根源は何なのか?」という問いに答えるため私が生涯をかけた探求の集大成でした。間違いというのは、現代文明のあらゆる制度に浸透しているように見える間違いのことです。このような問いではよくあることですが、その答は問いを超えたものでした。

まだ自分が文筆家だと思うようになるずっと前に、私は『The Yoga of Eating(食のヨガ)』という薄い本を書きました。この本には後の本でまとまったものになるアイデアがまだ未熟な形で見られます。何百もの相反する栄養哲学のどれが正しいかを見極めることに頼らず食生活と向き合う、別の方法を提示します。

2017年には『気候:新たなる物語』という本を書きましたが、題名とは裏腹に、気候変動の問題をはるかに超越した内容となっています。実際、環境に関する議論が地球温暖化問題ひとつに集約されてしまうことは、環境保護運動にとって大きな過ちであると、私は主張します。本書はこの問題をめぐる普通の議論を超えて、「生きている地球」という見方に焦点を当てます。そこに描き出されるのは、あらゆるものは生きており、意識があり、神聖であるという理解を深めていく中で、私たちと自然との関係はどうあるべきかという問いです。

私の最新刊は『コロネーション』という本で、コロナ禍の最初の月に私が発表し、またたく間に広まった同名のエッセイを元にしています。当時から私が書いてきたほとんどの文章をまとめたこの本は、今日まで続く個人的かつ社会的な進化を描きます。コロナ禍には終息宣言が出されたかもしれませんが、その本当の影響はこれから出てくるのです。

ポッドキャストについて

A New and Ancient Story(新しくもいにしえの物語)』と名づけたこのポッドキャストは、不定期に放送され、仕事や物語や存在によって私にインスピレーションを与えてくれた人との対談を取り上げます。特に新しい題材が含まれている場合は、私の講演の録音を出すこともあります。対談相手の中には有名な人もいれば一見普通の人もいますし、あまりにも先を行っているため何年たっても知られることがないかもしれない人もいます。その中には、積極的行動や、科学、あらゆる種類の癒し、(広義の)テクノロジーにおいて最先端を行く人々が含まれています。

真にパラダイムを打ち破るような仕事は、一見すると薄っぺらで、無責任で、単純素朴で、そうでなければ疑わしいと思われがちです。私たちはそれを受け入れ信じたいのですが、同時に、騙されやすい人や愚か者の仲間入りをしたくないので、それを恐れるのです。この問題を複雑にしているのは、新たな物語のためのテクノロジーを何の根拠も持たずに開発したり実践したりする人々が数多くいるということです。このポッドキャストは、革新者イノベーター先見者ビジョナリー、変革をもたらす者、辺境で活動する者、誠実な語り部を紹介するために、私が選りすぐって監修したものです。

セミナーと講座について

人々が以前より本を読まなくなっていることに、私は気づきました。私が扱うアイデアの多くは、一本のビデオやエッセイでは十分に伝えきれないため、講座や対談シリーズという形で、より長いオンライン作品を制作しています。私の本の代わりになるものではありませんが、さまざまな学習スタイルに対応でき、多くの点でより効果的だと思います。これらは二つの意味で共同作業でもあります。私が少人数の同僚たちと共同制作するという意味で、またコースの参加者同士が交流し、時折ライブ通話を通じて私とも交流するという意味でも。


原文リンク:https://charleseisenstein.org/about/

このコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下でライセンスされています。コピーや共有はご自由にどうぞ。


いいなと思ったら応援しよう!