受験生の小論文や志望理由書に見られる「一文長すぎ問題」を再考する!~『理系のための文章教室』(藍月要)の感想と共に~
更新日:2025/10/30
小論文・作文指導者の〆野が普段の添削・採点指導で教えている、文章作成における基本事項を紹介するのが、このシリーズ【文章作成の基本】。
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(〆野の自己紹介はこちらから見られます。)
理系は文章を書くのが苦手?
理系の方は文章を書くことに苦手意識を持つ方が多いのでしょうか?そう問う私は「ど文系」。理系の方の文章に対する考えはわかりません。でも本当に、理系の方はそんなに文章書くのが苦手なのでしょうか?この本『理系のための文章教室 もう「読みにくい」とは言わせない!』を手にしたときの、私の最初の疑問でした。
文系である私が言うのもなんですが、私の見る限り「文系より理系の方が文章が上手い」です。もちろん、これは日々の小論文や志望理由書の指導を通して得る実感なので、俳句や短歌・詩などの韻文や、小説やエッセイといった文芸的作品の作成となるとまた違うのかもしれません。しかし、私は生徒の書いた小論文・志望理由書を見て「理系の人の方が文章が上手いな」と感じることが多いです。
「文系で自分は文章が上手いと自負している人の文章」は、「レトリックに依存している説得術」や「衒学的な表現を多用する物言い」が前面に出ているものが多いように感じます。日常生活でも、「口数は多く、たいそうな物言いをしているわりに、その実、中身が希薄なおしゃべりに終始する人」っていますよね?それを紙面で体現しているような文章です。表現は巧みであるわりに大したことを言っていない、シンプルな表現で一言で済むようなことを持ってまわった言い方や大げさで難解な表現で何かすごいことを言っているように見せている、そういう文章が多いような気がします。表現は小難しいけどよくよく考えると「それって普通に一般論だよね」という小論文が多い、つまり「小賢しい」けど本当に「賢い」とは言えない文章なんです。
理系の人の書いた、よくできている小論文や志望理由書は、一言で言えば「無駄がなくロジカル」です。地味な等身大の表現で目を引くところはないかもしれませんが、論理的で堅実な文章運びで異論をはさむ余地がありません。それは、見事な数学の証明や数式のように言葉や表現に過不足がありません。その限りで、本当の意味で説得力があり「なるほどな」と自然と首肯できてしまう文章であることが多いです。
もちろん、ここまでの文理の文章の比較は「私の個人的な感想」なのでそう本気に取り合わないで欲しいのですが、それはともかく、上手い下手関係なく理系の人は「文章を書くことは自分たちの専門ではない」と考えるのでしょうか。理系向けの文章作成術本が多く書かれているのは、「理系は文章を書くのが苦手」と考える人が多いことの証左なのかもしれません。つまり、「文章を書くのが下手ではないが、それでも苦手意識を持っている人」が理系には多いのかもしれませんね。
(こうした本が長年にわたりベストセラーになっているのもそうした背景事情によるのかもしれません。)
思えば、理系出身の文筆家の例として、森鴎外や星新一、寺田寅彦、北杜夫など、挙げれば枚挙にいとまがありません。こうしたことからも理系は決して文章が下手ではないと言えますが、「文章を書くのは理系の専門外」という認識から苦手意識が先立つ理系の人も多いのかもしれません。
改めて気づかされた「一文が長くなる」わけ
この本の中に「理系の文章、一文が長すぎる問題」という章があります。文章作成技術の本では必ずと言っていいほどよく見かける、毎度おなじみ「一文長すぎ問題」です。しかし、この本の著者藍月要氏によると、ここには「理系ならではの事情」があるのだと言います。
手前みそですが、私もこの「一文長すぎ問題」は上掲の記事で話題にしています。一文が長くなりすぎることによって、主述関係や修飾関係のねじれなど、文構成が乱れて意味の通らない文になることがあります。これを防ぐために「一文は一意(一義)とし(ワンセンテンス・ワンメッセージ)、一文はなるべく短くまとめよう」という主旨の記事です。
ここで私は「一文が長くなる理由」として、「考えすぎ」で長くなるケースと「考えなし」で長くなるケースとに分けてその理由を解説しました。つまり、考えすぎてあれもこれも書きたいと一文に多くの話題を詰め込むことによって「一文に一意」が保持できずに長くなるパターンと、逆に書く内容を考えずにとりあえず書き出しているために「着地点」を探しながら書くことによって長くなるパターンがあるということです。
しかし、藍月氏によれば、この「一文長すぎ問題」は「理系の文章でありがちな問題」だと言います。
一文が長い文章を、理系はかなり書きがちなのです。
これはどうしてかというと、やはり、誤解しにくい文章を書こうという気持ちがあるからです。表現の不正確さを嫌っているのです。
句点で切らずにズラズラっと続ける一文中においては、先に述べたとおり、言葉は密接につながり合います。長くなると、読むのに負担はかかります。しかし、きちんと読み込むことができた場合は、どこの言葉とどこの言葉が係っているのか、誤解しないような作りにはなるのです。
対し、文章を切ると、代名詞(彼や彼女、これ、それ、あれなどなど)で切れ目をつなぐことになったりします。問題はここにあって、代名詞がなにを指しているか、もしかしたら読み手は誤解するかもしれないのです。それは事実を正確に伝えることを至上命題とする技術系の文書において、致命的です。
なので、なるべく一文を切らずに続けてしまう。それが理系の本能であり、培ってきた倫理だからです。
作家でありフリーランスのIT企業広報である著者は、自身でも述べるように「高専の電気情報工学科に入り、以来大学院まで理系の世界で育ちました」。そんな筋金入りの理系である著者は、「誤解しにくい文章を書こうとするのは理系の本能」であり、そうした経緯から「一文長すぎ問題」が出てくると言います。たしかに、「指示代名詞(指示語)によって文と文をつなぐことで、その指示内容(指し示しているもの)を取り違えて読み手が誤読するかもしれない」と考えて一文が長くなるということは考えられます。ここを読んだとき、私は「たしかにそうした事情からも一文が長くなるな」と改めて気づきました。何を隠そう、20代の私も「一文長すぎ問題」に悩まされていた当事者だったからです。
(指示語で文をつなぐということは、読み手が正しく指示内容を押さえないと正確に文意が伝わらないということでもあります。そのため、書き手は指示語を適切に使う必要があります。)
さかのぼること、20数年前、私は専任講師(社員講師)として学習塾運営会社に勤めていました。そこには「推薦入試の小論文や志望理由書の対策指導をする専業の講師」がいませんでした。そのため、そうしたものの添削指導は国語や社会の先生が本来の業務の合間で行っている状態でした。そこで、その指導を専業で行う講師として自らが立候補したのです。
自薦をする理由は、自身が仕事の合間を縫って論文を書いていたことにあります。当時の私は、美術評論の公募で入選こそしなかったものの最終選考に残るという「一応の実績」はありました。論文が書けなければ論文指導などできるわけがありません。高校生に小論文の指導をできるのは自分しかいない、という自負があり、当時の上司に「ここの高校生科の論文指導を私が一手に引き受けたい」と申し出をし、説得しました。
こうして晴れて私は「専業の小論文講師」となり、そこの高校生科がある複数の校舎に日替わりで出勤し忙しい日々を送ることになりました。しかし、ある日とある校舎長から「大変言いにくいんだけど」と話しかけられました。「〆野先生の授業や添削コメントが分かりづらいというクレームが出ている」ということでした。現に、夏期講習から開講した小論文の授業は最初こそ大勢の生徒が受講してくれましたが、夏明けには受講者数が三分の一になっていました。その校舎長は授業アンケートを私に見せてくれました。そこにはこう書かれていました。「添削されて返ってきたコメントの文章が長すぎて、何を言っているのかわからない」と。このときは、とてもショックでした。
今だとわかります。当時の私は、仕事の合間の休みの日、多くの美学や芸術学、哲学の論文を読み美術評論などを書いていました。それは、大学で哲学科美学専攻に進んだ学生時代からのライフワークでした。当時の私は、そうした哲学や芸術学の論文といった「誤解しにくい文章」の影響を一身に受けた文章で、高校生相手の添削コメントを書いていたに違いなく、そんな文章が高校生に理解されるわけがないのです。
藍月氏は「理系の本能」と言っていますが、この「誤解しにくい文章」は理系の専売特許ではないと私は思います。たとえば、哲学書は概念を言語化するものである以上、言葉は誤解や誤読が出ないように慎重かつ正確に扱われます。結果、みなさんご存じの通り、哲学書の中にある文章は、一文が長くなり係り受けや文構成が複雑になり、あのように難解な文章になっていくのです。また、これと同じ傾向を示す文章として法律関係の文章などが挙げられます。法律の条文が難解なのは専門用語の難解さと一文が長すぎることにあります。また卑近な例で言えば、保険の契約にかかわる文章などです。これらもまた、読む人によって多くの異なる解釈が可能である文章であってはならない(読み方によって罪の重さや保険の契約条件が変わってはいけない)ため、「誤解しにくい文章」として書かれており、そのため「自ずと一文は長くなる」というわけです。
文章には、大きく分けてふたつの種類があります。
・誤解される可能性を過度に恐れず、まずは一人でも多くの人に理解や共感されることを目指すもの
と、
・たとえ理解できる人が少なくとも、絶対に誰にも誤解されないことを目指すもの
です。
理系の人間は、前者の『理解しやすい文章』ではなく、後者の『誤解しにくい文章』の技術を磨く人種です。
これはどうしてかというと、理系が理系として書く文章の数々においては、誤解される曖昧な表現が許されないからです。
私は理系ではありませんが、20代当時の私もまた高校生相手に「理解しやすい文章」ではなく「誤解しにくい文章」を書いていたのだと、今ならわかります。そして、その過程で一文が長くなり、読み手にとって理解しにくい文章となってしまっていたのです。理系の大学受験生(高校生)でも、こうした背景から「一文が長くなりがち」な文章を書いてしまう人がいるかもしれません。
基準が明確な「一文を適切な長さにする」方法
さて、そうした「誤解しにくい文章」をどうやって「理解しやすい文章」へと変換していくかがこの本の大きなテーマとなっています。また、そのテーマの下にあるいくつかの問題の一つとして「一文長すぎ問題」も挙げられており、その解決の仕方が講じられているわけです。
先ほども申し上げたようにこの「一文長すぎ問題」は、文章作成本で必ずと言っていいほど挙げられる「あるある」の問題です。ですから、多くの本で様々なこの問題の解決の仕方が紹介されています。たとえば、「一文を60字以内に限る」というのもその解決策の一つです。
2 短い文章 主語・述語が1組という文章が最も分かりやすい。一文は長くても5行前後。60字以内で。
これは読売新聞社の記者が持っているハンドブック(スタイルブック:非売品)に書かれていることです。5行前後とありますが、これは新聞記者用の原稿用紙の話であって、一般的な400字詰め原稿用紙の場合は、60字以内なので「3行以内」となります(1行が20字)。このように一文の字数に縛りを設けるのも「一文長すぎ問題」を回避する一つのやり方です。
(一般的に購入できる新聞記者のハンドブックには以下のようなものがあります)
しかし、この本での解決策は、一文を短くする基準がより明確でありながらも柔軟性のあるものでした。その一部をここでは紹介したいと思います。
さて、先ほどから『一文が長い文章』という文言を何度も使っていますが、具体的に、長いとはどんな状態を指すのでしょう?長いかどうか、定量的に見分けるやり方があれば素敵ですね。理系向きです。
結論から言うと、あります。それは、読点の数を目安とすることです。
この「定量的」というのがいかにも理系の発想ですね(笑)。また、「『一文が長い』とはどのくらいの長さか」という「長すぎ」の定義から始めるというのも理系らしいです。文系の「何かちょっと長いかな」ではないわけです。で、この後「読点の適切な打ち方」について詳細に解説しています。ここは、ご興味のある方は本書を購入して確認していただきたいわけですが、特別な話は何もありません。しかし、その都度例文を挙げながら詳細かつ的確に「読点の打ちどころ」について解説しています。ここは著者が最も力を入れて説明しているところなので、この記事ではあえて端折ります(ここで全部披露するのは著者に申し訳ないですからね)。なお、著者も言っていますが、読点が適切に打てないとこの後の話は意味がなくなってしまうので、その点ご承知おきください。
(私も、読点の打ちどころについてはこちらで記事にしています。)
その読点を適切に打った上で、藍月氏は、以下のような基準で「長すぎる」という判断をしています。
0個:短めの文章。
1個:普通の文章。
2個:長めの文章。
3個:長い文章。句点で区切れないかどうか検討してみる。
4個:長すぎる文章。ダメではないけれど、なるべく句点で区切りたい。
注)並列要素を区切る読点(セオリー6)に関しては、何個あっても1つとカウント
この基準によれば一文として「あり」なのは読点3個までが「ギリ」、4個以上からは「長すぎる」ため句点で区切る(一文を二文、三文に分ける)ことを積極的に検討すべきということになります。これには「なるほど」と私も納得しました。明確な基準があることで、文章を書く上でどうすべきか迷わなくなります。なお、並列関係を区切る読点は何個あっても1つとカウントするとのこと。たとえば「ここにある果物は、みかん、りんご、ぶどうです。」の「みかん、りんご、ぶどう」は並列要素であるためまとめて1つとカウントするということです。
(なお、並列関係については、こちらの記事でまとめています。)
まとめ ~実践的な「一文の整え方」を身につけよう~
先ほど、私自身の話をしましたが、20代のときほどではありませんが、いまだに一文が長くなりがちです。私の記事を読んでいる方ならおわかりいただけますよね(笑)?そういう意味で、こちらの本は私にとってとてもためになりました。読点を基準に「長すぎ」を回避するというのは「定量的」で非常に基準が明確です。実践的な「一文の整え方」を学びました。
なお、こちらの本ではこの「一文長すぎ問題」以外の問題や話題にもふれています。理系の方で文章作成に苦手意識を持っている人や「あなたの文章はわかりにくい」と指摘を受けた人は、いろいろと参考になる本かと思います(もちろん私のように文系の方も参考になるはずです)。ご興味のある方は購入を検討してみてはいかがでしょうか?実際、この著者の文章は読みやすいです。さすがラノベ作家ですね。私もサクサク読めました。こうしたわかりやすい文章を私も書けるようになりたいなぁ……受験生のみなさんもそう思いませんか(笑)?
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