【聖なる経済学】 欠乏という幻想③
訳者コメント:
自由とはお金があること。時は金なり。時を売って金を得る。すると自由とは時が無いこと。何という矛盾でしょうか。自由を求めて奴隷になってしまう。
経済成長とは商取引の領域が拡大すること。そのためには無償でやり取りされていたものを取り上げて、お金で買うことを強制すればいいのです。育児しかり、介護しかり、食品衛生法の改正によって手作りの漬物が流通禁止になるのも、みんな経済成長のためなのです。
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(②から続く)
過剰な物に囲まれて、豊かな国に住む私たちでさえ、あらゆるところに染み渡る不安の中に生きていて、「経済的安定」を渇望し、欠乏を追い払おうとしているのです。私たちは(お金と無関係なことでさえ)「余裕がある」かどうかで選択をし、自由と富を結びつけがちです。しかし、いざそれを追い求めてみると、経済的自由という楽園は幻影であり、近づくにつれて遠ざかっていくのに気づきます。そして、その追求自体が私たちを奴隷にするのです。不安は常に存在し、欠乏は一度災難に襲われたならすぐそこにあります。その追求を私たちは「貪欲」と呼びます。まさに、それは欠乏という認識に対する反応なのです。
私たちが経験する欠乏の人為的あるいは錯覚的な性質についての証拠を、今のところは決定的というよりは示唆的なものですが、もう一つ挙げておきましょう。経済学とは、教科書の1ページ目にも書いてありますが、欠乏という状況下における人間の行動を研究する学問です。したがって、経済領域の拡大は欠乏の拡大であり、かつては豊かさが特徴であった生活領域に欠乏が侵入することです。経済行動、特に金銭と商品の交換は、今日ではこれまで金銭交換の対象ではなかった領域にまで及んでいます。例えば、過去10年間で販売が大きく成長したカテゴリーの一つ、ボトル入り飲料水を考えてみましょう。地球上でどこにでもあるといえるほど豊富なものがあるとすれば、それは水ですが、今では水は希少なものとなり、私たちがお金を払って買うものとなりました。
児童保育は、私が生きてきた間に著しく経済成長した分野の一つでした。私が幼かった頃は、放課後に友人や近所の人で数時間、お互いの子どもを預かることは珍しくありませんでした。これは、子どもたちが自由に走り回っていた村や部族の時代の名残です。私の前妻パッツィーは、台湾の田舎で過ごした子供時代を感動的に語ってくれます。夕食の時間になると、子どもたちはどこでも近所の家にやって来て、ご飯を一杯もらうことができました。コミュニティーが子どもたちの面倒を見ていたのです。つまり、保育は「豊富」にあったのであり、そこに学童保育所を開設することなど不可能だったでしょう。
何かが商取引の対象となるためには、まずその欠乏を引き起こさなければなりません。経済が成長すると、当然のこととして、人間の活動はますますお金、つまり商品やサービスの領域に入ります。通常、私たちは経済成長を富の増加と結び付けますが、別の面では貧困化、つまり希少性が増大したと見ることもできます。かつてはお金を払うことなど夢にも思わなかったものに対し、今ではお金を払わなければなりません。何を使って支払うのでしょうか。もちろん、お金です。お金は、私たちが苦労と犠牲の上で手に入れるものです。希少なものがあるとすれば、それは間違いなくお金です。私の知っているほとんどの人は、お金が足りないのではないかという恐れから、常に低レベル(時には高レベル)の不安を抱えて暮らしています。そして、富裕層の不安が証明するように、どんな量でも「十分」ということはありません。
この観点から見ると、「20億人以上が1日2ドル未満で暮らしている」というような事実に憤慨することにも慎重であるべきです。現金収入が少ないということは、例えば伝統的な互恵や贈与といったネットワークを通して、貨幣経済の外でニーズが満たされていることを意味するかもしれません。このような場合の「開発」とは、貨幣によらない経済活動を商品とサービスの領域に引き込むことによって所得を増加させ、その結果として生まれる心理構造は、欠乏、競争、不安のように西洋では馴染み深いものですが、お金を持たない狩猟採集民や自給自足の農民にとっては全く無縁のものです。
この後に続く章では、何世紀にもわたって生命と世界が貨幣へと転換され、あらゆるものが徐々に商品化されてきた仕組みとその意味を解説します。あらゆるものが貨幣の支配下に置かれると、貨幣の希少性は人間の生命と幸福の基盤を含め、あらゆるものを希少にします。これはまさに奴隷の人生であり、生存の脅威に駆られて行動する生き方です。
おそらく、私たちの奴隷状態を最も深く示すのは、時間の金銭化でしょう。これは私たちの貨幣制度よりも根深い現象です。なぜなら、金銭化は時間の定量化を前提としているからです。動物や子供は「世界中の時間をすべて持っている」のです。石器時代の人々も同じだったようで、時間の概念が非常に曖昧なのが普通のことで、めったに急ぐことはありませんでした。原始的な言語には時制が欠けていることが多く、「昨日」や「明日」を表す言葉さえ存在しないこともありました。原始人が持っていた時間に対する比較的な無頓着は、村落部の伝統的な地域なら今でも見られます。大都市では生活が速く進み、時間が限られているため私たちは常に急いでいます。しかし昔なら、時間は豊富にあると感じていました。
社会が金銭化すればするほど、人々は不安で慌ただしい生活を送るようになります。貨幣経済からある程度離れた地域では、自給自足の農業が今もなお営まれ、隣人同士が助け合っているため、生活のペースはよりゆったりとしており、慌ただしさも少なくなります。メキシコの村落部では、何でも「マニャーナ(明日)」に行われるのです。ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ監督の映画『懐かしい未来(Ancient Futures)』でインタビューを受けたラダックの農民の女性が、都会に住む妹のことを語った描写が、その全てを要約しています。「妹には炊飯器、車、電話など、時間を節約する道具が何でもあるのに、私が訪ねるといつも忙しくて、話す時間さえほとんどないんです。」
動物、子供、あるいは狩猟採集民にとって、時間は本質的に無限です。しかし今日、時間も他のものと同じように金銭化の虜となり、希少なものとなりました。時間とは人生です。時間が希少だと感じるとき、私たちは人生を短く貧しいものと感じるのです。
もしあなたが生まれたのが、大人のスケジュールが子供時代に侵入し、子供たちが様々な活動を次から次へとこなすようになる前なら、もしかしたら、あなたの記憶には子供時代の主観的な永遠さ、果てしなく続く午後、カレンダーと時計が支配する前の、永遠に自由な生活の思い出が残っているかもしれません。「時計は時間を希少なものにし、人生を短くする」とジョン・ザーザンは書いています。時間が定量化されると、時間も売買できるようになり、お金に結びついたあらゆる商品の希少性は時間にも影響を与えました。「時は金なり」と諺にあるように、その二つが等しいということは「時間を買う余裕はない」という比喩によって裏付けられています。
物質世界が根本的に豊かな世界であるならば、さらに豊かなのは精神世界、すなわち人間の心が生み出した作品、歌、物語、映画、アイデア、そして知的財産と呼ばれるあらゆるものです。デジタル時代においては、それらを複製・拡散するコストは実質的にゼロであるため、金銭化の領域に留めておくためには、人工的な希少性を押し付ける必要があるのです。産業界と政府は、著作権、特許、暗号化規格、「デジタル著作権管理」によって希少性を強制し、そうした財産の所有者がそれを所有することで利益を得られるよう仕向けています。
ならば、希少性、つまり欠乏は大部分が幻想であり、文化的に作り出されたものなのです。しかし、私たちはほぼ完全に文化的に構築された世界に生きているため、この欠乏の体験は極めて現実的なものです。今日、約10億人が栄養失調に陥り、毎日約5,000人の子供が飢餓に関連する原因で亡くなっているほどです。したがって、この欠乏に対する私たちの反応、つまり不安と貪欲は、完全に理解可能なものです。何かが豊富であれば、それを分かち合うことに抵抗を感じる人は誰もいません。私たちは豊かな世界に生きているのに、私たちの認識、文化、そして深く目に見えない物語によって、その反対の形に作り変えられているのです。希少性に対する私たちの認識は、自己成就的予言〔人の信念や期待によって現実化する予想〕なのです。お金が中心的な役割を果たして構築してきたのは、希少性という自己具現化する幻想です。
豊かさを希少性へと変えたお金は、貪欲を生み出します。しかし貪欲を生むのはお金それ自体ではありません。私たちが今日使っているお金、つまり私たちの文化的な自己意識、無意識の神話、そして何千年もかけて築き上げてきた自然との敵対関係を体現するお金が貪欲を生むのです。これらすべてが今日、変化しつつあります。ならば、お金がどのようにして私たちの心と行動をこれほどまでに苦しめるようになったのかを調べ、そして心と行動が変われば貨幣制度がどのように変化するのかを想像してみましょう。
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原文リンク:https://sacred-economics.com/sacred-economics-chapter-2-the-illusion-of-scarcity/
翻訳ノート:
afford: 「買うお金の余裕がある」という意味。I can't afford〜というと「お金がないから買えない」。何かがaffordableだといえば「手頃な価格」。この表現が英語では「忙しいからできない」ようなときにも用いられます。
monetization: 「貨幣化」と訳してしまうと通貨増発による国債引き受けの意味になってしまうので、金銭化と訳しました。また「収益化」は金儲けを意味する現代ビジネス用語として少し手垢が付いているような感じがあるので避けました。ここでのニュアンスはもっと基本的なもので、時間をお金で買えるものと見なすこと、そのものです。
scarcity: 「欠乏」から「希少性」という経済学用語にだんだん移行できるよう訳してみました。
