遺伝子で満ちた世界(後)
訳者コメント:
後半では生命起源の話が宇宙へと広がっていきます。実験室で自然発生することのない生命は、地球外からもたらされたとするパンスペルミア説と、その前提となる定常宇宙論。そこから見えてくるのは、開放系こそが生命を育むということ。科学は閉鎖系しか相手にできないので、生命の起源に迫ることができず、テクノロジーは閉鎖系しか念頭にないので、それが作り出した文明社会は反生命的なのです。
(お読み下さい:訳者からのお知らせ)
(前半から続く)
正統派遺伝学の主張では、進化の速度は遅いので、生物種としての人類は2万年前の石器時代の祖先と本質的に違いは無いとされています。しかし、もしウイルスDNAが生殖細胞系列へと当たり前のように取り込まれるなら、文明のもたらす疫病は種分化の一因であり、農耕によってのみ生じる人口集中によって引き起こされるとも考えられます。もしかすると人類は今現在も種分化の途上にあるのでしょうか? そしてもしブルース・リプトンが主張するように、私たちの感情や思考や信念がDNAを改変できるなら、種分化は選択の問題ですら有り得るのでしょうか? 私たちには文字通り自分が選んだものになる可能性があるのでしょうか? 憶測の域に踏み込んだことは分かっていますが、それでもこの可能性の比喩的意味は深いものがあります。私たちは自分の生物学的特徴に縛られているわけではありません。一生の間に新しい生物学的特徴を身に付けることができるのです。他の遺伝に縛られているわけでもありません。私たちは自分自身を自由に創り出すことができるのです。
生物個体のレベルで遺伝子の水平伝播が提示する進化のモデルは、主としてランダム突然変異によるのではなく、すでに存在する外部DNAの取り込みによって進化するものです。これが還元不能な複雑さに関連する多くの問題への答となるのは、有り得ないような突然変異がタイミングよく同時に起こる必要がないからです。必要な遺伝子は取り込めばよく、必要な時まで非発現の形で保管しておくことさえ可能です。また遺伝子水平伝播が至るところに存在していることが示唆するのは、バクテリアやウイルスといった他の生命体との新たな関わり方と(この問題は第7章で掘り下げていきます)、生物学の領域外での新しい進歩のモデルです。
遺伝子の水平伝播は個別ばらばらの自己というイデオロギーの生物学的基盤を取り除きます。それが示唆するのは「相互存在」とでも呼べるような新しい自己、新しいアイデンティティです。これは単なる生命体同士の相互依存関係よりもはるかに親密な関係です。遺伝子水平伝播のおかげで、私たちは皆お互いの存在に組み込まれているのです。次章で見るように、人間の技術、医療、経済に対する精神的・比喩的な意味は深いものがあります。
水平遺伝子伝播が遺伝子レベルの新奇性の起源という問題を解決してくれないのは、その遺伝子はどこか他から来たものだからです。もし水平遺伝子伝播が主役なら、多くの遺伝子は発現する何百万年も前から存在していたことになります。実際、単細胞の襟鞭毛虫から発見された遺伝子は、以前は多細胞動物にだけ存在すると考えられていたタンパク質を合成するもので、襟鞭毛虫での機能は知られていません[60]。もうひとつ、より一般的な謎は、ホメオティック遺伝子(胚発生を調整する遺伝子)が、それが調整すべき特徴の構造に関する遺伝子よりもずっと前に出現していたことです。例えば、眼の胚における発生を調整する遺伝子は、眼を構成するタンパク質の遺伝子よりも古いのです。ブリッグ・クライスがうまくまとめています。「ネオダーウィニズムでは、胚発生調整遺伝子がその調整すべき発生学的ステップの出現する前に出現することを説明するのは難しい。それは、自動車が発明される前に自動車製造工場の設計図が手元にあったと言うようなものだ。[61]」上記のどちらの場合も、ダーウィンの自然淘汰が働くようなものは何もなく、その遺伝子が存続する理由もありません。何の機能も持っていないのに、どんな生存上の利点があるというのでしょうか?
有益な機能が発現していないにもかかわらず遺伝子がゲノムに存在し続けることは、ダーウィン進化論と完全に矛盾します。そのような遺伝子を何兆もの役に立たない変種の中から選び取るものは何なのでしょうか? 奇妙なことに、200塩基対以上のDNAからなる「超保存エレメント」が発見されていて、これはラット、マウス、ヒト、イヌ、魚のゲノムに全く同じものが存在しますが、いかなるタンパク質もコードせず、いかなる調整機能も示しません。実際、マウスの遺伝子からこれらの配列を取り除いても、マウスは全く何の異常も示しません[62]。では、いったいどのような選択的メカニズムが、事実上突然変異しない(「バックグラウンド 」と呼ばれる突然変異率をはるかに下回る)これらの配列を何億年もの間維持し続けることができたのでしょうか? 生存や生殖に影響しないのに、なぜそんなに重要なのでしょうか? 明らかに、他の選択メカニズムが働いています。ダーウィニズムが暗示する生存は、生命の目的ではありません[63]。
ブリッグ・クライスの推測では、このような遺伝子が実は「水平的に獲得された遺伝プログラムを認識し、インストールし、組み立て、活性化させることのできる高レベルのソフトウェア」なのです[64]。つまり、これらは進化の目的を司る主体なのであり、個々の生物や遺伝子を超越したニーズに応えているということになります。
クライスは、フレッド・ホイルとチャンドラ・ウィクラマシンゲが提唱したパンスペルミア説の支持者ですが、それによれば、地球上の生命は宇宙から来た生物学的物質の種子から生まれたというのです。謎に包まれた遺伝的新奇性の起源はさておき、隕石から複雑な有機分子が発見され、星間塵の分光分析が細菌の胞子の存在と一致するなど、生命が地球外起源であることを示す兆候は確かにあります。もちろん、パンスペルミア説も宇宙論的なスケールで見れば生命の起源を説明するには不十分で、それは地球が形成される前まで問題を押し戻すだけだからです。もし生命が地球上で始まったのでなければ、どこか別の所で始まったはず…でしょう? あっという間に(地球の年齢のわずか3〜4倍で)ビッグバンにぶつかり、以前と変わらない組み合わせ論的な可能性の問題が発生するのです。だからこそ、パンスペルミア説を唱える人々は定常宇宙論のような代替宇宙モデルを支持しているのです。その場合、生命は始まったのではなく常にここにあったのであり、宇宙に備わる性質なのです。
直線的な思考の持ち主にとって、生命が常に存在し始まりがないというのは、極めて刺激的な概念です。(少なくとも、私自身の直線的な心は揺さぶられます。)原始人は循環という観点から物事を考え時間を超越した世界に生きていましたが、現代人は宇宙を含む全ての物事には始めと終わりがあると理解していて、ちょうど私たちの生活様式では原材料を直線的に消費し、最終的には役に立たない廃棄物となるのと同じです。標準的な宇宙論がまさにこのモデルを事実と想定しているのは決して偶然ではないでしょう。宇宙は熱力学的にエントロピーの低い状態で始まり、使用可能なエネルギーがすべて消費されると「熱的な死」で終わるのです。エントロピーは常に増大するという熱力学の第二法則は、家畜化というイデオロギーの究極の表現です。自然は悪であり、抵抗すべき力なのです。私たちが打ち立てる独立した人間の領域、秩序の領域は、混沌の力に対抗する絶え間ない永遠の努力がなければ維持できません。第二法則に込められた絶望が感じられるでしょうか? エントロピーに打ち勝つのは、天まで届く塔を建てること以上に不可能です。
絶え間なく創造され続ける宇宙とは、どれほど異質なものでしょうか。その宇宙では新しい物質と新しい秩序が絶え間なく生まれ続け、死へ向かうエントロピーの傾向と完璧に釣り合っているのです。それは生きている宇宙であり、豊穣な宇宙であり、狩猟採集民の自然に対する見方、つまり限りなく続く天の恵みという摂理に合致する宇宙でしょう。切り離された人間の領域を作る必要はありません。その代わりに、私たちは自然の領域の拡大に目を向けることができます。もはや天空への塔を建てようと努力する必要はなくなり、空はもう私たちの周りにあるということに気付くのです。秩序と創造性と誕生は自然の中にあり、数学や物理学や生物学に織り込まれています。到達不可能で永遠に遠ざかっていく天を目指して塔を建てるのではなく、高さよりも美を追求した別の種類の大建造物を目指すのです。
もし人類が今、自然の巡りを否定しない生き方へと移行しつつあるのなら、ビッグバンは直感的な魅力を失うかもしれません。(ビッグバン理論の外面にはすでに亀裂が入っていて、天文学者ホルトン・アープとプラズマ物理学者ハンネス・アルヴェーンの研究に顕著です[65]。)生命の起源と進化をめぐる議論には、宇宙論的・哲学的な深い問題が埋め込まれています。宇宙は有限でしょうか無限でしょうか? 創造されたものでしょうか、それとも永遠でしょうか? 無作為でしょうか、それとも目的を持っているのでしょうか? あるいは、もしかするとこのような二元性さえも最終的には崩壊してしまうのでしょうか?
私がパンスペルミア説を問題視しているのは、インテリジェント・デザインが進化のために神の(つまり、自然の外からの)計画を仮定しているのと同じように、パンスペルミア説が遺伝子の新奇性という奇跡を地球の外から来たと説明してしまうことです。両者とも一致しているのは、生命のように還元不可能な複雑さをもつ現象が自然発生的に生じることはあり得ないという点です。両者とも一致しているのは、進化の飛躍をもたらす遺伝子は、宇宙であれ神の心であれ、以前から存在していたことです。でも彼らの論理に従えば、人間の社会、経済、文化、人類圏の創発的な複雑さもまた、そのままでは起こり得なかったと考えるしかないのでしょうか? イリヤ・プリゴジンが1960年代に観察したように、秩序や組織、つまり新しい構造は、どんな非線形システムにおいても自然に生まれるのです。生命がそうではない理由があるでしょうか? インテリジェント・デザインの「創造された宇宙」と同じように、パンスペルミアの「定常状態の宇宙」は、本質的に創造的なものではなく、創造性は既に達成された事実として存在するのです。それは私の最も深いスピリチュアルな直感に反します。生命とは、まさしく創造性の本質ではないのでしょうか?
一方パンスペルミア説は、プリゴジンの研究から生まれた複雑性理論と多くの共通点があります。両者が信じているのは、宇宙が生命で満ちあふれていることです。スチュアート・カウフマンの理論と同じように、パンスペルミア説が示唆するのは、かなり広いパラメータの範囲内であれば、生命がどの惑星にも存在する可能性が、必然とは言わないまでも極めて高いということです。もし宇宙が生命で満ちているのなら、その生命の種が地球に蒔かれる可能性も非常に高くなります。一方もしスチュアート・カウフマンが間違っていて、生命が信じられないような偶然の産物であるなら、生命が他のどこかで誕生して地球にたどり着いた可能性も同様にありえないことになります。いずれにせよ、どちらの理論も私たちの宇宙が生きているという点では一致しています。
この文の中に、複雑性理論が実験室で直面する重大な困難に対する答があります。混沌から秩序が生まれるのと同じように真実なのは、共生の文脈で書いたように、「生命は不毛な孤立状態では育たない」ということです。管理実験という性質上、閉鎖系であることが必要です。ビーカーを開けたままにしておいて、中に新しい生命が誕生したと主張することはできないのです。おそらく生命を創造することを目的とした試験管やコンピューターの実験で欠けているのは種であり、最初に地球外で発した精力なのです。おそらく、閉鎖系で生命は誕生も存続もできないので、エネルギーの流入だけでなく情報の流入も必要で、宇宙全体が生きていなければ宇宙の一部も生きられないのです。私たち人間が地球上の他の生命から切り離されているわけでも、ばらばらでもないのと同じように、おそらくガイア自身が生きている宇宙に依存する半自律的な萌芽なのです。
おそらく、どちらの説も真実で、地球上の生命は二つの親を持つのです。女性の親である地球と、男性の親である天空です。私たちの宇宙は生きているのです。遺伝子や生物、生態系に劣ることなく、おそらくガイア自身もまた外部との開かれた流動的な相互作用に依存しているのです。ビーカーを密閉することで、生命起源の実験は根本的に反生命的な条件を作り出しているのです。
比喩的に言えば、私たちは実験室の管理された条件を現代の「管理下の世界」に再現したのです。生気のない物質からなる機械論的な宇宙から根本的に切り離された存在であると信じている私たちは、その気まぐれから自らを隔離し、〈テクノロジーの計画〉によって宇宙を管理下に置こうとしてきました。この企てもまた反生命的なものだということが、ますます明らかになっています。生命の落とし込みは、生態系の破壊という文字通りの意味でも、人生をお金に換えるという比喩的な意味でも、その頂点に達しています。幸いなことに、本章で科学の隅々から集めた新たなパラダイムは、反生命的ではない宇宙との新たな関わり方へと私たちを誘います。どのような社会が、ニュートン的な世界マシーンの崩壊によって出現するでしょう? 個別ばらばらの自己という人為的な境界を押し付けなくなったとき、人間の精神はどのように開花するでしょう? 人生とは目的も神聖さも意味もない物体である宇宙での生存競争だと見なすのをやめたなら、人生はどんなものになるでしょう? ここまで私が概説した第二の〈科学革命〉は、私たち自身の自己像におけるさらに大きな激変の一部に過ぎず、世界との新たな関わり方の徴候であると同時に原因でもあります。それが示すのは、「分断の時代」の終わりと、新たな「再合一の時代」の始まりという転換点です。
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注:
[60] ニコール・キング[Nicole King]ら、「Evolution of Key Cell Signaling and Adhesion Protein Families Predates Animal Origins(主要な細胞シグナル伝達および接着タンパク質ファミリーの進化は動物起源よりも古い)」、サイエンス, 第301巻, 2003年7月18日, p 361-363.
[61] ブリッグ・クライス[Klyce, Brig], 「Neo-Darwinism: The Current Paradigm(ネオダーウィニズム:現行のパラダイム)」, http://www.panspermia.org/neodarw.htm
[62] シルヴィア・パグ・ウェストパル[Westphal, Sylvia Paga’n], 「Life goes on without ‘vital’ DNA(〈不可欠な〉DNAがなくても生命は続く)」, ニュー・サイエンティスト, 2004年6月3日
[63]こだわる人たちのために付け加えておくと、ダーウィンが意味しているのは、「生命の目的は生き残ること」ではなく、「生命の目的は、自分の遺伝子を受け継ぎ、その生存とさらなる複製を確実にするために、十分に長く生き残ること」だと私は理解している。でも最初の文の方が響きがいいと思いませんか? どっちでも結果は同じですけど。
[64] http://www.panspermia.org/whatsne33.htm
[65] ホルトン・アープ[Arp, Halton], 『Seeing Red(赤方偏移)』(Aperion, 1998年)と、エリック・ラーナー[Lerner, Eric]『The Big Bang Never Happened(ビッグバンはなかった)』(Vintage, 1992年)を参照。
原文リンク:https://ascentofhumanity.com/text/chapter-6-08/

