髙市早苗論 第十四章:物語論――髙市早苗という物語は誰が書いているのか 前編
友達が私にメールをくれた。
「スージーさん、どうなっちゃってるの???
まるで高市早苗に取り憑かれてるわね。」
私だって、こんな予定ではなかった。
まさか二週間ぶっとおしで四十話近くも、
髙市さんについて書き続けることになるなんて。
しかも、まだしばらく終わりそうにない。
いったい私は、何をやっているのだろう。
私が髙市さんに注目したきっかけは、
いかにも髙市支持者発言をこれみよがしに繰り返す
それがご商売の、高橋洋一、門田隆将、櫻井よしこ諸氏、
私もけっして嫌いになれない Youtube おみそちゃんねるの
おみそん、
はたまた私にとってはネタとしては
めちゃめちゃおもしろいとしか言いようがない、
『Will』『月刊Hanada』『産経新聞』などの論陣。
これに対するリベラル系の反髙市論客たちの論陣が、
あまりにも違っていることだった。
前者にとって髙市さんは、
日本を救う希望の星、日本のために闘う政治家である。
後者にとって髙市さんは、
くるくるぱーのウルトラ右翼で、
日本を地獄へ突き落としかねない女である。
同じひとりの政治家を見ているはずなのに、
しかし、そこに描かれている髙市早苗は、
ほとんど別人なのである。
私自身は、どちらかといえばリベラリストかもしれない。
けれども、多民族都市・西葛西に暮らしているとはいえ、
私は日本を愛してもいる。
西葛西とて日本である。
すばらしくおいしいインド料理屋がある。
ヴェトナム料理屋も、台湾料理屋も韓国料理屋もたいしたものだ。
あるいは、いわゆる日本文化でいえば、
春の桜、高尾山、厳島神社、龍安寺の石庭、
緑豊かな国土、新幹線から見る富士山を、
私は愛している。
だから困るのだ。
髙市支持者の言説を読んでも、
反髙市派の言説を読んでも、
私はそのどちらかに完全には入ることができない。
両者のあいだで、私は宙吊りになる。
そして、あるとき気づいた。
これは、物語間戦争なのではないか。
讃タカイチの物語と、
反タカイチの物語が、
戦争状態にあるのだ。
もちろん、政治家本人がひとりで物語を作っているわけではない。
支持者が作る。
敵が作る。
新聞が作る。
テレビが作る。
YouTubeが作る。
Xが作る。
そして、政治家自身もまた、
自分についての物語を作る。
では、そのなかで、
いったい「本当の髙市早苗」はどこにいるのだろう。
そもそも、そんなものは存在するのだろうか。
ヒトは二足歩行を始めて以来、物語を必要としてきた。
そもそも人間という生き物は、
けっして出来事をそのままでは理解できず、
「始まり」と「途中」と「結末」を与え、
そこに意味を見いだそうとする生き物なのだ。
英雄の物語。
敗者の物語。
裏切りの物語。
再生の物語。
祖国の物語。
そして、悪者の物語。
政治とは、
案外こうした物語をめぐる争いなのではないか。
では、人文科学は、
この物語間戦争について、
いったい何を教えてくれるのだろう。
『髙市早苗論 第十五章:物語論――髙市早苗という物語は誰が書いているのか 後編』へつづく
