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小論文と作文の違いとは?小論文の文章態度にふさわしくない文体(文末表現)3選!【小論文キホンのキ④】

更新日:2026/01/11

 小論文・作文指導者の〆野が普段の添削・採点指導で教えている、文章作成における基本事項を紹介するのが、このシリーズ【文章作成の基本】。

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(〆野の自己紹介はこちらから見られます。)


作文とは違う!小論文の文章態度に合った文章表現とは?

その文章にはその文章態度に適した「文体」がある

 文章には、その用途や目的、また書き手のキャラクターやターゲットとなる読み手に応じて様々な種類のものがあります。そして、それらの文章の全体に応じた文章態度があります。そして、それを決定づけるもの、それを「文体(スタイル)」と言います。「文体」というと「文末表現(常体=ダ・デアル調、敬体=デス・マス調)」や「表現形式(文語文体=書き言葉・文語体、口語文体=話し言葉・口語体)」など一般的に指しますが、それは一部。「文体」は、それも含めた文章の特色や個性などを決定づける文章表現の様式の全体のことを言います。

 たとえば、江戸時代を舞台にした歴史小説が現代の流行り言葉や言いぶりをふんだんに使ったカジュアルな口語体で書かれていたら、その小説の世界観をぶち壊してしまいます。また、未就学児が読むような絵本が学術論文のような文体で書かれていたら、子どもはその絵本を読もうとは思わないでしょう。新聞記事やニュース原稿が日常生活系エッセイのような軽い文体で書かれていたら、ニュースの内容によってはとても不謹慎な文章になってしまいます。このように文章にはそれに合った文体があり、そうした文体を適切に選んで書くことが書き手には求められます。

 ですから、小論文にも、当然それにあった「文体」というものがあるのです。それがここでのお話しのテーマです。そのテーマについて、今回も作文との比較をしながらお話ししていきます。今までの添削指導でよく見かけた、小論文の文章態度にふさわしくない「文体」を3つ挙げて、それがどういう点でふさわしくなく、またどういう「文体」や表現が望ましいのか、考えていきます。

(今までの「小論文キホンのキ」)

ふさわしくない文体1「敬体(デス・マス調)」

 最も多いのが、小論文を「敬体(デス・マス調)」で書いてしまうことです。小論文は、基本的に「常体(ダ・デアル調)」で統一してください。「文体(文末表現)を統一すること」は文章作成の基本として言うまでもないことですが、このときは「敬体」ではなく「常体」に統一します。

 なぜ「常体」にするべきなのか?それは、「大学受験における小論文試験は、進学後に学術論文やレポートを書く文章作成能力の有無を問うものである」からです。論文やレポートは研究成果を発表する専門的文書であり、日常生活における手記やメモなどとは異なります。ですから、そうした学術論文にならって小論文も、敬体のような、話し言葉に近いソフトでカジュアルな表現ではなく、常体のような、書き言葉を主としたフォーマルな表現で書くのが望ましいと言えます。

 また、学術論文やレポートは公に発表するものである以上、ある特定の読み手にあてて書いている文章でありません。不特定多数の人にあてて書いている文章です。一方「敬体」は、その「敬」という字からもわかるように、「敬意の対象となるべき人が読み手である場合に書く文章にふさわしい文体」であり、「ある程度読み手が特定している場合の文章の際に適した文体」と言えます。前述のように、「小論文試験が学術論文やレポートを書く力を測るもの」として機能している以上、学術論文と同様に小論文も不特定多数にあてて書く文章として考え、「常体」で書くべきです。

 もちろん、大人の書いた評論や批評で「敬体」で書かれているものもないことはないです。しかし、受験小論文としては「『常体』が基本」と考えてください。

 なお、志望理由書を書く場合には、出願書類なのでフォーマルな表現である「常体」で書いてもよいですが、「敬体」でもよいです。「志望理由書は手紙文などのように特定の読み手にあてた文章」だからです。「読む人が大学側の人間であるのでその相手に失礼のないように「敬体」を用いる」という判断は誤りではありません。

(とはいえ、志望理由書も基本「常体」で全く構いません

ふさわしくない文体2「感じる」・「~かなと思う」

 「~感じる」・「~感じた」という表現を多用する人もいますが、これも避けた方が無難です。「~思う」・「~考える」といった表現の方が小論文には合っています。

 小論文はロジカルな(論理的な)文章です。「これこれについてこう考える。なぜならこれこれだからだ。」のように、その意見(主張)に対しての根拠(理由や具体例)を挙げて論理的に述べ立てる文章です。「~感じる」は「根拠はないが、感覚的に何となくそう思われた」というニュアンスを与える表現であるため、感想文などの作文ではよいですが、小論文の文章態度にそぐわない表現と言えます。自分の意見(主張)を挙げる場合は「~思う」・「~考える」という表現が望ましいです。その上で、その意見に対する根拠を明確に示してください。

 「~かなと思う(考える)」という表現も割とよく見かけます。これは「思う」・「考える」が問題なのではありません。「~かな」が問題です。

かな(連語)①疑問・ためらいなどを、ひとりごとのようにのべることば。②願望をあらわす。→かなあ。③やわらかにたずねることば。④(俗)考えをえんきょくにあらわすときのことば。

三省堂国語辞典 第七版

 使われ方からすると①や④に該当するのではないかと思われますが、いずれにしても小論文にはそぐわない表現と言えます。

 作文との大きな違いの一つに、「小論文は他者を説得するための文章」というのがあります。①だとするとそれは「単なるためらいやひとりごと」ですし、④だとしたら婉曲(えんきょく)表現です。ためらったりひとりごとをつぶやいたり遠回し(婉曲)に言ったり……いずれであっても、それは読み手からは「この書き手は自分の意見に自信がないのだな」と読み取られる表現と言えます。こうした「自信のない文章態度」で他者(読み手)を説得できるわけがありません。「自分はこう考える」、としっかり断言する物言いでなければ、(自分と異なる意見を持つかもしれない)読み手を説得することはできないでしょう。

 こうした「直言や断言を避ける話法」はいわば「日本人(日本語)のお家芸」ですが、小論文に限って言えば、こうした表現は禁物です。自分の意見を、自信を持ってしっかり言い切りましょう。

ふさわしくない文体3「疑問文終わりの多用」

 「疑問文終わりの文末表現を多用する」ケースもまま見られます。これ、意外と「ある程度文章を書き慣れている生徒」に多く見られます。

 こうしたレトリック(修辞法)はたしかにあって、これを「反語法」と言います。反語文を用いて、文意を逆説的に強める表現方法です。「今の日本の政治状況はこれでよいのであろうか(いやよくない)」、こういう風に使います。あえて逆の内容で読み手や聴衆に問いかけてその問題意識を喚起する言い方です。問題は、この表現方法そのものではありません。これを「多用する」ことです。

 これは「文章作成にある程度自信のある生徒」には是非知っておいて欲しいことですが、この反語法に限らず、レトリックは多用すると陳腐化(ありきたりな物言いとなって本来の効果がなくなる)します。こういうのは、ここぞというときに使うからこそ効果を発揮するものであって、連続して重ねて使うとその効果はなくなっていきます。「~だろうか。」、「~だろうか。」と言えば言うほど、強調の効果が薄れ陳腐化します。

 小論文において、これが有効的に働くのは、冒頭部(序論)でのたった一回、それは、「問題提起のかたちで自分の意見を提示するとき」のみです。「課題文で筆者は○○について××と述べている。では、○○は□□なのであろうか。」、というように、インパクトを与えるために、最初に問いかけのかたちで読み手に投げつけておくのです。で、これ以後はそれを用いずに「○○は□□ではないと考える。なぜなら~からだ。」とシンプルな表現に徹して論展開を淡々としていきます。この「たったの一回」だからこそこれは効き目があるのであり、これを文章中で何度もやってしまうとレトリックとしての効果も半減しますし、むしろずっと読み手は問いかけられ続けているので、読み手としては「この書き手は一体何を重大な問題として提起しているのかわからない」という事態になりかねません。

(小論文の「問いの立て方」にもかかわる問題です。)

 小論文では、こうした表現は、冒頭部の一回でとどめましょう。

まとめ ~作文とは違う!小論文にふさわしい「文体」をとろう!~

 小論文の説得力は、あくまで「自分の意見がしっかり根拠づけられているかどうか」という「論証の質」によってもたらされるものです。こうした「ロジック」が最も大切なものです。今回の話は「文体」というレトリック(修辞法)にかかわることなので、小論文の本質的なお話しではありません。話し言葉のようなカジュアルな表現で書かれていても、自分の意見が明確に立てられており、その意見の正当性が根拠づけによってしっかり担保されていれば小論文としては問題ないと、「理屈の上では」言えなくもないです。

 しかし、前述の通り、様々な文章にはそれぞれに合った「文体(文末表現など)」があります。その文章にふさわしくない表現で書かれていたら、それは読み手に大きな違和感を与え「ノイズ」となります。それがその文章の説得力に悪影響を与えることもなくはありません。

 作文は「自由度の高い文章」であり、また「自分の理解をより十分にするために書く文章」、いわば「自分の人間性を涵養するために書く文章」です。このように「自己完結している」以上自分さえ分かっていれば「文体」などをさして気にする必要もなかったでしょう。しかし、小論文は「自分の意見を読み手に理解させる文章」、「読み手を説得するための文章」です。読み手のために「文体」にも配慮する必要があります。こうしたことも考えて、小論文作成に臨むとよいでしょう。

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(小論文作成のためのサイトマップ)

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