「夜の地球」の光の変化で数千年をみわたす【加速と減速の世界史2】
はじめに
この記事は、世界史5000年余りの大きな流れを、「加速と減速」という視点でみわたすことをテーマとしています。加速とは「変化・進歩が急速な局面」で、減速は「変化が緩やかな局面」です。
なお、ここで世界史とは、本格的な文明が成立して以降の5000~6000年を指します。
前回(第1回)では、世界史における「加速・減速」について、つぎのことを述べています。
・世界史上のとくに大きな加速局面として、以下の3つがあった。これらの時期に人類は、技術・経済・文化などにおいて、とくに大きな変化・進歩を経験した。
① 文明のはじまり(紀元前4000年頃~紀元前2500年頃)
② 鉄器時代の革新(紀元前1000年頃~西暦100年頃)
③ 近代の革新(1500年頃~、1800年頃からさらに加速)
・①②の加速の局面のあとには減速があり、その後長期の「定常状態」といえる局面を迎えている。
ただし、定常状態といっても、さまざまな出来事(戦争や国家の興亡など)は起こっている。しかし、技術や文化などの社会を構成する基本要素には、大きな変化はなかった。
・つまり、この数千年で、世界は大きな加速と減速を少なくとも2回はくり返してきた。
そして、③近代の革新も、現代においてはこれまでの加速から減速の局面に移行しつつあるのではないか。
・たとえば、世界人口はこれまでの急速な増加が終息しつつある。経済成長は、まず1970年代以降先進国で減速し、近年は新興国でも「ピークアウト」の傾向がみられる。
技術革新も、IT以外のモノやエネルギーを扱う領域では、必ずしも加速していない。ジェット旅客機の巡航速度が、1950年代末からほとんど変わっていなかったりする(このほかにも例はある)。
これからこの一連の記事の全体をとおして、世界史上の「加速」「減速」「定常状態」において何が起こったかについて述べていきます。
(前回の記事)
ただし、より詳細な事柄に入っていく前に、今回は、世界史の大きな流れについてごく大雑把にイメージする話をしたいと思います。そのために「夜の地球」というものをみていきます。
以下、今回の記事は、私の著書『一気に流れがわかる世界史』(秋田総一郎名義、PHP文庫、2024年)の一部(導入の部分)をもとに改編を加えています。
3つの「光」のかたまり 北米・西ヨーロッパ・東アジア
下の画像は、NASA(アメリカ航空宇宙局)が人工衛星からとった夜景を合成した、2016年の「夜の地球」です。
家電製品や自動車などのさまざまな文明の利器を使って生活する人びとが多く密集する場所、つまり都市を形成している場所は、明るい光になっています(拡大してご覧ください)。

そして、この画像が示す世界には、とくに多くの強い光が集まっている場所が3か所あります。
ひとつは、アメリカ合衆国(アメリカ)のある北米大陸。

もうひとつは、西ヨーロッパです。ドイツ、イギリス、オランダ、フランス、イタリアなどの国ぐに。

そして、日本、韓国、中国沿岸部、台湾といった東アジア。この地域は、1990年代までは日本がとくに明るかったのですが、現在は複数の国や地域が明るい光を放つようになっています。

これらの光のかたまりがある国の多くは「先進国」といわれます。とくに産業や経済が発達した国ぐにであり、進んだ科学や技術があり、文化的な活動も活発です。
つまり、現代の世界における「繁栄の中心」といってもいいでしょう。現代の世界には「北アメリカ」「西ヨーロッパ」「日本とその周辺の東アジア」という3か所の繁栄の中心があるのです。
ただし、2020年代の世界では、この3か所以外にも「光」は拡大してきました。たとえばインド北部もかなり明るいですが、これは比較的最近のことなので、ここでは以上の3か所にとくに注目します。
従来からの先進国における近代化・産業革命
そして、以上の繁栄の中心のうち、数十年以上前から「先進国」といわれてきたのは、欧米諸国と日本です。とくに欧米諸国は、先進国として長い歴史があります。
これらの従来からの先進国は、ほかの国・地域に先駆けて「機械による大量生産と輸送の技術」を発達させ、生産を飛躍的に向上させてきました。
その技術の背景には、科学の発展があります。同時に、人びとが経済的・文化的に活発に動くうえで重要な社会のしくみも発達させてきました。「法の支配」に基づく民主主義の政治や公正な裁判、銀行や株式といった金融制度などです。
これらは、人びとの自由・権利・財産を守り育てるしくみといっていいでしょう。
1500~1600年代の西ヨーロッパにおいては、専制的な王政を打倒して立憲主義(法の支配の一側面)や一定の民主主義に基づく政治体制が成立したり(市民革命)、初期の銀行制度や株式会社が発達・普及したりする動きがありました。ガリレオやニュートンに代表される近代科学の成立も、この時期のことです。
そして、このような「近代初期」といえる段階での革新を集大成する動きが、1700年代後半以降の、とくに1800年頃から加速した、イギリスにおける「産業革命」といわれる革新です。
その最大の突破口は、1700年代後半に蒸気機関が動力源として実用化されたことでした。そして、蒸気機関などの新しい技術や、近代的な金融による資金の流れをもとに巨大な工場、鉄道や汽船による輸送のネットワークが建設され、経済・社会は一変しました。
この動きは、1800年代半ばまでには西ヨーロッパのほかの国ぐにやアメリカにも広がりました。
以上のようなイギリスなどの西ヨーロッパ諸国ではじまった「生産技術や社会のしくみの変革」が、先ほど述べた「近代の革新」です。
その革新のうえに成り立っている社会を、「近代社会」といいます。現代の先進国は、発達した近代社会です。
そして、「近代の革新」が始まって以降の時代が、世界史の時代区分でいう「近代」です。
おもな欧米諸国では、近代社会に向けての変革=近代化が、1500~1600年代にはじまり、その動きは1800年代(産業革命以降)にさらに加速しました。日本では、欧米にやや遅れて1800年代後半以降、つまり明治維新(1868)の頃以降に近代社会に向けての改革が始まりました。
新興国の台頭・世界の多極化
一方、ほかの多くの国・地域では、近代化の本格的なスタートはさらに遅れて、1900年代以降、とくにその後半になりました。つまり、アジアやアフリカの国ぐにの多くが植民地支配から脱した、第二次世界大戦後(1945以降)のことです。
マラソンにたとえると、欧米の先進国(やや遅れて日本)は、ほかの国・地域よりもいち早くスタートし、ハイペースで進んでいったのです。いろいろな事情から、ほかの多くの国ぐにはスタートを切れないでいました。その間に「先頭グループ」との差は広がっていきました。
しかし、この数十年のあいだに、スタートの遅れた国ぐにの中に、先進国を上回るスピードで走りだす国が出てきました。
まず、1970年頃から、韓国、台湾などの東アジアの一部で経済成長が急速になり、その後、東南アジアのいくつかの国がこれに続きました。
さらに1990年代半ば以降は、中国やインドの経済成長が際立ったものになり、2000年頃からは、経済発展が続く「新興国」の台頭が世界各地で目立ってきました。
この数十年で、欧米や日本などの従来からの先進国と、そのほかの国ぐに差は以前よりも縮まってきているのです。
「夜の地球」でいえば、北米・西ヨーロッパ・日本といった従来の「繁栄の中心」以外のさまざまな場所で、「光」が増えているということです。このような動きは「(世界の)多極化」ともいわれます。
***
2000年前の「夜の地球」は?
今度は、遠い過去の世界についても考えてみましょう。
あり得ない話ですが、もしも2000年ほど前の世界を宇宙から撮影して「夜の地球」の画像をつくったら、どうなるでしょうか?
2000年前の世界にも、立派に文明といえるものがありました。とくに繁栄している国では、何万、何十万という人が住む都市がすでにできていました。
しかし、今の世界を撮影したときとカメラの感度が同じなら、2000年前の「夜の地球」は、真っ暗なだけになるでしょう。現代のような電気による強い光を放つ都市はなかったからです。
当時の都市や集落では、油を燃やしてともす明かりが使われていました。「オイルランプ」というものです。陶器や金属の器に油が張ってあり、火をつける芯(灯心)がセットされています。

丸いボディに油を貯め、
急須の口状の部分に灯心をつける
オイルランプは、おそくとも4500年前頃にメソポタミア(今のイラクとその周辺)で発明され、その後世界の広い範囲に普及しました。[1]
燃料の油の種類は、地域によってちがいますが、オリーブ油・菜種(なたね)油などの植物油が中心です。
オイルランプは、その後改良されながら、1900年代以降の電灯の時代になるまで一般的な照明器具として使われました。
西暦100年代の繁栄の中心
2000年ほど前の世界で、ランプの光が最も多く集まっていた場所は、今のイタリア、スペイン、ギリシア、トルコ、シリア、エジプトなどの場所です。
つまり、これらの地域が取り囲む大きな湖のような海=地中海の沿岸が世界の繁栄の中心だったのです。
地中海沿岸に次ぐ地域もありました。メソポタミアとその東側(今のイラン)、インドのインダス川流域、そして黄河流域などの現在の中国の主要地域。これらの地域には、当時の先端をいく大国が繁栄していました。
以下の地図は、西暦100年頃(1900年前)の世界を示したものです。西から順に、ローマ帝国、パルティア(今のイランなど)、インド北西部のクシャナ朝、そして漢(後漢)といった、世界史上の重要な国が並び立っています。

オイルランプの光をも捉える超高感度カメラを通して上空から見渡したら、これらの大国の地域には大小さまざまなの都市や集落の明かりが集まっていたことでしょう。
一方、現在の世界で多くの光が集まる北米や日本には、まだ本格的な国家や文明は成立していませんでした。また、当時の西ヨーロッパはローマ帝国の周辺部といえる地域で、ぽつぽつ光がある程度です。
こうした「光」の分布は、現在の世界と大きく異なっています。遠い過去にさかのぼると、光の分布、つまり「繁栄の中心がどこにあるか」は、現在と大きく異なっていました。
そこには、今とは別の世界があったのです。
4000年前の「光」の分布
では、2000年前からさらに2000年前、つまり今から4000年さかのぼると、「夜の地球」はどうだったのでしょうか? 紀元前2000年頃の世界です。
光の分布はさらに少なくなり、かぎられた地域にしかみられません。メソポタミアとエジプトの周辺、インド西部のインダス川流域、中国の黄河流域の光です。また、黄河の南側の長江流域にも、黄河流域よりも小さな一定の光がみられるでしょう。

4000年前(紀元前2000年頃)の世界では、文明がとくに栄え、都市が多く存在するのは、これらの地域とその周辺でした。これらの文明(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河あるいは中国)は、「四大文明」と呼ばれることがあります。
一定の都市や文明は、ほかの地域にも存在していましたが、その規模・広がりが限られます。地中海沿岸のイタリアもギリシアも、この当時は、小さな光はあっても、とくに明るくはありません。
なお、近年はさまざまな地域における古代文明の存在を強調して、「四大文明」という「特別扱い」に否定的な意見も強いです。しかし、やはりこの4つの地域の文明がとくに大規模で重要であることは、否定できないはずです。
古代ギリシアで発達したオリーブ油の量産
ところで、4000年前(紀元前2000年)の世界の「夜の地球」の画像をつくるには、2000年前の時以上に高感度なカメラが必要になります。
4000年前の都市の明かりは、人口が同じであったとしても、2000年前よりも弱いものでした。夜の明かりが2000年前よりも普及していなかったからです。
4000年前の世界にも、オイルランプのような照明器具はすでにありましたが、当時の技術では、明かりの燃料である油の生産量がかぎられていたのです。
ランプの燃料として最も使われたのは、地中海沿岸ではオリーブ油です。オリーブ油は、オリーブの実や堅い種を潰し、さらに圧力をかけて油を搾り取る「圧搾(あっさく)」という方法によってつくります。
圧搾には、一種の機械装置を用いることが一般的です。たとえばテコの原理やネジなどの仕掛けを用いて、潰したカタマリに圧力をかける装置などです。もっと簡単な道具でも油をとることはできますが、大量生産には工夫された装置が必要でした。
しかし、そのような機械的な装置は、4000年前の世界にはなかったのです。オリーブ油の圧搾装置が大きく発達し、初めて広く普及したのは、今から2000数百年前の古代ギリシアでのことでした。
当時のギリシアでは、「ポリス」という都市を中心とする国家(都市国家)がおおいに栄え、哲学や芸術などの文化が花ひらいていました。
そして、オリーブ油の生産・輸出は、当時のギリシアの基幹産業であり、大きな富の源泉のひとつでした。2000数百年前のギリシアは、「世界史上初めて夜の明かりが一般化した社会」といえます。そして、夜の明かりのもとで読み書きをすることも、おもに恵まれた人びとのあいだで普及し、学問などの文化がさらにさかんになったのでした。[2]
そして、ギリシアに始まった「夜の明かりのある暮らし」は、のちには地中海沿岸をはじめとして、世界の広い範囲に普及していきました。
鉄器による生産性向上、道具や装置の進歩
オリーブ油の圧搾装置のような手の込んだ仕掛けは、部品のなかでとくに精度や強度が要求される箇所に金属を用いることが一般的です。少なくとも、そのことで装置として実用性の高いものになります。木や石でつくる部品でも、細かい加工が要るので、金属の工具がないと不便です。
つまり、オリーブ油を量産する技術のベースには、素材や道具としての金属器の普及があったのです。具体的にいえば、それは鉄器の普及です。これも、4000年前にはなかったことです。
4000年前にも、青銅という、銅と錫(スズ)の合金がおもな金属として使われてはいました。銅だけだと、もろくて使い道が限られますが、銅に一定の割合で錫を混ぜると、実用に足る強さを持った金属ができます。
しかし、青銅は原料の鉱石(とくに錫)が十分にとれる場所が少ないため、生産量に限界がありました。金属器が普及して、広く用いられるようになったのは、鉄器の時代になってからのことです。
鉄の原料の鉄鉱石は、青銅にくらべて広い範囲の至るところでとれます。硬さや丈夫さの点でも、一般的には鉄のほうが優れています。しかし、製鉄には青銅よりも高い温度や複雑な工程を必要としたため、量産が困難だったのです。
しかし、3400年前(紀元前1400年)頃、今のトルコにあったヒッタイト王国で、初期の製鉄の技術が一定の実用化に達しました。当初それはヒッタイトを中心とする限定された範囲の技術でしたが、3200年前(紀元前1200年)頃からさらに発展したうえで、紀元前1000年頃からは、より広い範囲(西アジア全域や地中海沿岸など)へ普及していきました。[3]
鉄器の普及によって、さまざまな仕事の生産性が向上しました。たとえば、鉄の斧があれば木を切り倒す作業がはかどり、鉄のツルハシがあれば土木工事の効率が上がります。
そして、鉄製の工具や部品・素材を広く用いることで、さまざまな道具・機械装置が進歩しました。先ほど述べたオリーブ油の圧搾装置は、その一例です。
製鉄の発達は、さまざまな分野における技術革新や生産向上につながっているわけです。
そして、その土台の上に、ポリスの時代におけるギリシアの文明は大きく開花したといえるでしょう。鉄器は、「近代の革新」のなかで蒸気機関が占めるような位置を、紀元前1000年頃からの革新のなかで占めています。
つまり、「鉄器時代の革新」といえる、さまざまな進歩・変化が、西アジアなどの先端地域で、紀元前1000年頃から始まったということです。
そして、この革新を基礎とする古代ギリシアの文明は、遅れて台頭した隣接地域の国家・ローマに大きな影響をあたえ、空前の大帝国のもとで、さらに大きなスケールで展開したのでした。
5000~6000年前の「最初の光の一点」・メソポタミアの都市
では、さらに2000年さかのぼって6000年前(紀元前4000年)になると、「夜の地球」はどうなるでしょうか? カメラの感度は、4000年前と同じだとします。
光の点はほとんどみえなくなります。かすかにメソポタミアに小さな点がみえるくらい。ほかの地域には光はみえないか、もっと小さな光があるくらい。
それが5000年前になると、メソポタミアの光が、かなりはっきりしてきます。
最も初期の本格的な文明が栄えたとされる大規模な都市は、5500年ほど前にメソポタミアで誕生しました。

その代表的な都市として、ウルクがあります。5100年前頃のウルクは、250ヘクタール(1ヘクタールは100メートル×100メートル)ほどの面積で、2~3万人が住んでいたと考えられます。
世界で最も古い文字は、ウルクで5300年前頃に生まれました。粘土板に刻まれた、絵文字の一種です。
メソポタミアの古い都市は、「夜の地球」でみる世界史のなかの「最初の光の一点」といっていいでしょう。
その後、5000年前(紀元前3000年)頃には、メソポタミアに比較的近いエジプト(ナイル川下流)にも「光」がみえてきます。エジプトの王国が繁栄しはじめたのです。
都市を生んだ「文明のはじまり」の革新
6000~5000年前の世界でウルクのような都市が生まれた背景にも、やはり技術革新があります。産業革命などの「近代の革新」や「鉄器時代の革新」に匹敵することが、6000~5000年前のメソポタミアやそのほかの西アジアの地域で起こったのです。
それは現代からみれば、数百年単位のゆっくりとした変化でしたが、当時としてはかつてない速いペースで革新が進みました。
この時期の革新は「文明のはじまり」の革新と呼ぶことができるでしょう。
この「文明のはじまり」の時期から数百年~1000年前(今から6000~7000年前)に、荷車や犂(すき)が発明され、これを牛などにひかせることがはじまっています。また、灌漑農業(雨水に頼らず、河川などの水を利用して行う農業)も一定の規模ではじまりました。帆船も同時期の発明です。
そして、これらの技術は「文明のはじまり」の時代には、先進地域でさらに発達・普及していったのです。
「大規模」といえる灌漑農業は、「文明のはじまり」の時代に成立しました。そして、さまざまな技術の発達をもとに、それまでの集落をはるかに凌ぐ、ウルクのような数万人規模の本格的な都市も生まれたのです。この大規模な都市は、王にあたる権力者が統治する「都市国家」でした。
また、青銅器という初めての実用的金属器も、「文明のはじまり」の革新の産物です。さらに、5300年前(紀元前3300年)前頃には、文字も発明されたのでした。
荷車(車輪)、犂、帆掛け船、大規模な灌漑農業、金属器、文字の使用――どれも文明にとって「基本中の基本」といえるものです。これらはメソポタミアやその周辺のエジプトなどではじまったのです。
「光」の変化の傾向をまとめると
さて、ここまで「夜の地球」をながめながら、現在や遠い過去の世界を見わたしました。すると、そこに一定の傾向が浮かびあがってこないでしょうか?
それは、つぎのようなことです。
1. 光の集まる場所は、時代とともに変化する。
2. 光の明るさは、時代が下るにつれて強くなっている。
3. 光の分布範囲は、時代が下るにつれて広がっている。
ここでの「光」とは、その時代なりの文明的な生活が行われている都市や集落のことを指します。
第1の「光が集まる場所の変化」。これは、「世界のなかでの繁栄の中心は、時代とともに移り変わる」ということです。
5500年前(紀元前3500年)頃の世界では、そもそも限られていた「光」は、メソポタミアの一部に集中していました。その後、5000年前(紀元前3000年)頃には、エジプトの光が明確になります。
4000年前(紀元前2000年)頃には、メソポタミアの光はさらに大きくなり、地中海側などの周辺部にも広がりました。さらにインド西北部、黄河や長江流域にもかなり大きな光がみえるようになっていました。
2000年前の世界では、地中海沿岸、つまりローマ帝国の主要部がとくに明るくなっています。そのほかに今のイラン、インド、中国主要部がローマに準ずるという状況でした。
そして、現在(2000年代初頭)は、西ヨーロッパ、北米、東アジア(日本とその周辺)が繁栄の中心となっています。
このような「繁栄の中心の移り変わり」は、世界史を見渡す上で基本となるので、今後また述べます。
第2の「光が、時代とともに強くなっている」という点。これは、「技術の進歩」を示しています。
都市や集落の光の強さを決める照明は、その要素のひとつです。「光」の強さは、その時代の技術水準を象徴している、といってもいいでしょう。
照明の進歩は、ほかの技術ともかかわっています。たとえば、前に述べたように、製鉄技術→道具・機械の発達→燃料の油の増産→オイルランプの普及といったことがあるわけです。
照明がオイルランプから電灯になったことは、技術の進歩です。同じように、4000年前には貴重だった夜の明かりが2000年前の先進国では日常的になったのも、ひとつの進歩です。技術の進歩によって、多くの燃料や器具が生産され、人びとにいきわたるようになったのです。
第3の「光の分布範囲の拡大」という点。「光の範囲」は、その時代なりの進んだ文明がある場所です。先進国か、それに近い生活が行われている地域。それが、時代とともに広がっているということです。
「進んだ文明」の中身は、時代によって違います。4000年前の世界では、大規模建造物や何万人もの人が暮らす都市があり、文字や金属器が使われているのが、進んだ文明でした。
そのような状態の地域はかぎられていました。前にみたように、メソポタミアとエジプトの周辺、インダス川、黄河の流域が、そのおもな範囲でした(ただし、黄河流域では、文字の使用は紀元前1400年頃以降)。
2000年前になると、その時代なりの進んだ文明の分布範囲は、4000年前よりも大きく広がりました。ローマ(地中海沿岸+西ヨーロッパ)、パルティア(イラン)、クシャナ朝(インド北西部)、漢といった大国が、ユーラシアの広い範囲に連なっていたのです。
現代の世界はどうでしょうか? 現代の先進国の分布は、散らばってはいますが、さらに広範囲になっています。ユーラシアだけでなく、北米や日本とその周辺にも「繁栄の中心」といえる場所があるのです。
さらに、先進国を追いかける「新興国」が、世界中にあります。東南アジア諸国、中国、インド、ロシア、トルコ、南アフリカ、それから中南米や東ヨーロッパのいくつかの国ぐになどです。
世界史の流れをみわたす3つの視点
ここで述べてきた以下の視点は、世界史の大きな流れをみわたすうえで基本であるはずです。
1.繁栄の中心の移動
2.技術水準の変化(技術の進歩)
3.先進文明の分布範囲の拡大
ほかにも要素はあるでしょうが、この3つが重要であることはまちがいないでしょう。
そこで、世界におけるこれらの事柄の推移を、数千年にわたって追いかけると、大きな視点で世界史の全体像を語ることになります。
拙著『一気に流れがわかる世界史』は、以上の3つの視点のうち、とくに「繁栄の中心の移り変わり」を主題として、5000年余りの世界史を俯瞰したものでした。ほかの視点については、あまり立ち入っていません。「初心者にも読みやすい入門書」として、視点を絞ってシンプルに述べることに徹したのです。
しかし、この「加速と減速の世界史」では、いわば「中級」以上の内容も含む世界史の概説として、技術をベースとする「変化・進歩」についても分け入っていきます。
つまり、「この5000~6000年で、世界がどのような変化・進歩の過程をたどってきたか」について述べます。
そして、その「変化・進歩の過程」をみるうえで中心となるのが、「加速と減速」という視点です。
この5000~6000年で、世界は変化・進歩を重ねてきましたが、それは一本調子の変化ではなかった、と私はみています。
最初に述べたように、「世界はこの数千年で加速と減速をくり返してきた」ということです。
変化の速さが全ての時代を通して均一でなかったことはもちろん、「時代が下るほど急速になる」といったものでもなかった。
だとすれば、この5000~6000年間の、各時代における「加速と減速」は、どのようなものだったのか。
ここでは、そのことを中心テーマとして述べていきます。
ただし、このような「加速と減速の世界史」について理解するには、「繁栄の中心の移動」という視点による大まかな世界史の知識があるほうが望ましいです。世界史における、進歩・変化の重要な動きの大部分は、各時代の「繁栄の中心」やその周辺地域を舞台としているからです。
「変化・進歩を語るなら、その舞台である歴史上の国ぐにについて最低限は知っておこう」というわけです。
***
「3~4行」という感じでまとめるなら、世界史とは要するに以下のとおりではないでしょうか。これまで述べたことのまとめです。
文明の時代が始まって以来、人類は、時代とともに繁栄の中心の移動を重ねながら、技術を基礎とする文明の諸要素を変化・進歩させてきた。
それとともに、文明の分布範囲も拡大していった。
この一連の記事「加速と減速の世界史」は、この「3~4行」の中身を確認しようとするものなのです。
次回は、「繁栄の中心の移り変わり」を、今回のような一般論やイメージではなく、具体的な国家や歴史的事実に即してみわたします。つまり、今回よりももっと固有名詞を出して、世界史を語ります。
ただし、それはこの記事の「本題」ではなく「前提」なので、極端に圧縮・要約したダイジェストになるでしょう。
そのうえで、本題である「社会の変化・進歩」に話をすすめます。そして、「変化・進歩」を語るなかで、副次的に「文明の分布の拡大」についても触れていくつもりです。
(第3回に続く)
前回(第1回)の記事
現代世界の減速を論じた、一連の記事をまとめたもの
[1] 鉄器時代の開始などについては、津本英利「古代アジアの鉄製品――銅から鉄へ」『西アジア考古学』第5号、2004などによる
[2] オリーブ油の量産については、R.J.フォーブス『技術の歴史』田中実訳、岩波書店、1956 板倉聖宣「オリーブ油と本と民主政治」『たのしい授業』仮説社、2006年1月号(古代ギリシアにおけるオリーブ油生産の重要については、板倉氏の著作から知った)などによる
[3] オイルランプについては、古代オリエント博物館『地中海のともしび――フェニキア、ローマ、ビザンチンのオイルランプ 中山&オルセッティ・コレクション』企画・執筆/堀晄、津村眞輝子、D.M.Bailey、1997などによる
