見出し画像

歪みが生むもの

今年の2月、ボクはアニタ・T・サリヴァン著『ピアノと平均律の謎』について記事を書いた。

人間が心地よいと感じる響きは、オクターブであれば1:2、完全五度であれば2:3といった単純な整数比によって生まれる。しかし、その美しい響きを厳密に保とうとすると、調を変えた瞬間に音程が破綻してしまう。

そこで人類は平均律を選んだ。

平均律とは、オクターブを均等に12分割する調律法である。その結果、本来の美しい響きは少し失われる。しかし、その代わり自由に転調できるようになった。

当時のボクは、その話を音楽理論の話として理解した。
しかし最近になって、あれは音楽だけの話ではなかったのではないかと思い始めている。


先日、AIとの対話の中で「グルーヴとは何か」という話になった。

最初は音楽の話だったけれど、話は次第に「共鳴」や「振動」さらには「読書」や「学習」の話へと広がった。

その中で、一つの仮説が浮かんだ。
人は知識を増やすためだけに本を読むのではない。
自分自身を少しずつひずませるために本を読んでいるのではないか。

ボクは経営書を読む。
マネジメントの本も読む。

しかし、それだけではない。
禅の本を読む。
歴史書を読む。
小説も読む。
最近では『ハリー・ポッター』も読んでいる。

以前は、それらがどうつながるのかよくわからなかった。

経営と魔法学校に何の関係があるのか。
禅とマネジメントに何の関係があるのか。

だけど、経営の話が歴史の話になる。
音楽理論の話が組織論につながる。
禅の話が企業理念へと飛ぶこともある。

一見すると無関係な知識同士が、どこかでつながり始めている。


平均律は、完璧な響きを少し犠牲にした。
しかし、その代わり転調する自由を手に入れた。

人間も同じなのかもしれない。
経営書だけを読んでいれば、経営については深く理解できるだろう。

しかし、それだけでは転調できない。
歴史書を読む。
小説を読む。
禅を学ぶ。
時にはファンタジー作品も読む。

そうして少しずつ自分の中にひずみを作る。
すると、ある日突然、思いもよらない場所で知識同士が共鳴し始める。


2月にあの記事を書いたとき…
ボクは平均律を音楽理論として読んだ。

だけど今読み返すと、あの本が語っていたのは音楽の歴史などではなく、「転調」ができるようになったことの素晴らしさだったように思う。

平均律は美しい響きを捨てたわけではない。
転調という新しい世界を知るために、人類は歪みを少しだけ許容したのだ。

異なる分野に触れる。
違う価値観に出会う。
一見すると遠回りに思える経験も受け入れてみる。

そうした小さなひずみを許容したとき、ボクらも新しい世界へ転調できるのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!