見出し画像

【architecture】バチカン

20年前のイタリア旅の記憶をめぐるnote
前回はフィレンツェについてまとめてみた

続いて向かったのがバチカンにある『サン・ピエトロ大聖堂』である。
キリスト教の総本山である建築をひとめ見ておきたいと思っていた。

徐々に近づく聖堂に期待を寄せながら歩みを進める。
記憶は確かではないが、ふらっと気づいたら敷地に入っていたような感じだったと思う。
ふらっと入ったのはいいが、入って目の前の光景に度肝を抜かれた

その巨大な建築物とその中心にある広大な広場。

装飾や彫刻、建築の迫力ももちろんであるが、この広大な広場のスケール感のデカさに圧倒されてしまった。

ここに催事などの際には人々がごった返すほど集まるのかと思うと日本との文化の違いを否が応でも感じてしまう。

ヨーロッパには数々の広場がある。特にイタリアには有名な広場が数多くある。

スペイン広場
サンマルコ広場
ミケランジェロ広場
などなど…

広大な何もない空間。
この広場は西洋の人々にとってなくてはならない場なのである。
普段は自由に人々が使うことのできる場所。昼寝をしてもいいし、ランチをしたり。
大道芸人さんのショーや、ちょっとしたお店を開くこともある。アートを展示したり、アートをつくる場としてもなり得る。普段は人々の交流の場として自由に使われるが、祭事などのときは人々が一斉に集まる場と化する。政治や宗教に使われることもある。
トスカーナ地方のシエナにあるカンポ広場は広場自体が建物に囲まれた広場で有名だ。
そこでは広場がときに競馬場となるという催事が昔から行われている。

一方日本において広場という文化はほぼない。
ほぼないというか作っても使いこなせないというのが実情なのだ。広場と題して作った公共施設が廃墟のように使われていない姿は全国津々浦々で見られるだろう。
西洋における広場が人々の交流の場であり、
大衆が集まる場であったのに対して、日本における人々の交流の場はいわゆる『井戸端会議』と呼ばれるように神社の境内であったり、道端などのちょっとしたスペースである。日本人は
細々としたところで細々と噂話でもするのが昔から好きだったのかもしれない。広々としたスペースを与えられても使いこなせないのが日本人特有の性質なのだ。

広場の使い方からも見えるように西洋と日本では大衆意識に大きな違いがある。どちらが良いのかは分からないが、日本で広場をつくっても日本人には使えない。最近では路上や路地を店の延長として解放したり、路上にベンチなどを設けて街の在り方を見直す試みも見られるようになってきた。コロナ禍を経験して、お店の外の空間、つまり路上の価値が見直されたという経緯もある。

『井戸端』とはよく言ったもので、日本人にとっての交流の場はまさに井戸端にあるのだ。井戸端で洗濯をしながら世間話や噂話に花を咲かせるのが楽しみでコミュニティを形成するのが性に合うのだろう。
そんな居心地のよい細々とした井戸端も現代では失われつつある。
そう考えると何百年も前から広場を使い続ける西洋の広場にはある意味学ぶことがあるのかもしれない。


ではまた。

いいなと思ったら応援しよう!