『チ。―地球の運動について―』のブログ記事が仕上がりました|AC✖️HSPの私のアニメ考察
やまねです😊
先月、入院中に一気見したアニメ『チ。―地球の運動について―』。
実は、たまたま同時に読んでいた本と内容がシンクロするという幸運に恵まれ、さらには入院中というシチュエーションも相まって、忘れられない1作になりました。
そして、このことを何とか言葉として残しておこうと思って退院してから、はや1ヶ月。
ようやくその記事が出来上がりました!
👉『チ。―地球の運動について―』は、人間の知の営みのダイナミズムを解き明かす|AC✖️HSPの私のアニメ考察
※ネタバレがあるので、ご注意ください。
👇入院中、アニメを観終わる前の段階でも、感動のあまり主題歌についてのnoteの記事を書いています✨
ブログには書けなかった私の好きなエピソードをご紹介します!
ブログの記事では、ラファウとノヴァクを中心に、物語の展開から、『チ。』が知のダイナミズムをどのように描いているかを、『こころと内臓』という本を切り口として考察しました。
ブログの方には考察に必要なことだけを書いたので、自分がアニメの中で、好きだったエピソードについては書けず・・・。
そこで、今回はnoteで、『チ。―地球の運動について―』の中で、自分が好きだった部分について書いていきたいと思います。
私が好きだったのは、オクジーとバデーニのエピソードです✨

※以下、ネタバレがあるので、ご注意ください!
オクジーとバデーニの物語
なぜこの部分が好きなのかというと、バデーニが自分の研究成果ではなく、オクジーの書いた物語を残そうとしたのかという点に感動したから。
では、そんな2人の物語について、見ていきましょう!
オクジーとバデーニ
ラファウの死から10年後。
数奇な運命を辿って、フベルトがラファウに託した「地動説」の研究の秘密が隠されたネックレスと石箱の命運を預かることになった代理剣闘士のオクジー。
オクジー自身は、文字が読めず、天文の知識もなかったことから、それらが意味することを理解することはできないものの、それを自分に託して死んでいった人たちの生き様、死に様に心を動かされ、ネックレスと石箱の価値がわかる人間を探し、その後も人並外れた視力のよさを活かすなど知の探究に関わっていきます。
一方、修道士バデーニは、「地動説」を完成させるのに必要な知識と能力を持ち合わせた人物であり、オクジーとの出会いにより「地動説」の存在を知ります。
そして、バデーニは、この説を自分の知識と能力を駆使して完成させることにより、自分の存在を特別にしたいと考えます。

地動説を完成させたバデーニの研究資料とオクジーの物語
それから後、バデーニは本当に「地動説」を完成させることに成功しました。
そして、それを研究資料としてまとめ、あとはこれをどのように人々に広めていくかという段階にまで到達します。
一方で、オクジーは字を習って、このネックレスと石箱、「地動説」に関わった人たちの物語を書き記します。
でも、「地動説」の研究は、当時は非常に危険が伴うものでした。
だから、バデーニは自分達の身に何かあった場合の保険として、密かに、ある手段を使って、「地動説」に関わる文書を隠しておきました。
でも、バデーニが特別な場所に隠しておいたのは、自分の研究資料ではなくて、驚いたことにオクジーの書いた物語でした!!
最終的に、2人は完成した地動説を世に広める前に、異端審問官に捕まって処刑されてしまい、バデーニの研究資料のみならず、石箱の中の資料も失われてしまいます。
その結果、バデーニが密かに隠しておいたオクジーの書いた物語だけが、その後に「地動説」を繋いでいく鍵として残されることとなります。

隠し場所が奇想天外!
オクジーの物語の意味とバデーニの変化
オクジーの書いた物語というのは、「地動説」の内容そのものではありません。
それは、「地動説」によって宇宙の美しさに感動した人間とその感動に共鳴した人間たちが織りなす命の物語です。
以下は、バデーニがオクジーの物語を残したことについて2人が語っている時のセリフです。
バデーニ「君の文章は論文としての価値はないが
それ故 伝わる可能性は高いだろう」
オクジー「伝わる? 何が?」
バデーニ「”感動” だ」
バデーニ「それさえ残せれば あとは自然と立ち上がる」
そもそも、バデーニは、「地動説」の存在を知っても、「地動説」を自分を特別な存在にするという目的のための手段としか捉えておらず、「研究成果を後進に託す気もない」と明言していたんですよね。
そんなバデーニが、なぜオクジーの物語を一番最後の手段として残しておくことにしたのかというのは、自分の研究資料は長すぎて残せないからということ以外に、はっきりセリフとしては語られていません。
でも、語られないからこそ、伝わってくるものがある。
「地動説」の存在を知っても、それを自分の利益のための手段としてしか捉えていなかったバデーニが、そもそも自分にとって何の得もないことなのに「地動説」を残そうとするようになったのは、オクジーの物語を読んで感動し、一番最初に心を動かされたのがバデーニ自身だったからなんじゃないかと思うんですよね。
最後のセリフ
そして、バデーニは、オクジーと共に処刑台の上で夜空を見上げて、こんな会話を交わします。
バデーニ「確かに これで我々も 地獄の入り口に立ったな」
オクジー「いや・・・ 天界のですよ」
バデーニ「そう言い切れるか?」
オクジー「ええ 今 俺の目の前に広がるこれが 地獄の入り口って景色には見えない
今日のこの空は 絶対にーーキレイだ」
バデーニ「フッ それを信じることにするか」
実は、このセリフ、2人が出会った当初、オクジーがバデーニを石箱のところに案内した時のセリフとすごく似ているんですね。
(ただ、その時は、地獄の入り口だと言ったのはオクジーの方で、天界への入り口だと言ったのは、バデーニの方なんですが。)
なので、2人の物語の最初と最後の部分で、同じようなセリフを交わしていることになるんですが、その意味が最初の方の場面とこの最後のシーンでは、全然違ってくる。
同じような言葉を使っていても、その言葉に込められた中身が全く違うものになっているという素晴らしいシーンなんです。
同じように夜空を仰いで、同じような言葉を交わしても、見えるもの伝わるものが全く違うという対比が本当に見事で、オクジーとバデーニの物語の始まりから終わりまでの全ての意味がこの瞬間にギュッと詰め込まれているような素晴らしい表現でした😭

おわりに
どうでもいいような細かい話なんですが、『チ。―地球の運動について―』では、セリフのやり取りがとても大事な役割を担っている作品なだけに、敵が目前に迫るような緊迫した場面でも、結構観念的な会話が繰り広げられていたりして、「しゃべってないで早く逃げて〜!」と心の中で呟いてしまうことが何度かありました😅
漫画だと、そこは気にならないのかな・・・。
漫画もいつか読んでみたいものです。
こういう素晴らしい作品を見ると、心の底から湧き上がってくるような感情に突き動かされて、オクジーのように専門知識はなくても「これを書きたい!」って思えるんですよね。
そこに共感したから、オクジーとバデーニのパートが一番好きだったのかもしれません🥰
そして、このアニメの登場人物たちのように、”感動”を見つけることこそが、生きづらさから解放されて自由になる道なのかなと思います!
ぜひ、この作品を観て、登場人物たちと共に”感動”してみてくださいね✨
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