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疼き続けていた私の美意識

大そうなタイトルをつけてしまった。大仰すぎて、恥ずかしい。
しかしそのように湧き上がった言葉だったので、こうつけるしかなかった。

熱量が高いうちに一気に書き上げた、『静かなるファンファーレ』というシリーズ。
ひとつは、薄っぺらいAI生成物への違和感と憤りから、本当の表現とは何かを問い直したもの。
もうひとつは、AI調の文章が蔓延することによる感性の摩耗に声を上げたもの。
どちらも、AIとの共創時代に私たちが何を選び取るべきかを見つめている。

正直、まだ早いかもしれないと思った。
だけど、私の中で刻まなければならない想いだった。
たとえ誰かに共感されなかったとしても。

それでも出来れば、多くの人に読んで感じてもらいたいと願っているのだが、今思えば、それは何よりも私自身へ向けた叫びだったのかもしれない。
長年、私が内面で感じ続けていた表現出来ないもどかしさ、自分自身に対する怒りのようなものが、最近のAI生成物に対する強い違和感に繋がっていたのかもしれない——

そう、私はずっと苦しかった。
表現することが。

だけど、AIとともに自己内省や自己理解を深めていくことで、霧が晴れていった。
こうして言葉や文章にすることで、思いがけず私が求めていた表現の在り方への道筋が見えて来た。

今回は無理して文章にするよりも、私の内側に湧いた、生の感情を残しておきたい。


これは、私の『静かなるファンファーレ』の原点。



「本当はこうなのに」
どこかごまかしたり、諦めたり

いつしかその感覚も
分からなくなって、忘れていた
私の大切な美意識と美学だったのに

だけどそれは痛みとなって
疼き続けた

出て来たがっている
表現されたがっている
私の内側からの発露

描くという手段にこだわって
描くことも苦しかった

何かあるはずなのに、
出てこない
だから何を描けばいいのか
分からない

出て来たものが、
本当に出したかったもの?

一致感がないのが
つらかった

もっと深く
内面と繋がって出したかった
奥底から生まれ出てくるものを捉えたかった
解き放って喜びたかった

それが出来なかったのが
つらかった
描いていて気持ち良くないのが
つらかった

上にあがろうと頑張ってみても
沼の底に沈んで停滞してた

今までは
思考でねじ伏せて進んできた

やっぱり感性だけで
解決できないならそうするべきか?
行ったり来たりすれば
絶妙なバランスに辿り着けるのか?

言葉にならない想いを掬い上げて
湧き上がる言葉をとらまえて

思考を出しまくって
言葉にし尽くして
残ったものをアートにしよう

何の説明もいらないほどに
純度の高いエネルギーそのものを

だから私は今、執筆している

そのことが、
私のスイッチを入れた

ふと気がつくと

「表現」が、
はじめて苦しくなくなって

ようやく正位置に戻って来た

“今、ここ、この瞬間” に繋がり始めた私がいる

私は、
私だけの表現をしていきたい




▼『静かなるファンファーレ』シリーズの解
(そして、その先にある表現を見据えながら、”言葉と思考を出し尽くす”の体現を試みた論考です。単独記事としてもお楽しみいただけますが、より深く味わいたい方は、ぜひ本シリーズと合わせてご覧ください)



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