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第十七章 ランコ・ベイの美しい海を見ながら私は思う(ヴェトナム、たくさんの顔をひとつひとつ見つけてゆく旅――行き当たりばったり右往左往、ヴェトナム紀行)

私はランコ・ベイの美しい海を眺めながら、
ヴイ・ヴァイ・ユンと、
牡蠣に砕いたピーナッツを乗せてローストしたもの、
海鮮入りのインスタント麺炒めなどを食べ、
そして私はビールを飲んでいる。

ヴイ・ヴァイ・ユンは、ときどき自分の客を、
この海辺のフェテリアに案内するらしく、
店のマダムのレ・ベス・ディエップと親しく世間話をしている。


ランコ・ベイの海はひたすら美し、のどかで平和だ。
まるでゼンマイがほどけたように、時間がゆっくり流れている。

私は考えていた。
アンバン村の、ナンセンスに豪華な墓陵。
しかし、私にそんなことを言う資格はあるかしらん?
たぶん、ない。

1975年のサイゴン陥落のあと、
南ヴェトナムの人々の人生は大きく分かれた。
ひとつは、新体制のなかで生き残った人々。
もうひとつは、国を去った人々だ。

ヴェトナムを去った人たちのなかには、
旧南ヴェトナム軍の将校、
公務員、
知識人、
華僑の商人、
そして「ただどんな未来が待ち受けているかわからなくて
それがただ怖ろしくて仕方なかった普通の人々」がいた。
なにせ、かれらはヴェトナム戦争という内戦でもあった戦争の、
敗戦側のヴェトナム人たちなのだ。

1975年から1990年代初頭までに、
約150万~200万人がヴェトナムを離れたと推定されているそうな。

小さな木造船で南シナ海へ出る。
海賊に襲われる。
嵐で沈む。
水も食料も尽きる。
海に遺体を捨てなければならない。

国連によれば、数十万人が海で命を落としたとも言われる。

他方、生き延びた人々は、
アメリカ
フランス
オーストラリア
カナダ
ベルギー
へと渡り、新しい人生を築いた。

そして数十年後、成功した移民たちのなかには故郷へ送金し、

家族を支え、さらには自分自身のための墓を建てる人々も現れた。

つまり、アンバン村の豪華な墓陵は、単なる悪趣味ではない。
あれは、
「私たちは生き延びた。
そして私たちは帰ってきた。」
という亡命者たちの勝利の物語でもある。

そして同時に、
生き延びられなかった人々への鎮魂
でもある。

だからあの光景には、どこか悲しさがある。

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私は思い出す。
寝台バスでダラットの街へ辿りついたとき、
大音量の歌で 私を叩き起こした、
Phạm Quỳnh Anh について。
彼女もまた、そんな歴史の子どもたちのひとりなのだ。


彼女は1984年、ベルギーのリエージュで生まれた。
両親は南ヴェトナム系の難民で、戦後、ベルギーへ渡った人々だった。

つまり彼女自身は、
ヴェトナムを見たことがない。
ヴェトナム語も十分には話せなかった。
しかし、自分がどこから来たのか知りたかった。


その感情から生まれたのが、2005年の歌
Hello Vietnam
なのだ。



ベルギー。
ゴディバやピエール・マルコリーニみたいな高級ショコラ、
焼きたてのワッフル、
『冒険タンタン』・・・。
そんなベルギーとはまったく違った世界のなかで、
彼女は育ったろう。
オランダ語、フランス語、ドイツ語が飛び交う世界のなかで、
自分が果たして何者なのか、
考えずにいられたはずがない。

歌詞はとても興味深い、

私はあなたの山々を見たことがない。
あなたの川を渡ったこともない。
でも私はあなたの娘。

そんなディアスポラの切ないアイデンティティが歌われている。

この歌は、海外在住ヴェトナム人だけでなく、
本国のヴェトナム人にも深く愛された。

なぜなら、多くの人にとって、
「失われた家族」
「離散」
「再会」
という記憶そのものだったから。
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むかしから私は、ディアスポラの人たちのサヴァイヴァルの物語に弱い。

私の世代には、戦時下を生き延びた両親の世代と、
戦争を知らない私たちの世代とのあいだに、埋めがたい断絶があった。

日本に生まれ、どちらかと言えば
裕福な家庭に育った私であるにもかかわらず、
ときどき私は日本が息苦しかった。
十代の私は、ロックンロールに憧れ、
大人になったらヒッピーになろうとさえ思っていた。
いかにもまぬけな少年の考えそうなことではある。

しかし、いま思えば、私はどこか別の場所へ行きたかったのではない。
べつの生き方の可能性を探していたのだ。

そして私は、同世代のヴェトナム人たちのことを考える。
ボートピープルの子どもたち。
ベルギーで生まれた娘。
アメリカで育った息子。
かれらもまた、
「自分はどこから来たのか。」
「どこへ帰ればいいのか。」
その問いを抱えながら生きてきたのではないか。


ランコ・ベイの海は静かだ。
波はゆっくりと寄せては返す。

私はビールを飲みながら思う。
故郷とは、生まれた場所のことではないのかもしれない。
何度でも帰ろうとしてしまう場所。
あるいは、まだ見ぬまま、想像し続けてしまう場所。
そういうものなのかもしれない。

そして私は、自分と同世代のヴェトナム人たちのことを考える。

つづく

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