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Eia Au Eia Oe(私がここにいて あなたがここにいる)

前回はタンザニアとケニアの話をした。今回はハワイの話をする。

まず地理を確認しないと何事もあたまに入っていかないため(主観)、地図系からいく。

ポリネシアとは何か、知ったかしてしまっていないだろうか。ポリネシアはオセアニアの海洋部の分類の1つであり、ポリネシアン・トライアングルの中にある諸島の総称でもある。

ポリネシアン・トライアングル
ハワイ諸島とイースター島とニュージーランドの3点を結んでできる三角形。

ポリネシアに住む人々の祖先は、オーストロネシア語(原郷は台湾)を話すモンゴロイド系の民族だ。

コーカソイド・ネグロイド・モンゴロイドなどの用語は、今でも使用されてはいるが。人類学者らは、もはや、人類に明確な「人種」が存在するという考え方をしていないだろう。身体的特徴の違いは集団の中でも幅広いし、私たちは世界中で交配している。

上の図の5つの島にモロカイ島・ニイハウ島・カホオラウェ島を足した8つの島と、100以上の小島からなるハワイ諸島は、アメリカ合衆国のハワイ州に属している。

ただし、ミッドウェー島(ミッドウェー環礁)以外。


タイトルとサムネの雰囲気に反して、のっけから戦争の話になるが。ハワイに着眼して平和や愛について書くには、避けて通れない。

そんなことなあったんだ?「命をかけたシーン」ってテロップが入っている、ここかな。

また、のっけから他力本願で申し訳ないが。お借りした文章を貼っていく。

こちらからお借りした。
こちらからお借りした。
こちらからお借りした。

サインをねだるのはミリオタだからかもしれないが。大枠では、こういうことなのかもしれない。ポエムっぽく表現してみる。少しだけ知って憎むようになった者が、たくさん学んだ後、憎しみから遠い場所へたどりついていた。

最後まで読むと、この写真の「背景」がわかるようになる。

こちらからお借りした。

ここで言う2世兵士とは、ハワイ出身日系2世兵士のことだ。下の画像で「Nisei」という表現が見られる。

Maui’s Sons and Daughters of the 442nd という団体が建てたメモリアル・センターに書かれている、欧州戦線で亡くなった兵士らの名前。漢字で書いてもいいのでは?という氏名が並んでいる。

ハワイ諸島のことを書く前に、絶対にマルケサス諸島のことを書かねばならない。理由は後でわかる。

マルケサス諸島は、タヒチ島から北東に約1500km離れた場所にある。12の島々から成る。

火山・岩山・滝・入り江で、起伏の激しい景観をしている。(スルーしないで動画を開いた方がいいよ。すごく美しいし、誰かが撮影してくれて無料で見せてくれるんだから)

ここで暮らす人々は、自分たちの土地を、人間の地/人類の大地という意味の言葉で呼んでいるそう。彼ら彼女らが守る伝統文化に、タトゥー・舞踊・言語・乗馬などがある。


マルケサスの12の島の内、いくつかを簡単に紹介する。

ヌク・ヒヴァ島はポリネシアで2番めに大きな島で、世界で3番めに高い滝があり、数多くの遺跡が存在する。観光客は四駆や船や馬で島内を探検する。

(ヌク・ヒヴァ島だけではないが)火山砂で、ビーチはいわゆるブラック・サンド・ビーチ。

黒い砂浜もとても美しい。

タヒチを描いたことで有名なゴーギャンは、ヒヴァ・オア島で晩年をすごした。

『ヒヴァ・オア島の魔法使い』

余談だが。個人的には、マルティニーク島で彼が描いていた絵の方が好きだ。

『林の中の小屋』
『海辺Ⅱ』

英国人の父とギリシャ人の母の間に生まれたが、日本に帰化し小泉八雲と名乗った人物も、彼と同時期にマルティニークに滞在していた。

夏目漱石が八雲の日本文化研究を絶賛していたという。Tsunami を国際語化させたのは、彼なのだそう。

ヒヴァ・オア島から船で40分程で行くことができるが、タフアタ島をおとずれる旅行者はとても少ないらしい。

まさに、手つかずの自然という感じか。

タヒチのように、乾燥ココナツから抽出しプルメリアなどで香りづけしたモノイ・オイルを製造している。

日本のネット通販でもAOC認定製品を買える。

3世紀頃(諸説あり)。マルケサス諸島から、カヌーと星・風・海流に関する知識を駆使して、私たちが現在ハワイと呼ぶ場所へたどりついた人たちがいた。

彼ら彼女らがハワイ先住民だ。

私はこのアニメを観たことがないのでわからないのだが、『モアナと伝説の海』のアイディアもとらしい。

実写版が公開されるんだね。

金属・陶器には恵まれていなかったため、木材・石・貝殻をあつかう文化が発展した。荷役動物にも恵まれていなかったため、巨大カヌーとそれを操る技術が発達した。


南太平洋のカヌーの多くが、個別の木材の設計図をぬいあわせて造られていたのに対し。古代ハワイのカヌーは、良質なコアの木1本からくりぬく方式で造られていた。

つまり、継ぎ目がない。

コアはハワイ諸島にだけ自生している木。

その他多くの点で、ハワイのカヌーは独特である。私のリサーチした限り、一番詳しく書かれている文章をお借りする。


初期のハワイ人は文字を使用していなかったが。高度な航海術を有しただけでなく、精緻な暦も存在した。

自然を読んでいたのだね。風と波、太陽と星々ーー。

100回記念の回で、これ系の話をガッツリ書いた。ハリエッド・タブマンの回でも書いた。

大前提、生きるためにこんな↓あたまのよさ × 行動力が必要になる社会は、嫌だけれども。

もう少し過去回の内容を貼る。


本線に戻る。

前述したように。初期のハワイ人は文字を使用していなかった。口承だけで、実用的な知識から神話までを伝えていた。

ハワイでは、かつて、多神教的 Kapu にもとづく社会が築かれていた。

禁止や禁忌を意味するハワイ語だ。トンガ語の Tabu もマオリ語とタヒチ語の Tapu も、同様の意味で。これらが英語の Taboo(タブー)の語源だと言われている。トンガでこの言葉を耳にしたジェームズ・クックから、英語圏に広まったのだとか。

英国人の探検家クックは、
ハワイ諸島に上陸した最初の遠征隊を率いていた。

カプは、ハワイの社会を厳しく取締るものだった。生活のあらゆる側面(カースト制度・土地保有・行動規範など)にカプが、地位や職業や性別ごとに細かいカプが、存在した。

これを利用して、支配者層が地位を獲得したり・権力を安定させたりしていたようなのだ。あるある。

私は特に食事に対するカプが嫌だな。「男女はともに食事をしてはならない」こっそり一緒に食べちゃえば?家庭内とかバレないでしょ?罰はかなり重かった。最悪、死刑だった。

王族がカプを破った時、身代わりが立てられることがあった。例)こっそりバナナを食べたお姫さまの養育係が死刑に。ズルいとか以前に、そんなことで人の命を終わらせるなんて🤯

ちなみに、抜け道?奥の手?が存在したようだ。何これ。これで1つ物語が書けそう。


このようにハワイの社会をがんじがらめにしていたカプ制度は、1819年に崩壊した。古来の宗教を強く信奉していたカメハメハ大王が逝去した後、彼の2人の妃が終わらせた。

(カメハメハ1世のことはまた後で書く)

「夫婦の食事は同じかまどでつくられるべき。夫婦は同じ器から食べるべき。今後は、女も豚肉やバナナやヤシの実を食べてよい」

カプを破っても王族らになんの不幸も起きなかったのを見て、民衆もカプを無視しはじめた。神々の存在が疑われることへとつながった。

当時のハワイで最高位のカフナ(神官)が、ヘイアウ(神殿)を燃やした。各地のヘイアウが次々と破壊された。

変な仮面気になるよね。他の文献にも描かれていた。
ハウルに出てくるキャラ?という感じ。

王族の指示だったんじゃあないの。新しい宗教を入れる前に古い宗教を片づけておかねば、的な。「そなたにはひき続き、いい暮らしを約束する」とかなんとか言われちゃったりして?自分の神を燃やしちゃった?想像で言って悪いけど、もしそうだったらまじダサいよ。

最初のプロテスタント宣教師(米ボストンから)を受け入れたことで、ハワイ社会への多神教的影響はさらに弱まった。宣教師たちは、キリスト教会を設立しただけでなく、ハワイ先住民にアルファベットの使用を奨励したりしていった。

今のハワイでも、KAPU という言葉を目にすることはある。立ち入り禁止区域を表す看板などで。


現代では。ハワイ神話の神々をモチーフにした木彫りや石像は、人々から愛され・親しまれている。

KU・KANE・LONO・KANALOA が有名だ。(4大神と呼ばれている)

クーは、戦・漁業・森・雨・カヌー・闇の魔術などの神。幅広!

女神の中で最も崇拝されているのはペレ、火山の神だ。

最近のニュース↓生命力あふるるペレ。


独自の貿易が発展し、4つの王国(ハワイ・マウイ・オアフ・カウアイ)が成立していたのだが。カメハメハ1世 = カメハメハ大王が、1795年にハワイ諸島を統一した。

カメハメハ1世の像はハワイに複数ある。

「カ・メハメハ」とは、孤独な人や静かな人を意味するハワイ語。(日本人の多くが思うだろう。へ〜カメハメ・ハじゃないんだ〜と。笑)

彼のフルネームは、カラニ・パイエア・ウォヒ・オ・カレイキニ・ケアリイクイ・カメハメハ・オ・イオラニ・イ・カイウィカプ・カウイ・カ・リホリホ・クヌイアケアだ。

ピカソとどちらが長いだろうか。

洗礼名はもっと長い。

西洋との断絶的な接触が続いた期間に、カメハメハ1世がハワイの征服者にのしあがったのは、西洋の兵器を駆使したからだ。

知識と言ってあげたいが、ぶっちゃけ、そこは武器だ。知識は長いことおぼつかなかった。カメハメハ3世は、英と仏から主権を侵害されたのだし。

予告編には出てこないか。

どうして、黒人が隣の集落(一例)の黒人をとらえて、白人にひき渡していたと思う。利益が得れるからだ。銃などもらえた日には、一気に序列をくつがえせる。それまであった部族間の力関係は一変・コミュニティーは混乱。(映画の話だが映画の話ではない。事実、こうだった)


カメハメハ3世によってハワイ初の憲法ができたのは、1840年。アヘン戦争の頃だ。

ハワイさん、お気をつけあそばせ。

蒸気船本名フレガット 長サ四十八間 巾十五間 帆柱三本 石火矢六挺 大筒十八挺 煙出長一丈八尺 水車丸サ四間半 人数三百六十人乗ワシントン云大府有是ヨリ諸方ヘ運送セル 豊饒ノ地ナリ此国開ケテ千八百五十三年

3世は1848年に、「グレート・マヘレ」という土地私有制度も導入した。これにより、民衆も土地を所有できるようになったのだが。後々、外国人によるハワイの土地所有にもつながった。

民衆と言っても、245人の酋長に分配されたらしいが。残りはほぼ王族のもの。

当時のハワイ人は、そもそも、個人が土地を所有するというコンセプトをよく理解していなかったのだと思う。海洋境界/領海など、もっと理解しなかっただろう。だって、海は神が人へ与えたもうたものだから・神のもの or みんなのものだから。


カメハメハ3世(12才で王位についた)も彼にいろいろと助言していた人物も、どこか世間知らずと言うか能天気と言うか。

そのアドバイザーはハワイ語が堪能な米国人医師だった。後のカメハメハ4世と5世(2人はほぼ同い年)を連れて、英仏米をまわったことがある。旅の途中、王子らが車掌から人種差別を受け、列車をおりるように言われた。彼はある懸念を抱きはじめた。ハワイは英仏米には頼れないのではないか・ハワイは米国に併合される運命にあるのではないか。

お休み中だった想像力が、やっと動き出したか。……私たちは知恵を身につけなければならない。


豊かな天然資源を背景に、ハワイ諸島へ移住する人々が増えた。砂糖プランテーションが数多く設けられ、日中韓からの移民らが農作業に加わった。

リチャード・アームストロング牧師「私は人々にサトウキビ栽培をすすめる活動に加わる。中国人がつくる水車でサトウキビを挽く予定だ」

ピーター・ハードが描いたカウアイ島の様子。
WWⅡ中は米空軍所属の従軍記者として、戦争の様子をスケッチした。戦後は米西部風景画で知られた。

ハワイの経済を支え・ハワイに繁栄をもたらした産業であったことは、間違いないが。プランテーション所有者らが、ハワイの政治に影響力をもつようになってしまった。カメハメハ4世・5世の頃だ。

2016年にハワイ最後の砂糖精製工場が閉鎖し、サトウキビ・プランテーションの歴史は幕を閉じている。「ハワイ・プランテーション・ビレッジ」について、詳しく解説してくれている文章をお借りする。


カメハメハ王朝は1872年まで続いた。

西洋の知識や武器をとり入れ近代化し、立憲君主制を導入するなどしてみたが。外国勢力の影響力増大と後継者問題で、衰退した。


カメハメハ5世の死後、カラカウア王がハワイの王位に選出されたのだが。彼もまた、多くの困難に直面した。

6人目は?
第6代国王ルナリロは在位わずか1年で逝去した。

宣教師らがフラやサーフィンを禁止しようとした時、フラ・ダンスを公式行事で採用するなど、自国の伝統文化を存続させようとつとめる王だったが。同時に、外の世界と関わることにも、果敢に挑戦する王でもあった。

2025年のミス・アロハ・フラの、ジェイデン・ジャネイ・プアハウラニ・パヴァオさん。

伝説のサーファーと呼ばれる、デューク・カハナモク。日本語の動画もあったが、ほとんどが彼のブランドのアロハシャツの話だった。

1975年に米国を訪問し、互恵条約を締結。ハワイの農作物が無税で米国に輸出できるようになった。1881年には世界一周の旅へ出発した。


カラカウア王の旅は日本からはじまった。

記録によると、カラカウア王の日本の感想はこんな感じだ。

船が港につくとハワイの国歌が演奏されたことに、感激して涙があふれた。神奈川県知事が歓迎の花火があげてくれた。日本の料理人は外国の料理をなんでもつくれた。米からつくったアルコールがあたためられ、小さいグラスでふるまわれた。日本の踊りは上品だった。振りは全て何かの象徴だと解説され、フラと同じだと思った。仏教寺院の鐘の音は、キリスト教会のそれとはまた違い、心癒される音色だった。神の子とされる天皇が、自分と肩を並べて歩いてくださった。日本の着物は豪奢だった。通訳係だと思った流暢な英語を話す女性が外務卿(井上馨)の娘で、おどろいた。滞在を延長したいと言おうとしていたら、日本側から延長しないかと言ってくれて、うれしかった。晩餐会場がぐらりと揺れた時、日本人はそれを気にも止めなかった。地震が怖くないのかとたずねると、妙に哲学的な答えが返ってきた。飼い慣らした猛獣のように、いつ牙をむくかわからないため、恐れていると。

日本滞在中、何度もこのことを考える機会がおとずれた。我が国が存在を保っていられるのは、欧米諸国がたがいに牽制しあい、それぞれ海軍を送りこんでいるからで。米海軍が強いからで。

私的に。この歌、恋愛の話だと思って聞くより、ハワイのどうしても避けられない運命を思いながら聞いた方が、俄然ささる。人類の歴史は切ない。

カラカウア王は、スケジュールにない行動をとった。天皇に個人的会見を申しこんだのだ。内容を秘密にしてほしいとも願い出た。

それは、ハワイの王家と日本の皇族との縁談話だった。無謀だということは王もわかっていただろう。王の姪はその時まだ5才だったのだし。

翌年。明治天皇は、丁重にお断りするようにと、手紙をもたせた使者をハワイへ送った。


「愛していない人と結婚するのはよくないこと。
私は幸福になれないし、2人は融和できない」

カイウラニは、美しく聡明で絵が上手くて音楽の才能があって、上級サーファーだった。

20代前半で病気で亡くなってしまったのだが。サーフィン禁止令に屈せず波に乗り続けることで、ハワイの文化と精神を守ろうとした。

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時代の波に翻弄されてもあきらめなかった彼女が、他にどんなことをしたのか。後述する。


前述したように、カラカウア王は、米国との7年間の自由貿易協定に署名したのだが。1887年更新時には、真珠湾(太平洋の戦略的に重要な位置にある)の独占使用権を米国に与えることに。

「市民公衆安全委員会」は、ハワイに住む裕福だったり強権だったりした外国人13人が設立したグループだ。

もっと正直な名前にしたらよかったのに。「ハワイ乗っ取り隊」とか「ハワイ併合企画委員会」とか。

1887年のこと。この13人組をもとに、ハワイアン・リーグという秘密結社が構成された。ハワイアン・リーグは反乱を起こした。カラカウア王に内閣を解散させ、自分たちがつくった新たな憲法に署名させた。外国人が支配する新しい内閣がハワイにできてしまった。

どんな憲法だったのか。投票や立候補に財産と収入の条件を設けるものだったため、ハワイ先住民2/3から政治的な権利を剥奪した。投票に帰化を必要としないことも定めるものだったため、外国人がハワイの政治を掌握した。


このグループは、1893年1月17日に、ハワイ王国の転覆計画を実行に移した。

約1,500人の武装した外国人兵士が、ホノルル・ライフルズなるグループを結成し、宮殿を襲撃した。港に停泊中のUSSボストンの米海兵隊の支援を受け、権力を掌握した。

この時に王位についていたリリウオカラニ女王(カラカウアの妹)は、愛する者たちの命とひきかえに、女王廃位の署名をした。

「自分だけのためならば、署名するよりも死を選んでいたと思う。しかし、自分の立場を考えると……。私のペンによって食い止めなければ、多くの血が流れてしまう」リリウオカラ二の自叙伝より。

100人に満たない仲間を集めどうにか自分を守ろうとした、6名の忠実な臣下を処刑すると言われ。これにサインすれば、彼らが死ぬことはないと言われ。(ウソかもしれなくても)しないでいれるか。

まぁ、異国の人たちが最も多くハワイの人たちを殺したのは、感染症によってなのだが。これもあるあるだ。


クーデターを主導した1人サンフォード・ドール(共和党)が、ハワイ共和国と宣言された国の大統領に任命された。13人組のなんちゃら委員会は、その暫定政府になった。

白ヒゲの方ね。

ハワイ共和国?当時の米大統領クリーブランド(民主党)がこの併合を認めなかったことから、ハワイは短期間、The Republic of Hawaii とされていたのだ。この大統領のことも後述する。

「ハワイアン・パイナップル・カンパニー(現「ドール・フード・カンパニー」)を創業したのは、サンフォードの従弟。

サンフォードは別として。ドール一家に、このクズ野郎・ハワイのっとり隊とまでは、私は言えない。カラカウア王やリリウオカラニ女王の弁護士をしていたのが、より大きな絵図の一部だったとは思えないし。パイナップル産業でハワイの経済を活性化させようという気概も、なくはなかったのだと思う。


リリウオカラニ女王の像

「私は女王としてハワイ王国の憲法にもとづき、この王国の暫定政府を設立したと主張する者らによる私およびハワイ王国の憲法政府に対するあらゆる行為に対し、厳粛に抗議するが。これ以上の人命の損失を避けるため、私の権限を放棄する。提示された事実にもとづいて、米国政府がその行動を取り消し、ハワイ諸島の権限を私に回復させるその時まで」

(カラカウア王が建てた)イオラニ宮殿から多くの銃器が見つかったとして、8ヶ月間、リリウオカラ二は監禁された。とことん支離滅裂。

英国に留学中だった17才のカイウラニは、米国へおもむき、ニューヨーク・ボストン・ワシントンDCなどでハワイ王国の復興をうったえた。先ほど書いた、サーフィンが得意だった王女だ。

彼女の行動は、グロバー・クリーブランド(アメリカ合衆国第22代・第24代大統領)に伝わった。

すぐに事実調査が開始された。ハワイ諸島の情勢・女王の政府を転覆させた革命の原因・現政権に対する国民の感情など。その結果、アメリカ合衆国はハワイ王国に戦争行為を行ったと結論づけた。


「女王は、米国の力に抵抗できないことはわかっていたが、米国の正義に信頼をおくことは安全だと信じていた。米国の外交代表は、議会の承認なしに戦争行為を行い、弱小だが友好的で信頼できる国民の政府を打倒した」

信じてもらっていたのに、相手の期待を裏切って。普通の人間関係で考えてみて、一生の恥レベルだろ。世界と歴史から、人間はよいものだという証拠をまた減らして。この展開見あきたと、神もうんざりだよ。まだ弱い者を支えるのでなく、利用して踏みにじって。

欧米の強国だけの話ではない。状況によって、どこの誰でも被害者にも加害者にもなる可能性があるため、人類全体の問題だとか。そういうマクロな話でもない。

真珠湾攻撃の犠牲者2,430人の中には、当然、ハワイの民間人も含まれていた。カラカウア王が存命だったら、日本人から聞いた地震の話があたまをよぎっただろうよ。「いつ牙をむくかわからない」

冒頭の写真を思い出してほしい。当時のハワイの、10代後半から20代前半の日系人からしたら、親の祖国が自分の祖国に宣戦布告したわけだ。ほぼ日系人の志願兵で占められていた連隊戦闘団から、彼らの複雑な事情がうかがえる。

大量のJ.G.バラードがいたようなものだ。

真珠湾生存者協会の元支部長「真珠湾攻撃は軍が頭越しにやったこと。天皇ご自身ではどうなさることもできなかったのではないか」「日本人がアリゾナ記念館にいることに不快感を示す人には、あなたが広島と長崎をおとずれる気になった時に日本人から不快だと言われたら、悲しいだろうと説明している」

いたし方なかったのだとか、無理やりでなく思えるのなら思えた方がいいし。時が経って憎みあわずにいれるようになるのなら、それに越したことはない。お互いに。


利害関係のある大勢が、クリーブランドの任期切れを待っていた。1898年のアメリカ・スペイン戦争から、真珠湾の軍事的価値が高まっていたことも関係あった。大いにあった。

1897年に大統領となったウィリアム・マッキンリーは、ハワイ併合を押し進めた。(ちなみに、19世紀最後で20世紀最初の米大統領だ。しかも、暗殺されて亡くなった)

ハワイ併合の共同決議が米政府議会で可決され、ハワイ準州が創設された。その後、当時の米大統領がハワイ州昇格法に署名。1959年に、ハワイはアメリカ合衆国の50番めの州となった。= ハワイはアメリカに併合された。

これはハワイの人々も望んだことだ(ここまでくればもう、という話ではあるが)。米国の税金をおさめているにもかかわらず、立法府の代表権をもたないことを理由に、州昇格を求める運動が起こっていた。

ハワイ州旗

なんでユニオン・ジャック?

カメハメハ1世が、英国人から西洋の知識をいろいろと教えてもらったからと、友好の印的な流れで。後々、その英国旗そっくりな旗を見て怒る米国人の機嫌をとるために、米国旗のデザインも採用したと。結果、この英米国旗のような不思議なハワイの旗ができていたらしい。

長年のハワイの苦悩は、ハワイ州旗に思いきり表れているわけだ。


 「アロハ・オエ」は、リリウオカラニが監禁されている間につくった曲だと言われている。(彼女がつくった曲なのは事実だが。この時につくったかどうかについては、諸説あり)

タイトルは「我が愛をあなたに」または「さようなら」と解釈されているのだが。Tia さんが until meet again だけ英語でも歌っているのを聞いて。再会や再開への願いや希望が、この歌のコアなのかもしれないなと感じたり。

国と民を愛した最後の王の気持ちか。切ない。

この歌に似てるね。

ビル・クリントン大統領は、「1893年1月17日のハワイ王国の転覆とハワイ先住民の自決権の剥奪について、米国民を代表してハワイ先住民に遅ればせながら謝罪する」文書に署名した。


今日、ハワイ経済の二大産業は、観光業と米軍である。不動産価格は、平均して全米のどの州よりも高い。ベゾスやザッカーバーグが不動産を所有している。かつてドール社が買ったラナイ島、そのほぼ全域を現在所有しているのは、オラクル社のCEOだ。

彼の目的は、天然資源を保護管理しつつ、サステナブルな島を目指すことだそう。天然資源によるエコ・システムや「Sensei Farm」に取組んでいる。

そして。信号は1つもなく、ガソリン・スタンドは1つしかなく、スーパー・マーケットは2つしかない島に、フォーシーズンズ・リゾートがたくさんある。

乾いた笑いが出てしまう。数日滞在するだけの観光客と違って、地元民は365日そこで暮らすのにね……。

世の中には、観光業やサービス業を「下」に見るような人が存在する。そういう輩は、ゴミを回収してくれる人や掃除をしてくれる人も「下」に見ているだろう。一言、「ゴミはあんただよ」でいい。

私がハワイで一番楽しかったのは、ハワイ島のこれだ。一緒にまわった外国人ら(他人)と相当くだらない話をして、バカほど笑った記憶。

アイアンマン・ワールド・チャンピオンシップの日に行ったため、空港から近い宿泊先に超遠回りして行かねばならず。楽しかった。疲れてすぐにホテルへ行きがちだからね。ドライバーの男性が「あなた私のためにわざと言った。やさしい」と言ってくれた。まぁ、たしかに、わざと口に出した。だって、同乗者が怒っているドライブなんて最悪じゃん😂

フロントの女性が「ハワイアン・ロミロミなど受けるな。こっちのヘッド・スパつきのマッサージにしろ」と、アーユルヴェーダらしきものを勧めてきたのに吹いた。「体に熱した石をおかれたって、ぶっちゃけ、ぜんぜん気持ちよくない」と😂

😂

みんなおもろくて好きだ。

州制成立後、観光客数は増加の一途をたどった。基本的に、住民の賃金は高騰する生活費に追いつかず、彼ら彼女らはハード・ワークを強いられている。


〆に、ハワイ語のステキな単語をいくつか紹介する。

Akahai(思いやり)Lokahi(調和/協調)Oluʻolu(喜び)Haʻ ahaʻa(謙虚さ)Ahonui(忍耐/辛抱)
Alo(〜の前に)Ha(神の贈り物/命)

ʻĀina(大地)Moana(太平洋)Kai(海)Liko リコ(若葉/つぼみ)Koa(勇気)Mahina(月)ʻOhana(家族/絆)Mahalo(ありがとう/感謝)Lino(輝き/奇跡)Noʻeau(賢い/才能ある)Nana no moe(夢を忘れるな)Mana(奇跡/生命力)Aloha kaua(私たちの間に愛がありますように)Eia Au Eia Oe(私がここにいて、あなたがここにいる)

以下は、ハワイのことわざや格言の一例だ。

Ua ʻelepaio ʻia ka waʻa.(エレパイオがカヌーを見つけた)

エレパイオという鳥がつついているコアの木を、カヌーづくりに使ってはいけない。虫に食われていて耐航性が低い木であるため、よいカヌーができない。

He ʻaʻaliʻi kū makani mai au. ʻAʻohe makani nana e kulaʻi. (私は風に抵抗するアアリイだ。どんな強風も私を倒すことはできない)

アアリイの木は強くしなやかで。強風でも、曲がったり折れたりめったにしない。