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第十八章 もうひとつの遺恨(ヴェトナム、たくさんの顔をひとつひとつ見つけてゆく旅――行き当たりばったり右往左往、ヴェトナム紀行)

私が贔屓にしている東京のヴェトナム料理店のマダムが、ある日、ふいに私へ言ったことがある、「私は韓国人が嫌い。戦争で、女の子や子どもたちを、ひどい殺し方で殺したから。」

私はそのとき、言葉を返せなかった。マダムはクアンチ出身である。彼女自身は一九九二年生まれで、もちろん戦争を知らない世代だ。それでも、彼女は歴史を知らずにはいられなかったのだろう。戦争は終わっても、その記憶は家族のなかに残り、土地のなかに残り、人の言葉のなかに残る。

私はフエで、彼女の言葉を思い出していた。

日本人にも、ときどき韓国が嫌いだという人を見かける。しかし、かつて日本は朝鮮半島を植民地化し、人々から言葉を奪い、名前を変えさせた。もちろん歴史は単純ではない。韓国の政治が反日感情を利用してきた面もあるだろう。それでもなお、韓国人の側に深い傷と怒りが残っていることを、私は否定できない。

それと同じように、中部ヴェトナムに生きる人々が韓国に複雑な感情を抱いていることも、私は簡単には否定できない。

韓国はアメリカの同盟国としてヴェトナム戦争に参戦した。しかし、それだけではない。韓国軍は独自の戦略を持ち、積極的に戦争へ参加した。そして中部ヴェトナムでは、民間人が犠牲になった村もあった。女や子どもたちが殺されたという証言も、今日まで語り継がれている。

もちろん、だからといって、現在の韓国人が責めを負うべきだという話ではない。また、もっとも悪かったのはアメリカではないか、と言ったところで、歴史は巻き戻らない。

戦争は、たださまざまな遺恨を残す。

そして、さらに複雑なのは、その後の話だ。

いま、ヴェトナムにはさまざまな形で韓国資本が入っている。ダナンの街はその刷新のスタイルが韓国的だし、ヴェトナムには韓国企業の工場があり、韓国の化粧品が売られ、韓国料理店があり、韓国ドラマが流れている。

カネの流れに国境はない。
また、世代も替わってゆく。

私はハノイで、K-POPが大好きだから韓国語を勉強しているという大学生の女の子と出会った。彼女にとって韓国とは、戦争の記憶ではなく、音楽であり、ファッションであり、憧れの国なのだ。

私は、そのことを不思議だとは思わない。
むしろ、それが人間なのだろう。
(私自身も、NewJeans を大好きだもの。)

歴史は消えない。
しかし、人は歴史だけでは生きていない。

新しい世代は、新しい欲望を持つ。
そして、その欲望が、少しずつ別の世界を作ってゆく。

私はフエの静かな風景を見ながら、そんなことを考えていた。

戦争は終わる。
けれど、記憶は終わらない。
そして、ときに、記憶よりも先に、若者たちが
未来へ歩き始めるのである。

つづく

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