「地域コミュニティ」と「教育費」
私は、同じ月齢の子たちが歩き始めていた生後1歳3か月をすぎても、寝返りをしなかったという。
幼い頃は集団生活についていくのに時間がかかったが、成長とともに足腰がメキメキと強くなり、水場ではスイスイと泳ぎ、いつまでも踊る体力が身についていた。
それは、決して私の資質ではないし、親の育児法でもない。
理由なんていくらでも後付けできるけれど、何かあげるとしたら。「育った場所」にあると思う。
誰もが農作業や酪農や村の雑事に追われ「みんなが共働き」のその農村では、子育てを分け合う習慣があった。
夏休み。地域に流れる川で大人たちが持ち回りで監視をして、毎日、その土地の小学生が泳いだ。急流、緩流での泳ぎ方や危険な場所の見分け方は、友達の親や上の学年の子たちから体得した。
旧盆中は、踊り上手で所作の美しい初老の女性が、村の子どもたちに盆踊りの曲目を数日にわたって指導した。
近くにスポーツの習いごとはなかったが、子ども会の球技大会の時期になると、大人の見守りのもと、いろんな球技を体験した。
春は山菜を摘み、秋は山で栗を拾い、冬は枯れ枝を集めて河原で芋を焼いた。
そんな暮らしだったので、同じ村で育った子供たちはたいてい足腰が強く、踊りをはじめとした表現活動が上手な子が多かった。高等教育を受けた村内の大人が、家業のかたわら、英語や数学を教えていたので、子どもたちが居間にワイワイと集っていた。
農村特有の閉塞感や男女格差問題もあったはずだが、そこには確かに「子育て共同体」が存在していたのだ、
しかし、この30年で農村は目に見えて変化していった。
一次産業(農業、酪農、林業)では家計がたちゆかず、会社に勤める人が増えた。耕作放棄地が目立つようになり、山は荒れ始め、放置竹林の面積が破竹の勢いで増えている。今ごろ、誰にも収穫されなかった柿やみかんが、寒風にさらされて実ったまま朽ちているだろう。
半径2キロ圏内で、クマの出没情報も出始めた。
いつの間にか、子どもは野山から消えた。
子どもの数は少しずつ減り、勤める親が増え、地域内の善意でまわしていた夏の川の監視制度はたちゆかなくなり廃止された。監視制度目当てに地域外の子が遊びに来るようになって「何かあったら責任問題になるのではないか」という声もあったとかないとか。結果的に、子どもたちは、自分の親と一緒でないと、川で遊べなくなった。
川からも子どもの集団がいなくなった。
「ちゃんとした塾」で「ちゃんとした勉強」をするために、子どもたちは車やバスに乗って塾に通うようになった。
盆踊りの練習は、手本動画を見ながら1日だけ手短に行われるようになった。
地方には、類似の変化を遂げた場所が他にもあるのではないだろうか。
農村内の狭い人間関係に窮屈さを覚えていた人も少なくないだろうし、思い出の一部は美化されているかもしれない。
ただ、教育もレジャーも「お金で買うもの」になり、その価格は高騰を続け、「お金をかけるべきもの」の情報にさらされながら首都圏で暮らす私は「お金で買えないもの」を懐古せずにはいられない。
他人の子どももかわいがりつつ、自分の子どもをある程度放っておけるって、今はなかなか尊いことだと思うから。
