見出し画像

【聖なる経済学】 未来を考える②

訳者コメント:
将来手に入る報酬より、いますぐ手に入る報酬を好む「時間選好」。お金を投資してしばらくの間使えなくなるよりも、いつでも使える現金(流動性)を好む「流動性選好」。この2つの好みを「我慢する」ことで得られる報酬が「利子」だと考えられています。ここには深い前提があって、人間や自然の本性は「悪」であって克服すべきものであることと、欲望には際限が無いことです。この二つとも、現在の人間観や世界観から発生した、副次的なものであることが語られます。

①から続く

もちろん、長期的な思考が適切でない場合もあります。将来よりも今すぐ満たしたいニーズは数多くあります。飢えているなら、1年後に100食もらえるよりも、今日の1食の方が良いでしょう。オーストリア学派の経済学に顕著ですが、より一般的には新古典派経済学も、このような例から類推して、今すぐにできるだけ多く消費したいというのが人間の本性だと主張します。彼らの見方では、利子は消費を先延ばしにすることに対する一種の補償、つまり満足を遅らせることに対する報酬です。言い換えれば、読者の皆さんは今すぐにすべてのお金を使うことで効用を最大化したいと思っているでしょうけれど、そうしないように押し留めるのは、後でもっと多くのお金が手に入ることを知っているからで、それは利子のおかげなのです。これは経済学では「時間選好説」として知られています。時間選好、つまり私たちが即時消費を好むとされるこの仮説は、1930年代にポール・サミュエルソンによって発展し、今日の主流経済理論のほとんどの基礎となっている割引効用モデルにとって極めて重要です。また、ケインズに対する現代の多くの「反論」にとっても極めて重要です。さらに、私が見つけた唯一のデマレージに基づく通貨に関する数理経済学の論文では、そのような通貨が公共の福祉を損なうという(もっともらしい)証明を構築する上で、時間選好説が重要な要因となっていました[38]。

私が使ったケインズ主義の論理は、時間選好を最小限に抑えるものです。ケインズは時間選好を完全に否定したわけではありませんが、人間は収入が増えるにつれて、収入に占める支出の割合が少なくなるという自然な傾向があると述べています。あなたがもし飢えているなら、収入のすべてをすぐに食料に費やすのは当然のことでしょう。差し迫ったニーズを満たすのに十分なお金があれば、余剰分を本や娯楽に使うかもしれません。そうした欲求が満たされたら、もしかしたらロールス・ロイスを買うのかもしれません。しかし、収入が多ければ多いほど、それを使う緊急度は低くなります。したがってケインズは、消費を先延ばしにするためのインセンティブ(利子)がなくても人々は貯蓄する性向を持っていると考えました。実際、彼はこの貯蓄性向が富の集中につながれば、その影響は破壊的なものになり得ると考えていました。だからこそ、彼は低金利、あるいはマイナス金利にさえ賛同していたのです。

1930年代後半から1940年代にかけての文献をいくつか読んでみると、主流派経済学者によるケインズへの批判の激しさと、それを隠そうともしない感情的な側面に驚かされました[39]。こうした傲慢な態度は、新しい理論がその分野の中核をなす原則を疑問視していると正統派経済学者が直感したとき、あらゆる議論で典型的に見られるものです。ケインズの理論は、少なくとも二つの非常に深刻な疑問を投げかけます。第一に、貯蓄への自然な傾向という彼の考えは、貨幣自体が限界効用逓減の法則に従う、つまり、貨幣を多く持てば持つほど追加の1ドルが自分にとって有用ではなくなると主張しているようなものです[40]。これは私にとって自明に思えますが、貨幣と個人や社会の効用との間に線形方程式を立てる古典派経済学者にとっては、どうやら自明ではないようです。実際、彼らは貨幣をそのように定義し、人間は貨幣の最大化によって自己利益の最大化を追求するという基本的な仮定を述べるのです。

貨幣と効用(つまり「善」)の関係を表す線形方程式を否定するならば、経済成長の最大化によって公共の利益を最大化できるという、確固としたイデオロギーまでも否定することになります。富の最大化を目指す資本主義は役に立つという議論も否定し、代わりに富の公平な分配を重視する考え方に道を開くことになります。数学的に言えば、貨幣が限界効用逓減の法則に従うなら、貨幣の最適な分配は、可能な限り公平な分配ということになります。富裕層から富を取り上げて再分配することに正当化を与えるケインズ主義思想は、当然のことながら、富裕層イデオロギーの信奉者にとっては忌まわしいものとなります。

しかし、ケインズの流動性選好に関する見方は、それよりもさらに深い課題を示唆します。逆の見解をもう一度考えてみましょう。古典派経済学者やオーストリア学派の支持者に代表される、人間は生まれつき浪費家であるという考え方です。19世紀の経済学者ナッソー・ウィリアム・シーニアは、「自分の力で享受できる快楽を控えること、あるいは目先の成果ではなく遠い成果を求めることは、人間の意志の行使として最も苦痛に満ちたものの一つである」と述べています[41]。ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスの信奉者による、より最近の例を挙げましょう。

過去の貯蓄、すなわち現在の財の〈消費をある程度控えること〉(現在の生産が現在の消費を上回ること)なしに、貸付資金の供給は存在し得ないだろう。…利子や時間選好率は存在しないだろう。あるいはむしろ、利子率は無限に高くなり、それは、エデンの園以外の場所では、〈単なる動物的な生活〉、つまり素手と〈刹那的な満足を求める欲望〉だけでで現実と向き合い、原始的な生活を耐え忍ぶことに等しいだろう。[42]

つまり、利子とは倹約と自制に対する報酬なのです。この考え方に残響するのは、深く隠されたイデオロギーで、それが私たちの文明の根底をなしているのです。例えば、人間の進歩は、精神的にも物質的にも自然との戦いに勝利することによってもたらされるという考え方です。つまり、外には自然の力、内には欲望、快楽、動物的な衝動があって、これらに打ち勝たねばならないのです。このイデオロギーによれば、禁欲は高尚な美徳となり、禁欲がなければ我々は動物と何ら変わりません。自然から切り離され、より優れた人間界へと昇り詰めることもできません。カール・マルクスはこう述べています。

金銭崇拝のカルトには、禁欲主義、自己否定、自己犠牲といった側面がある。それはつまり、倹約と節約であり、世俗的で一時的な、束の間の快楽への軽蔑であり、永遠の宝を追い求めることである。したがって、イギリスのピューリタニズム、あるいはオランダのプロテスタント主義は、金儲けと結び付くのだ。[43]

この心理構造メンタリティは私たちの文化に深く浸透しています。満足は先送りしなければなりません。欲望を抑え、将来の報酬のことを考なければなりません。今の痛みは将来の利益。良い成績のために宿題をやる。給料のために働く。健康のためには運動。痩せるためにはダイエット。収入の良い仕事に人生を捧げれば、今は夢中になれない仕事でも、楽しい老後を送れるはず。こうしたあらゆる場面で、私たちは怠惰や我がままを克服するため、脅しと動機づけという仕組みを適用しています。利子は、自己との戦い、つまり無計画な浪費を克服するための動機付けとなるのです。

しかし、これは本当に人間の本性なのでしょうか。他人、他の生き物、あるいは自分自身の未来を顧みずに消費し、さらに過剰消費することが、本当に私たちの本性なのでしょうか。いいえ、そうではありません。古代ギリシャ人は、人間の本性について過度に寛容な見方をしなかった点で正しかったのです。アリストパネスが言ったように、パン、ワイン、セックスなど、あらゆるものには満腹感、飽和感があります。私たちのニーズは限られており、それを満たすと、他のものに目を向け、気前の良さへと駆り立てられます。「しかし、お金には満腹感がない」のです。消費する傾向に限界がないのではなく、逆に、際限のない欲望がお金に伴って生じるのです。過剰なほどの消費財を手に入れた後、人々はお金で買えるものではなく、お金そのものを欲しがるようになり、この欲望に限界がないのです。新古典派経済学(およびオーストリア学派)はこの点について逆の考え方をしており、ゲゼルとケインズが正しかったのは、お金への欲望を際限ないものにしている特有の性質を、少なくともいくつか取り除こうとしたことです。ケインズが認識していた、そして実際に明言していたのは、流動性選好が時間選好よりも優位であるということが、「心理法則」と彼が呼ぶ理論の根幹をなす前提であることでした。

もちろん、一部の人々、例えば食物依存者、セックス依存者、アルコール依存者にとっては、アリストパネスが挙げたこれらのものに満足感を得ることは決してないでしょう。これは結局、人間は貪欲だということを証明するのでしょうか。実は、依存症の例が浮き彫りにするのは、お金の何が問題なのかということです。依存症が起こるのは、私たちが本当に求め必要とするものの代用品として何かを使うときです。例えば、食物は人とのつながりの代用品、セックスは感情的な親密さの代用品といった具合です。普遍的な目的としてのお金は、他の多くのものの代用品となり、貨幣経済が破壊してきたもの、つまりコミュニティ、場所とのつながり、自然とのつながり、余暇など多くのものの代用品となるのです。

貨幣の「流動性」とは、要するに貨幣を他の何とでも容易に交換できることを意味します。実際には貨幣経済において、交換手段(貨幣)を介して、それほど容易ではないにしても、あらゆる商品を他のあらゆる商品と交換できます。では、なぜ私たちは商品よりも貨幣を好むのでしょうか。迅速に満たさなければならないニーズがある場合は、少量の交換手段を手元に置いておくことが正当化されます。しかしこれを除けば、貨幣を好む唯一の理由は、保管中に減損しないことです。貨幣の不滅性によって、貨幣は普遍的な手段だけでなく、普遍的な目的にもなるのです。貨幣を非永続的なものとすることで、私たちは貨幣を手段としては維持しますが、目的としては放棄します。そうすることで、私たちがこれまで知っていたものとは根本的に異なる富の概念が生まれるのです。


前< 未来を考える①
目次
次> 私の分が増えればあなたの分も増える

注:
38. ゲルハルト・レスル「ドイツにおける地域通貨」。
39. 例えば、ホールデン「ケインズ氏の消費関数と時間選好の公理」を参照。この論文では、問題となっているイデオロギー的原理が説明されていて、「心理法則」と表記されています。
40. 限界効用の逓減は、しばしば肥料の施用を例に説明されます。最初の1トンで収穫量は2倍になり、次の1トンで収穫量が10%増加し、その次はわずか1%の増加、といった具合です。これは非常に一般的な原則です。お金にも当てはまらない理由があるでしょうか。
41. シーニア、 『政治経済学概論』(1836年)、ジョン・D・ハンドンとデイビッド・ヨシフォン「状況的性格:人間動物に対する批判的リアリズムの視点」p. 76 に引用。意志の苦痛を伴う努力が称賛に値する美徳であるという含意に気づかざるを得ません。
42. ホッペ、ハンス=ヘルマン。「ケインズに対するミーゼスの反論」強調は筆者による。
43. マルクス、『経済学批判要綱』230ページ。

原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-12-negative-interest-economics/

翻訳メモ:
wanton improvidence:無計画な浪費。wanton 放縦な、improvidence 無計画。

いいなと思ったら応援しよう!