あいまいな全貌か細部展開か
昨日の記事
6世紀の如是体|鈴木良実
の中で
技術により見える
名人の技は見えない
という議論を行いました。この問題について、もう少し考えます。
実は、この問題について、6世紀の天台大師智顗が説いた、摩訶止観が、面白い対応をしています。つまり
摩訶止観自体が
仏の智慧を細分化
しているのです。これを逆にみると
臨済宗などの禅宗は
仏の智慧に直接向き合う
という対応になります。
両者の特質は、摩訶止観の
細分化したら
邪道には入らないが
細部にとらわれる
禅宗の
禅の本質に直接向かう時は
邪道に入る危険性がある
という危険性があります。
さて、このような全体像と細分化について、摩訶止観の主要な教えの「一念三千」で考えました。一念三千を、大まかにいうと
一つの念(思い)の中に三千世界が含まれる
という教えです。ここで大事なことは
三千
の意味するところです。仏教の経典などでは
「三千世界」で全て
を表しています。この場合の「三千」は
大きな数
というあいまいなイメージです。そのまま、多くの世界という、ぼやっとしたイメージで考えるのが、全体像を重視する発想です。
さて、天台大師は「摩訶止観」の中で
十如是×十界×十界=千
私たちの認識・衆生の世間・国土環境の世間の三
という形で、三千を具体的展開しています。こうした、自分の心の中に、ほかの人の心や国土環境まであるという説明は、仏の智慧についての理解は深まります。
しかし、こうした摩訶止観の親切な説明は
そこで止まる危険性
があります。この後の広がりを、考える力が大切だと思います。
摩訶止観の考えは、以下を見てください。
仏の智慧の対応|鈴木良実
