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小さな理由で進学先の大学を決めた話

大学受験で東京へ向かう日、飛行機が全便欠航になった。

大雪の影響だった。

スマホどころか、携帯電話すらない時代のことだ。

開港以来初めての全面欠航だったらしく、空港は大混乱に陥っていた。

私は弟と二人で北海道から東京へ向かおうとしていた。

情報はほとんど入ってこない。

飛行機が飛ばないことだけは確定したらしい。

家に戻るか、空港で夜を明かすか、それとも別の方法で東京へ向かうか。

翌日は大学受験だった。

家に帰るという選択肢は、すぐに消えた。

空港で待っていても、本当に乗れる保証はない。

すると弟が言った。

「電車で行こう」

私たちは人混みをかき分け、駅へ向かった。

同じことを考えた人は多かったらしく、切符売り場には長蛇の列ができていた。

最後尾に並んでいると、誰かの荷物の上にJRの時刻表が置いてあるのが見えた。

時刻表は、弟の愛読書である。

弟はそれを勝手に開き、ぱらぱらとめくり始めた。

「この電車とこの電車を乗り継げば、二十時間後には東京に着ける」

すると前に並んでいた男性が振り返り、慌てて言った。

「あ、すみません。それ、わたしの私物なんです」

駅の備え付けではなかった。

JR職員さんが、プライベート旅行中に持ち歩いていた時刻表だったらしい。

その人は、

「普通車はかなり混むと思いますよ。指定席車両の前の通路なら、少し空いているかもしれません」

と教えてくれた。

アドバイス通り、私たちは指定席車両の前に場所を確保し、床に座ることができた。

立ちっぱなしとは大違いだった。

大量の人を詰め込んだ列車は、まるで開拓時代の移動列車みたいだった。

私たちの曽祖父母が、百年ほど前に開拓列車に揺られて北海道へ渡ってきたときも、こんな感じだったのかもしれない。

もちろん蒸気機関車ではないから、トンネルで顔が真っ黒になったりはしない。

きっと私たちの方が、ずっと恵まれている。

それでも、翌日の試験に本当に間に合うのかと思うと、気が気ではなかった。

せっかく床に座れたので英単語帳を開いてみたが、まったく頭に入らない。

青函トンネルを抜け、本州へ入った。

途中でようやく座席に座れたが、緊張のせいか、ほとんど眠れなかった。

私たちは、一睡もしないまま早朝の上野駅にたどり着いた。

弟はそのまま受験会場へ向かい、私は二人分の荷物を抱えて宿へ向かった。

私は泥のように眠り、少しだけ回復してから翌日の試験を受けた。

弟は睡眠不足のせいか、体温が上がらず、ガタガタ震えながら試験を受けたらしい。

その後、私たちは知人のワンルームマンションを借り、二週間ほど東京で受験生活を送った。

結果は、弟は第一志望に落ち、第二志望に滑り込んだ。

私は第一志望に合格した。

もともとは、東京で同じアパートに住み、それぞれ別の大学へ通う予定だった。

しかし、狭いワンルームで二週間近く暮らしているうちに、だんだん空気が悪くなってきた。

早起きの私は、夜更かしする弟に「朝うるさい」と怒られる。

散らかし魔の弟に、片付け魔の私はつい小言を言ってしまう。


そしてある日。

私が、

「お醤油取って」

と言った。

すると弟は、ムスッとして言った。

「やだ」

私もムッとした。

私は思った。

――もう無理だ。

この人と四年間暮らしたら、毎日お醤油で喧嘩になる。

移民列車みたいな電車に乗って、二十時間かけて東京へ来たのに。

第一志望にも合格したのに。

それでも私は、関西の大学へ進学することにした。

人生は、わりと大きなことが、お醤油ひとつで決まる。


#エッセイ #日常エッセイ #受験 #大学進学 #くすっと笑える #スーの記録


電車好きな弟のその後の話はこちら。

「物語は、始まらなかった −電車好き一家」

弟と私の片付け方の違いの話はこちら。

「床が収納の弟と、クローゼットが収納の私」

弟に泊めてもらおうとして断られた話はこちら。

「廊下でもいいから泊めてください」



ささやかな日常の欠片を、これからも綴っていきます。
よろしければ、スキやフォローでまた見守っていただけると幸いです😊


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