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【architecture】都市の余白

元来日本人は『広場』という場の使い方がうまくない。
これは西洋と比較しての話になるが、西洋では古くから『広場』という場所を市民が求め、ここで生まれる人々の営みが生活に欠かせないものとして扱われてきた。ここでは市民の憩いの場として利用されることもあれば政治的、宗教的な営みも行われてきた。例えば、イタリアのローマにある『スペイン広場』や、ベネチアの『サン・マルコ広場』、バチカンの『サン・ピエトロ大聖堂』の広場、フランス・パリの『コンコルド広場』といった有名な広場がある。

以前記事にもしたが日本人はそもそも『広場』というものを必要としなかったという西洋とは違った価値観がある。日本人は人と人とが関わる場所は井戸端会議と言われるようにちょっとした路地であったり神社の境内であったり少人数で集まる場を求めていた。その為、バブル期などに建てられた金にものを言わせて作った公共施設などに見られる大きな広場は人々に使われることなく維持費だけがかかる無駄な場所として扱われてきた。 

しかし、ここに来て日本においても『広場』の価値が見直されてきたように感じる。
2007年にオープンした東京の『六本木ミッドタウン』は敷地面積の40%に及ぶ約4ha(40,000㎡)が芝生と木々で囲まれた広場として設計されている。
また2024年にオープンした大阪のグラングリーン大阪の『うめきた広場』は1ha(10,000㎡)が芝生広場となっている。

大都市における地価はとんでもない額に相当する。六本木の1坪あたりの地価は1000万円近い。経済至上主義を歩んできた日本において、高い地価の土地に広場をつくるという事は考えられない理論であった。可能な限りの建蔽率と容積率を使って高層ビルを建てることで収益率の高い建物を建てることが絶対的な善とされてきた。しかしここにきて経済だけではない人々の営みにもフォーカスされてきているように感じる。
確かに広場は収益を生む場所ではないが、そこに人々が集まり、出会い、会話が生まれることで社会が良くなり、人々に充実感が生まれることに気付きはじめたのかもしれない。
実際に『六本木ミッドタウン』や『うめきた広場』では自由に芝生で寝転んだり家族で遊ぶ姿や、週末にはイベントが開催されて賑わいをみせている。
これは人々が高層ビルが密集する大都会において『余白』を求めている証拠と言えるのではないだろうか。また緑を設けることで都会のオアシスも生まれる。
SNSの普及により、イベントなどの発信のハードルは明らかに低くなった。人々が集まれるような企画を行うことに抵抗感がなくなってきていると言える。このことも相まって日本においても『広場』の利用価値が変わってきたのではないだろうか。

地価の高い都心部において『広場』をつくることは勇気のいることである。行政主導で動いた『うめきた広場』を進めてきた大阪府や大阪市の英断には強い公共の精神が感じられるし、その勇気は称えるべきものだと思う。
公共の土地である以上、無駄なスペースだと感じる人もいるかもしれないが、これからも『都市の余白』を地道に作り出していくことが豊かな社会を生み出すように感じてならない。



ではまた。

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