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【聖なる経済学】 貨幣の縮小、富の拡大

訳者コメント:
著作権など知的財産の領域でパブリックドメインという言葉がありますが、これはチャールズが言う文化的コモンズに相当するものです。ソフトウエアプログラムの世界ではオープンソースソフトウエアがあり、2000年代の頃はフリーウエアやシェアウエアが大きなジャンルを形成していました。チャールズもこのムードの中で本節を執筆したのだと思います。しかしスマートフォンの時代になり、アプリストアを経由しないとインストールできないという「囲い込み」が行われた結果、フリーウエア文化は退潮してしまったようです。知的財産権は所有と独占によって富を得るというパラダイムから発したものですが、本質的にあらゆる知的財産は無限にコピーされ広がっていくものです。知的財産が共有財であり、社会の富であるという考えに立てば、コピー自体は自由であり、それを生み出すことで社会に貢献した人々が報われ、暮らしが成り立つような社会の仕組みが必要なのです。
 引用の中で言及される「エンカルタ」は、マイクロソフトが1993年から2009年まで製作・販売していた電子百科事典で、ウインドウズOSの付属CD-ROMという形で提供されたり、有償のオンライン版になったりしました。私が特に気に入っていたのはエンカルタ・ディクショナリという英英辞典で、現代英語の使用頻度順に解説されているため、非常に分かりやすいものでした。しかし2009年の撤退と共にオンライン版が消滅し、以後どこにも公開されることが無くなってしまいました。私企業が独占する知識というのは、このような危うさを持っています。


貨幣の縮小、富の拡大

今日、経済不況は政策立案者にとって恐怖の対象であり、それを失業、貧困、社会不安と結びつけて考えるのは当然です。私が既に説明したように、マイナス金利制度は経済縮小時でも信用の循環を可能にし、それによって富の二極化とデフレのスパイラルを回避できるのです。それでもなお、多くの人々はマイナスの経済成長を求める声に愕然とするでしょう。それは本質的に、社会が貧しくなることを意味するのではないか。それは本質的に、公共の利益のために利用できる財やサービスの量が減少することを意味するのではないか、と。

いいえ、そうとも限りません。本質的にマイナスの経済成長が意味するのは、「お金と交換される」財やサービスが減少することです。もしそれらがお金以外の非貨幣的な何らかの仕組みを通じて提供されるのであれば、統計上の「経済」が縮小する一方で、実体経済、つまり人々が互いに作り出し、行う活動は、豊かになるのです。

単刀直入に言いますが、この本で私が提唱するのは経済の縮小、それも数十年あるいは数世紀にわたる後退リセッションです。もちろん、景気の「後退」という言葉は今日では否定的な意味合いで使われますが、実際には単に退く時を意味するだけです。強調しておきたいのは、地球のために生活の質を犠牲にしなければならないと言っているわけではないことです。むしろ、お金の役割を縮小する以外のことは必要ありません。もし私たちの未来に、人間同士の分かち合いの形が多様化するならば、経済成長はもはや今日と同じ意味を持ちません。私たちは、利他の心で自分を犠牲にして、他者のために自分の利益を手放す必要はありません。お金が自己利益だという私たちの思い込みは、なんと強いことでしょう。しかし、それはもはや必然ではありません。お金の領域が縮小することで、いかに私たち全員が豊かになれるか、いくつかの例を通して説明しましょう。

今日では既に、ごくわずかな資金で運営される巨大なソフトウェア産業が存在します。私は本書をOpenOfficeというソフトウェアパッケージを使って書いていますが、価格はなく自発的な寄付が求められるだけで、開発したのは主に無報酬のプログラマーのコミュニティです。こうしたプログラマーが受け取る「報酬」は金銭ではなく、仲間からの尊敬、いわば社会的な通貨なのだと言えるかもしれません。私はむしろ彼らの生産性を贈与ギフト経済と捉え、それがコミュニティメンバー間の尊敬と感謝を自然に生み出すと考えています。いずれにせよ、この生産形態はGDP統計には反映されません。縮小していく「経済」は簡単に実現でき、このような製品はますます改良され、供給量はますます増えるでしょう。そして、こうした製品が増えれば増えればお金の必要性は減り、お金の必要性が減れば余暇が増え、余暇が増えれば増えるほど、贈与ギフト経済に自ら貢献する余裕が生まれるのです。

多くの種類の商品において、生産の限界費用〔製品を1つ追加で作るときにかかる、追加の費用〕は事実上ゼロになっています。これは、ソフトウェア、音楽、映画など、ほぼすべてのデジタル製品に当てはまります。最初の1個の生産にはかなりの費用がかかるかもしれませんが、それ以降は1個当たりのコストは実質的にゼロです。そのため、業界は著作権保護やデジタル著作権管理制度などを通じて、人為的な希少性を作り出そうとしてきました。デジタル・コンテンツの制作者に報いる唯一の方法が、その恩恵を受けられる人数を抑制することだというのは、全く不合理です。存在するすべての映画、音楽、ソフトウェアプログラムを、誰もが利用できるはずであり、それでも制作者のコストは現在と変わらないはずです。希少性のない商品の対価は、希少な通貨で支払われるべきではありません。実際、希少性のない商品の多くは、人為的な希少性を維持しようとする試みを諦め、代わりに自発的な支払いを求めたり、広告を販売したり、技術サポートやトレーニング、あるいは音楽の場合はライブコンサートの料金を請求したりすることで収益を上げようとしています。時間や注目、コンサート会場の席などはすべて希少な資源であり、お金の領域にずっと容易に収まります。しかし、最終的な結果は経済の脱成長です。ある著者は次のように述べています。

彼らの基本的な考え方は、無料コンテンツを利用して収益化された付帯的サービスを宣伝するというもので、そのアイデア自体は素晴らしい。例えば、Linuxディストリビューションが技術サポートやカスタマイズを提供したり、音楽会社が便利な場所で正規版を販売したり、Phish〔フィッシュ、60年代ヒッピーの流れを汲むロックバンド〕がコンサートチケットを販売したりといった具合だ。しかし、彼らが十分に対処できていない点が一つある。それは、こうした付帯的サービスから得られる現金の総額が、専有・私有プロプライエタリコンテンツがもたらした現金よりも少ないということだ。…エンカルタ〔マイクロソフトが1993年から2009年まで製作・販売していた電子百科事典〕の売上は、それが破壊したブリタニカ百科事典などの交換価値に見合うだけの現金をもたらさなかった。そしてウィキペディアは、紙媒体の百科事典とエンカルタの両方にとって、数十億ドルもの正味収益価値を破壊した。[3]

この傾向が続けば、私たちはまさに、より大きな富とより小さな(貨幣)経済が共存する完璧な例を目にすることになるでしょう。

デジタル商品は、より一般的な現象の極端な例です。他の多くの製品も、限界費用がほぼゼロに近づく傾向を示しています。ほとんどの医薬品の実際の限界生産費用は、1錠あたりわずか数セントです。ネジのような大量生産される工業製品でさえ、以前よりはるかに安価になっていて、それは金銭面や人件費だけでなく、場合によってはエネルギー投入量においても当てはまります。これは、数十年、あるいは数世紀にわたる技術革新の蓄積によるものです。これは神から与えられた遺産のもう一つの側面であり、この場合は自然ではなく文化ですが、全人類が等しく恩恵を受ける権利を持っているのです。

神聖な経済への進化は、より全般的な文明の変革の一部です。同様の変化が、医学、教育、農業、政府、科学、そして私たちの文化のあらゆる制度に起こっています。それぞれの領域の変化が、他の領域の変化を強めます。自然療法への移行による経済的な影響も同じです。ほんの1、2世紀前なら、医療費を支払う人はごく少数で、ほとんどの医療は民間療法家、薬草医、そして一般的な病気の場合は祖母や近所の人々といった非公式な繋がりによって提供されていました。薬草の知識は広く普及しており、通常は無償で利用されていました。たとえ完全にプロの仕事になったとしても、薬草療法(およびその他のほとんどの自然療法)の収益性は、ハイテク医療に比べてはるかに低いものです。医薬品の製造に用いられる複雑で高度な技術プロセスに比べ、植物薬は安価に製造できます。最も優れた薬用植物の多くは、ほとんどありふれた雑草です。薬草療法、ホメオパシー療法、そして今日隆盛を極めている無数の心身療法への移行は、経済の脱成長を約束するものの、私たちの生活の質を必然的に低下させるものではありません[4]。

経済成長の縮小が見込まれるもう一つの分野は、建築と都市計画です。過去2世代にわたって拡大し、人々を疎外してきた郊外は、コミュニティ、自然、そして場所とのつながりを断ち切るだけでなく、膨大な資源消費を必要とします。しかし今、都市計画家や建設業者が再認識し始めているのは、高密度な都市計画、より小さな住居、公共交通に適した配置、そして自動車での移動をあまり必要としない多目的開発の利点です。こうした変化はすべて経済の縮小につながります。道路、ガソリン、木材などの「財」の必要量が減るからです。より活気のある公共空間が増えることで、人々が巨大な私有空間に住む必要性も減ります。コミュニティで暮らす人々は、外部で作られた娯楽への依存度が減るとともに、互いに分かち合い、助け合う機会が増えます。これらすべてが意味するのは、お金を介する活動が減ることです。


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注:
3. キャロン、「豊かさは効用を生み出すが、交換価値を破壊する
4. 確かに、技術医療が優れている分野もあります。現代人を苦しめる慢性疾患のほとんどを治療する上では植物薬に劣るものの、ほとんどの緊急事態においては比類のない効果を発揮します。私は技術医療の廃止を主張しているのではなく、本来あるべき領域へと退くよう提唱しているのです。これは、現代社会を支配する他の多くの肥大化した組織にも当てはまります。

原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-13-steady-state-and-degrowth-economics/


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