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トマス・フミモテの、World Crazy Wars Report。戦場Ⅷ:インド。タンドゥーリ・チキンの希望と憂鬱


わたしの名前はトマス・フミモテ。ニューヨーカーのハーフ・ユダヤの、世界でいちばん臆病なジャーナリストです。Yes, I'm scared. Very scared. And still writing. これまでわたしの視点で世界を見てきました。国家運営は大変な仕事で、どの国も努力の甲斐なく固有の困難を抱えています。では、インド固有のそれはなんでしょう?

一言で言えば、タンドゥーリ・チキンの希望と憂鬱です。Don't you understand what I'm talking about? タンドゥーリ・チキンは、現代に生き残った前近代の知恵ですよ。まずね、タンドゥーリ・チキンは、鶏肉片をヨーグルトにスパイスを混ぜ込んだものに数時間漬けるところからはじまる。次に、それを長い鉄串に刺し、タンドゥーリ窯に差し込みます。窯の底には炭火が燃えています。窯の温度は300℃~500℃にも達します。鉄心から肉の中心に熱が伝わり、肉は内側からグラデーション的に火が入り、同時に他方で窯の側壁から輻射熱で加熱されます。職人は窯の蓋を開け閉めして温度を調整します。ほんの2分半ほどで職人は肉片つきの鉄串を窯の外に出し、天井から吊り下げます。ここで温度が下がり、おいしさが増します。1分後職人はふたたび窯に肉片つきの鉄串を入れ、軽く側壁に押しつけ焦げ目をつけ、グリル効果を与えます。ほんの10秒ほどの仕上げです。これでできあがりです。焼き上げられたタンドゥーリ・チキンはスパイシーでジューシーでめちゃめちゃおいしい! しかし、こんな野蛮にして洗練された調理法が現代に生き残っていることこそがインドです。下手をすれば大火傷。インドそのものがそんな社会です。しかし、インド人は(社会を変えることにはそれほど情熱を注がず、むしろ)「野蛮にして洗練された」インド社会で生き抜く技術を身に着け、生きのびてゆくのです。(わたしにはとうてい無理なことですが。)いいえ、タンドゥーリ・チキンの話ばかりしているわけにはゆきません。ダルやビリヤニがいかにおいしいかについても話ししたいところですが、しかし、我慢しなければなりません。I’m not a food journalist, you know? …Well, maybe I should be. これからインド社会の構造を語ってゆきましょう。

複雑性という名の呪縛

デリーの赤い城から見下ろすヤムナー川の向こうに、無数の言語が交錯する巨大な国が広がっています。公認言語だけで22、厳密に数えるならば400とも800とも1600とも言われる言語が飛び交う国。バンガロールのテック企業で働くソフトウェア・エンジニアのラジェシュは英語でプログラムを書き、昼食時にはカンナダ語で同僚と談笑し、家に帰れば母親とヒンディー語で電話する。連邦政府は公用語をヒンディと英語としていますが、しかしインドは広く、ヒンディを母語としない人たちは山ほどいますから、事実上の公用語は英語です。インド人はみんな英語ができると良い職につけ、給料も上がるし人物評価も上がるゆえ英語大好きですが、ただしその英語能力もまた人によって天と地ほどの開きがあります。STARBUCKSをスタルバックスなんて発音してるなんてまだいい方ですよ。この多言語性こそが、インドの豊かさであり、同時に統治の悪夢でもあります。

州の独立性も高く、たとえばケーララ州の識字率は94%を誇る一方で、ビハール州では63%に留まる。まるで別々の国が一つの屋根の下に無理やり押し込められているかのようです。

そして、かれらにはUKに好き放題植民地化されたトラウマと、それでいて隠しきれないUKへのあこがれがともにある。前述の英語大好きのみならず、役所だろうが会社だろうが階級は歴然と存在し、自分でチャイを注ぐ人などいなくって、それはメイド(小間使い)の仕事です。また、インド人はクリケットが大好き。インド 対 スリランカのクリケット試合などあろうものなら、地鳴りがするほど熱狂します。あれだけひどめにあわされたイギリスのスポーツをインド人、バングラデシュ人、スリランカ人が大好きになるのですから、人間って不思議なもの。また、アメリカ人のわたしには、クリケットのどこがおもしろいんだか、さっぱりわかりません。

カーストという見えない壁

そしてもっとも根深い問題—カースト制度です。

もっとも、もともとカーストは(その人の影を踏んでさえ穢れが移るとされる最下層民ダリットの問題を除けば)、ヨコの関係、職業組合ギルドに近いものでした。それをタテの関係に仕立て直したのは、UKがインド統治にあたって司祭職のブラミン=バラモンと手を組んでからのこと。UK自体が歴然としたカースト社会ですからね。つまりUKの植民地支配者たちは、分割統治のためにインドのカーストの階層性を利用し、タテにして固定化したのです。なお、ヒンドゥーの結婚は基本的にアレンジド・マリッジ(お見合い)で、同カースト同士で行われます。稀に、若い男女が恋愛に夢中になって、この暗黙のルールを破って異なるカースト間で結婚などしようものならば、たいへんな受難が待ち構えています。また、インドの都市や村落では、みんな職業ごとに集住しています。もっとも現代ではタワマンもありますから、むかしほどではありませんけれど。

チェンナイのIT企業で働く若いソフトウェア開発者プリヤは、上位カーストの出身です。彼女の同僚には下位カーストの優秀なエンジニアもいますが、昼食は別々に取る。「職場では平等だけれど、プライベートは別」と彼女はためらいながら言い放つ。すなわち同じカーストとのみつきあうことはヒンドゥ社会ではマナーの域に達しています。これを逸脱することはふしだらなことなのでしょう。デジタル革命は確かに一部のカーストの壁を低くしましたが、しかし、完全に取り払うには至っていません。また、たとえインド人が微笑みをもって接してくれようとも、しかしわたしのような外国人もまた、原理的にはカースト外の存在であることを忘れてはいけません。

デジタル・インディアの二面性

これだけまとまらない国に14億人が暮らしているのですから、モディ首相はヒンドゥー人口8割ゆえ、ヒンドゥー・ナショナリズムというポピュリズムでまとめるしかない、と考えるのも理解できます。(トランプと手法が似てますね。モディさんはトランプさんを大好きですものね。しかし、インドはロシアから石油を買っているゆえ、トランプから関税50パーセントをかけられちゃって、モディ首相はうろたえておられますけれど。)とはいえ、モディ首相のヒンドゥ至上主義は危ういもので、残りの2割はムスリム、クリスチャンをはじめとするたくさんの宗教徒が暮らしていますからね。

バンガロールのモスクの近くで小さなモバイル修理店を営むムスリムのファリードは、最近の状況について語ります。「ITブームで街は豊かになったが、われわれには恩恵が少ない。それどころか、ヒンドゥー至上主義の高まりでわれわれムスリムは肩身が狭くなっている」。かれの店の前を、高級車に乗ったテック企業の若い経営者たちが通り過ぎてゆきます。

モディ首相が誇る「世界最大の民主主義」の実態は、ポピュリズムによってかろうじてまとまっているに過ぎません。デジタル・インディア政策により、確かに多くの人々がスマートフォンを持ち、デジタル決済システム「UPI」を使うようになりました。しかし、この技術革新が社会の亀裂を癒やすどころか、時として新たな格差を生み出しています。

格差社会とIT革命のパラドックス

インドはものすごい格差社会であり、いまだに義務教育を受けていない子どもさえふつうに見かけます。ハイデラバードのサイバー・シティでは、ガラス張りの高層ビルでGoogleやMicrosoftのエンジニアたちが最先端の技術開発に従事している一方で、その建設現場では読み書きのできない出稼ぎ労働者たちが汗を流しています。

10歳のラヴィは、学校に通う代わりに街角でスマートフォンのアクセサリーを売っています。「勉強もしたいれど、でも、家族を養わなければならないかららね」とかれは大人びた表情で語ります。皮肉なことに、かれが売っているスマートフォン・ケースの多くは、同じインド国内のハイテク工場で製造されたものです。

知識人層の影響力の限界

インドにも知識人層はいるにはいますが、社会的影響力はほぼありません。デリー大学の社会学教授スニタは、エアコンの効いた研究室でため息をつきます。「学術界では多様性と平等について議論するが、しかし、一歩外に出れば現実は変わらない。SNSでは極端な意見ばかりが拡散され、理性的な声はかき消されてしまう」。

IT産業の急成長により、確かに新しい中間層が生まれました。しかしかれらの多くは、既存の社会問題に対しては関心を示さず、経済発展の恩恵を享受することに専念しています。バンガロールのスタートアップ創業者アニルは率直に言います。「カーストや宗教の問題は祖父母の時代のもの。ぼくらは国際的な市場で競争している」。しかし、かれのオフィスで働く清掃員は依然として下位カーストの女性たちです。

テクノロジーが映し出す社会の真実

興味深いことに、IT革命は皮肉にもインド社会の矛盾を浮き彫りにしています。世界最高水準のソフトウェア・エンジニアを輩出する一方で、デジタル・リテラシーの格差は拡大しています。農村部の農民ラメシュは、気象情報をスマートフォンで確認するようになりましたが、政府の補助金申請のオンライン化に戸惑っています。「機械は進歩したものの、わしらは置き去りにされとるわ」とかれは困惑の表情を見せます。

ムンバイのスラム街ダラヴィでは、リサイクル業に従事する家族の子どもたちが、廃棄されたスマートフォンを分解しています。グローバルIT企業の製品が最終的に行き着く場所で、次世代を担う子どもたちが有害物質にさらされているという現実。これほど皮肉な光景があるでしょうか。

結論:カオスの中の希望

インドという国は、矛盾と複雑性の塊です。最先端のテクノロジーと古代の伝統が、格差と多様性が、希望と絶望が混在する巨大な実験場。モディ首相のヒンドゥー・ナショナリズムも、IT革命も、この根深い社会の亀裂を完全に修復することはできていません。

しかし、だからこそインドは魅力的でもあります。チェンナイの若いプログラマー、ムンバイのストリート・ベンダー、デリーの大学教授、バンガロールの起業家——かれら一人一人が、この巨大な民主主義実験の一部なのです。

Yes, I'm scared. Very scared. But my mother once told me: “Tommy, if you cannot be brave, at least be honest. Fear is no sin. Lying to yourself is.”(トミー、勇気が出ないなら、せめて正直になりなさい。恐れることは罪じゃない。自分に嘘をつくのは罪よ。)
わたしはいつだって母の言葉に支えられてきました。

だから、祈ります。
どうか、このカオスの中で、ひとつでも多くの声が消されずに響きますように。
どうか、この亀裂の中から、新しい希望が芽生えますように。
そしてどうか、臆病なジャーナリストであるわたしが、正直でありつづけられますように。

Amen.




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