【architecture】子どもの目線
私は死ぬまでにひとつでも子ども達のための図書館をつくってみたいと思っている。
それは鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーがアメリカ中に2500以上の図書館を寄付したことや、建築家の安藤忠雄氏が今日本の各地に『こども本の森』と題して子どものための図書館を寄付でつくっていることを知っていつかは自分も未来ある子ども達のための施設をつくってみたいと思ったからである。
建築家を夢見てこの道を生きてきたのであれば最後にはこのくらいの恩返しをしたいと思う。
私が子どもの頃。まだ幼稚園児くらいだったかもしれない。母親に連れられて地元のスーパーに買い物に行くことがよくあった。私はお菓子コーナーが気になって仕方がない。テレビで見るアニメやヒーロー戦隊のオモチャ付きのお菓子が欲しい。ついつい釘付けになってその場から離れなかった。しばらくお菓子コーナーで物色していると母親がいなくなっている。
私は一気に不安になって広過ぎる碁盤の目の店内を必死に走り回って母親を探す。当時の私にとっては一大事だったのだろう。広過ぎる店内には大勢の人がいてなかなか母親は見つからない。何度も行ったり来たりしてようやく母親を見つけることが出来た。私は半べそ状態だった。しかし母親はそんなに焦る事もない様子だった。
まだ昭和の時代で、今頃の子どもの連れ去りなどがテレビのニュースで騒がれる時代ではなかったこともあるかもしれないが、当時の私からすると一大事件として今でも記憶に残っている。
そんなこんなのあったスーパーに先日何十年ぶりかに行くことがあった。
内装はすっかり変わってしまったが当時と広さは変わっていないはずである。
でも当時思っていた程大きなスーパーではない。
ちょっと歩けば一周できてしまう程度の広さである。確かに母親がそこまで深刻にならなかったのも頷ける広さであった。
子どもには子どもにしか感じられない世界観がある
子どもにしかできない事を子どものときに体験することが大切なのではないだろうか。
建築家の安藤忠雄氏が全国で展開している『こども本の森』には安藤氏の生き様が刻まれた『青いりんご』というオブジェが飾られている。
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだと。年を重ねただけでは人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。70歳であろうと、16歳であろうと、その胸の内に抱いているものが何であるのか、ということだと。
というメッセージが込められている。

この『青いりんご』を見て大きいと感じるのか小さいと感じるのかは、それぞれの子どもによって違うだろう。またこの『青いりんご』の本来のメッセージさえ子ども達のほとんどは理解できないはずである。
しかし、この『青いりんご』が子どもの頃の記憶としてそれぞれの子ども達に刻み込まれ大人になった再び対峙した時にどのように感じるか。
そこにこの『青いりんご』の価値があるように思う。
私は子ども達に子どもの頃は精一杯子どもをしてもらいたいと思う。
子どもは遊ぶことが仕事である。
子どもの頃にした経験は、大人になってから必ず役に立つはずである。
私もスーパーで迷子になった経験は、子どもの為の建築を考える際の材料となっている。
未来ある子ども達のためにひとつでも形にのこるものを残せたら私の建築家人生は成功と呼べるのかもしれない。
そんなことを常々考えている。
ではまた。
