自己紹介|56歳1児のパパ|食道がんサバイバー|2年半越しにnote始めました
※たまに更新しています。
noteを始めて少し経ちました。
投稿を読んでくださる方がいることに、正直、驚いています。
数あるnoteの記事から辿り着いていただき、ありがとうございます。
食道がんサバイバー、56歳1児のパパのシンジです。
あらためて自己紹介を──
いや、正確には「これまでの人生を少し振り返ってみよう」と、長くならないようにと思っていたのですが、結局こうなりました。(笑)
ゆる~くお付き合いいただければと思います。
▶︎ 1969年生まれの私の“娘の誕生”と“青天の霹靂”
2020年に初婚、2022年に娘が誕生し、初めて“父”になりました。
実は、妻とは24歳差の年の差婚。
干支2周で同じ酉年。
年の差があったことはお互いもちろん認識していたのですが、干支2周とは気づいておらず、「えっ、酉年?」ってなった時には、2人で笑ってしまいました。
娘が成人する頃、自分は……
まあ、その話はまた別の機会に。(笑)
そんな第2の人生のスタートから、わずか5ヶ月後──
娘の誕生を機に受けた健康診断、追加オプションの胃カメラ検査で発覚。
「食道がん」の告知。
今でもカメラの映像を見せられた時の事鮮明に思い出されます。
2023年2月に食道亜全摘術・胃管再建術を受け、現在は5年寛解に向け、経過観察中。術後の後遺症は少なからずありますが、今のところ定期検査の結果も問題なく健康状態は良好で元気に日常生活を送っています。
闘病生活と、そこから得た日々の気づきなんかを、2年半越しに、当時の闘病日記を元に、ようやくnoteに綴り始めました。
当時、アカウント開設したものの発信する勇気がありませんでした。💦
同情されたいと思われるかも。とか、
わざわざ心配をかけることになってしまう。とか、
いろいろなことを考えていると......。
闘病日記のきっかけのお話です。↓↓↓↓↓
ここからは人生振り返りです。
▶︎ “就職”から逃げた、あの日のこと
大学4年生の就職活動では、「御社が第一希望です」と、当時当たり前の一言(今はどうなのかは定かではありませんが)が言いたくなくて、言えばよかったのかもしれませんが、嘘をついているような気がして、馬鹿正直過ぎたのかもしれません。
まあ、それが就職できなかった理由でもないかもしれませんが。(笑)
見事玉砕!
自分のただのバカ正直さ?甘さ?が、当時の社会には適合していなかったと、後になって思います。
結果、父親の「就職で悩むぐらいなら海外でも行ってこい」のひとことをキッカケに、1社だけあった内定を断り就職を諦め、オーストラリア・シドニーへワーキングホリデービザで渡航することを決めました。
当時(30年以上前)のワーホリは、オーストラリア、ニュージーランド、カナダの3か国の選択肢しかありませんでした。今はワーキングホリデー協定を結んでいる国はなんと30か国にも及ぶそうです。夢が広がりますね。
今だったらどこの国を選んでいるかな?
ちなみに、当時渡航地として、3択のうちオーストラリアのシドニーを選んだ理由は、田舎過ぎない、寒くない。でした。(笑)
興味のある若いみなさんは是非調べてみてください!w
出発前、「お前、勇気あるな」と言われたりもしたけど、当時の自分の気持ち的には、 “逃げた、ドロップアウトした”という認識でしかありませんでした。
▶︎ シドニーで出会った“自由”と“景色”
当初は1年で帰るつもりが、滞在するうちに現地の生活が気に入り、全く1年で帰る気にはなれず、結果的に、ワーホリ(1年)⇒学生(1年)⇒ビジネス(3年半)とビザをつなぎながら、主にツアーガイドとして約5年半現地に居住していました。
※最後のビジネスビザは、シドニー五輪まで期間が残っていたんですが、期間を全うせず帰国しました。
青い海、青い空が広がる広大な自然、そして異文化の中で出会った人々、すべてがビザをつなぎ滞在延長する理由でした。シドニーで過ごした日々は、自分を育んでくれた時間でもあります。
関西大震災のニュース映像をシドニーの空港で目にして、衝撃を覚えたことを覚えています。
「これ、どこの国の話?」
というような自分の国、日本の出来事ではないような第一印象でした。
今でも様々な記憶に残っていることが沢山あるので、noteにもそのうち書いてみたいと思います。
もうすでに30年ほど前の話になります......。😱
▶︎ 30歳目前、 “帰国するしかなかった”
当時は「第2新卒は30歳がリミット」と言われていました。
将来のこと、シドニー2000のオリンピック目前の盛り上がりを見せる街との狭間で迷いながら、帰国を決意。「残っていればよかったかな?」と思うこともたまにありますが、
シドニーで生活するための“権利(ビザ)”を保つために、その“スポンサード(オーナー)”に縛られるのがしんどくなっていました。
精神的に自由を奪われるていることが嫌になっていました。
また、オーストラリアに帰ってきたくなったらいつでも帰って来られる。そんな風に考えられるようになっていたことも、帰国する決断をできた理由でもあります。もちろん未だに現地の親友たちと交遊も続いています。
そしてまた近い将来家族を連れてシドニーを訪れたいと思っています。
▶︎ 広告の世界で、女子高生と生きた日々
帰国後、いくつかの仕事を経て、女子高生ターゲット専門の広告・マーケティングの会社へ。なぜか弟から引き継ぎ働くことに、ここがとにかく夢中になれた場所でした。
日本での社会経験がほぼない私に、様々なことを経験させてくれて、広告・プロモーション・イベント・マーケティングリサーチ、そしてマネージメント……仕事のあらゆることを学んだ場所、そして多くの人との出会いがありました。
「企画屋」として女子高生マーケットに携わり、年間100本以上のグループインタビューを重ねたこともありました。
泣いて笑って、彼女たちと一緒に“時代”を走っていたのかもしれません。
▶︎ “やりたいこと”が見えなかった40代
40歳を過ぎて、「何かが足りない」と感じるように。
自分とは? 夢とは? 生きる意味とは?──
問いばかりが増えて、答えが出ない。
「まだくすぶってんのか?」と、ツレに言われたこともあります。
見ている人は、ちゃんと見ている。図星すぎて笑いました(笑)
別のツレには、
「それって、本当に何か見つかるの?」
核心過ぎて、返答できませんでした。💦
▶︎ 家族ができて、がんが見つかった
2020年12月、24歳年下の妻と結婚、翌年すぐ保護猫2匹(マリりん♀とモンロー♂)を迎い入れ、そして、2022年6月、娘が誕生。
幸せの最中に届いた「がん告知」。
健康には根拠のない自信があっただけに、父も祖父もがんだったにも関わらず、なぜか全く自分事ではなかった。(笑)
「なぜ?」という感情しか湧かず……でも、受け止めるしかなかった。
今は、5年寛解を目指して、経過観察中です。
後遺症はあれど、元気に過ごせています。
▶︎ “教育”と”子育て”への目覚め
娘の誕生をきっかけに、”教育”や”子育て”への関心が生まれました。
その関心から、人伝いに辿っていくと今お世話になっている先生に出会うことができました。これまで10年以上夢中になれる何かを探していたけど、見つからなかった。そんな中、やっと「興味が持ててる」「わくわくする」と思えるものが目の前に現れました。
そして、取り組み始めるとみるみるうちに、引き込まれていきました。その想いを抱いた、まさにその直後──がん告知......。
その時は、「今一度本当に興味があるものなのか?見極めろ」みたいに言われているのかと思ったりもしました。
ですが、がんの闘病を経ても熱は冷めることもなく、今まさに、「教育とは? 」「子育てとは?」「幸せとは?」「人生とは?」を探求しつつ、幼児教育を主に学び、世の中に発信していこうと絶賛準備中です。
▶︎ これからnoteで書いていきたいこと
🩺 食道がんの闘病日記の振り返り
2年半前にnoteを始めようとしたきっかけ、少しでも誰かの参考、希望になれば
※もし私の体験の範囲でもよろしければ、何なりとお声がけください。
👨👩👧 家族との暮らし(妻・娘・保護猫マリりん♀とモンロー♂たち)
📚 教育と子育てについて(現在進行形の学び、幼児期の基礎教育)
🌏 海外で経験できたこと(ワーホリ・英語・異文化・異人種)
▶︎ 最後に
人生に「遅すぎる」は、きっとない。
経過観察中の今も、
“またがんになるかもしれない”とふとよぎることは多々あります。
そして、その不安な気持ちがこの先消えることはないとも思っています。
でもそれは、何もしないという言い訳にはならない。
無理なく今できることを、できる形で、できるだけ。
今は、そう思っています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ささやかな風を少しでも感じてもらえたなら、それがなにより嬉しいです。
是非フォローやスキ、コメントなど、繋がってもらえたらとおもいます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
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