ドナルド・トランプの台頭を予言していたSF作家
1960年にデビューしてから多くの作品を世に遺し、2009年に亡くなった小説家ジェームズ・グレアム・バラード。
彼の小説には、ある人物によく似たキャラクターが登場していた。その人物とは、現職のアメリカ大統領ドナルド・トランプだ。

いつも通りさまざまな話題へ寄り道をしながら、このことを書いていくつもりだ。今日も、私と一緒に探求の旅へ出かけよう。

1996年の有名なこの曲のタイトルは、「仮想の狂気」だ。
テクノロジーの産物で形成される日常・メディアの采配に左右される感情。バラードは、これが私たちの自然な状態なのだと考えた。
言いたいこと、わかる。サバンナではなくなってからもう長い。サバンナって……と笑いたくなるかもしれないが、これはまじめな話で。生物は環境に順応するものだ。


晩年のバラードは、現代の人間社会の奇妙な生物ーーセレブの死亡報道に性的快感を覚える男だとかーーをひたすら描写していた。人間の根本的な欲望と技術や資本主義との関係性に関心を抱き、彼なりの方法で追求していたのだろう。

著者の一生がどのようだったかも含めて解説してくれる動画は、ありがたいよね。
1949年にこれを出したオーウェルには、かなわないのかもしれないが。バラードも他の多くの作家たちもすごい。物語を創造できる人たち、どれだけあたまがいいんだ。


あらゆるクリエイターらから放たれる人類の可能性は、誰1人としてそれを否定できないほど、燦然と光り輝いている。



彼女は胃不全麻痺をわずらっており、私たちのように食事を楽しむことができない。適切な処置をほどこさないと、常に栄養不足~生死に関わるのだろう。それでも彼女の歌声は力強く響きわたり、聴衆の胸を打つ。


シルヴィ・ギエムの解説の動画をお借りする。(この方がたくさんお出しになっているバレエに関する動画、どれもおもしろい!)
無から何かを生み出したりできない私のような人にも、学ぶという手段が残されていたりする。みんな、よりよい世界をクリエイトするのに参加することができる。
懸命に働く「だけ」・子育てをする「だけ」でも、じゅうぶん社会に貢献している。みんながんばっている。
にもかかわらず、この世界は暗い。
続きを話す気力を全てもっていかれそうな映像だ。こんなことも止められないで、これから先、一体私たちに何ができると言うのだろうか。もうすぐ2年経つ。
今回は、この過去回の続きを書く感じにもなると思う。
内容を部分的に貼り出しておく。いつメンも、再度軽く目を通してほしい。





バラードは、60年代~70年代の英国におけるSF「ニュー・ウェーブ運動」を主導した1人で、SFは外宇宙より内宇宙をめざすべきと語っていた。
いわゆる、インナー・スペース(人間の中のまだ解き明かされていない領域)の探求というやつだ。
『ミクロの決死圏』がわかりやすい例。
ラクウェル・ウェルチが出てる。誰?と思った人へ。『ショーシャンクの空に』の原題は『刑務所のリタ・ヘイワース 春は希望の泉』だ。

リタだったポスターが彼女に変わったことで、主人公が無実なのに刑務所から長い間出れていないことが、強調されている。40年代 → 60年代。

日本のマンガやアニメで言うなら、これだ。楽しく勉強になるすばらしい作品だ。

「命を懸けて命を守る」適切なキャプションだ。血小板がみんな子どもなのには理由がある。本筋ではないため、他力本願で。動画をお借りする。

ここはインナー・スペースの話なのだから、関係ない余談だったと謝るつもりはないよ。

こんな感じからまだ100年も経っていない。すさまじい変化の速さだ。今80才以上の方々は、生まれた時こう↑だった世界がこう↓なったんだもんな……。自分におきかえて考えてみて、ついていける自信があるか。

改めて、御歳70才のブーチ先生はすごい。
無料公開されている数々の良質な教えに感謝して、そう呼びたい。どこかの国の中学校か高校の教師が、生徒に教えるのに使っていいかと許可を求めて、SNSで彼に話しかけていたのを見たことがある。質問がある生徒がいたら自分が直接対応してもいいと、先生は返していた。
アルトマンに対して、小僧!わしの目の黒い内はキサマのような道化に世界を好きにはさせんぞ!と言わんばかりに(実際もっと激しく叱責している)、彼の偽物っぷりを語ってきた。


こういう指摘、もう削除してしまったと思う。世の中に失望したに近い感じで。先生は何も悪くない。大切なことを教え続けてくれたのに、私たちが世界をよくできていないせいだ。

当時のSF雑誌によると。「古い障壁は消失しパルプ・タブーは忘れられ、新しいテーマと作法が探求された。銀河戦争は去りドラッグが受け入れられ、エイリアンとの遭遇が減りベッド・ルームの場面が増えた。既存のSF的要素は、コインのようにその価値を低下させていくだろう」
新たな扉が開くのを歓迎する気持ちも、止められない変化を悲しむ気持ちも、両方感じられるコメントだ。わかる。
ベッド・シーンがどうしたの?かつてのSFでは、性的な描写を含まないという暗黙の了解があったらしい。それにしても、「コインのように価値が低下」って。よげんの書か。現代のうちらには、これ系に聞こえるよね。


いつからか、バラードのような作家たちの作品が、スペキュレーティブ・フィクションと呼ばれるようになっていた。
SF(Science Fiction)ならぬSF(Speculative Fiction)とは。さまざまな点で現実世界とは異なる世界を推測・追求した小説などの作品、既存のSFに哲学的要素を足した作品をさすのだが(ディストピア小説はこの一例と言えるか)。
バラードの場合、その一部が偶然、第45代と第47代の合衆国大統領をリアルに予想したような内容になっているのだ。
思うところあってフィクションを装いノンフィクションを発表する者ら(オーウェルはまさにこれだった)が、結果的に預言者のようになることは、さほど珍しいことではないかものしれないし。ヘロドトスの『歴史』は、このジャンルを言い表す用語ができるはるか前に書かれた、スペキュレーティブ・フィクションなのかもしれないが。




バラードは、少年時代を上海共同租界ですごした。
南京条約により開港した上海に設定された租界(外国人居留地)には、英米日の租界をまとめた共同租界や、仏の租界があった。


中国との約束を無視して強引に拡張されたりしたため、ひんぱんに紛争のタネになった。治外法権を得ていた租界らは、次第に、中国人を排斥するように。公園に「中国人と犬、入るべからず」という看板がかかげられたりしていたそう。
ちなみに。こういう情報には気をつけないとね。強い感情をもつ前にね。今時はファクト・チェック ファクト・チェックと簡単に言う。ぶっちゃけ、ファクト・チェックをなめている。これ↓を書いた人は「ファクト・チェック」をできている。
WWII開戦後、バラードの一家は日本軍の捕虜収容所に収容された。
スピルバーグ監督により映画化もされた『太陽の帝国』は、バラードの半自伝なのだ。
君は、その生い立ちとその状況では、中国人にもアメリカ人にもイギリス人にも日本人にもなれない/ならしてもらえないよね。全員と関係があることは本来いいことだろうに。戦争中は、おまえどこ組だよハッキリしろよとなるのだものな。

でも、どんな時でも、飛行機とパイロットは絶対的にカッコイイんだね。私は戦闘機のことはわからないけれど、その気持ちのあんばいはわかるよ。不謹慎とか知らんがなだよな。

「両親の顔を思い出せない」これを聞いた大人たちは、かわいそうに!と思うに決まっている。想定し得る以外の感情(飛行機に比べたら親とかわりとどうでもよくて……)をこの子がもっていようものなら、けしからん!となるに決まっている。
まさに、これ。
戦が日常となった少年少女の物語なのだ。
「『太陽の帝国』の主人公」にとっては、戦争は完全にネガティブな経験ではなかったわけだ。バラードが、飲みこみやすい錠剤化せずに人々に伝えたこと。そのこと自体を私はリスペクトする。
16才で単身イングランドへ。祖父母と暮らした。
大学で医学を学び、後に文学を学んだ。英空軍に入隊した。SF小説の魅力にハマったのは、その頃だったそう。作家になる前は、広告代理店のコピー・ライターとして働いたりしていた。

ポスト・デモクラシー(ポスト民主主義)は、ある政治学者が2000年に提唱した概念で。民主主義制度(選挙が実施され・政府が倒れる可能性があり・言論の自由がある)にもとづいて運営されているものの、その適用範囲が次第に制限されつつある国家を表す造語だ。
例:少数のエリート層が民主主義制度をのっとって、自らに意思決定権を与える。

ポスト民主主義・ハイパーメディア化・統制重視の社会における、より暗い心理文化的変容を体現する生きた存在としての、トランプ氏。集合的意味の廃墟の中で繁栄する、裕福な社会病質者としての、トランプ氏。
彼のファンである人たちに不快感を与えたら、申し訳ないのだが。私は私のしたい話を続ける。私は個人攻撃のために文章を書いたりしない。
本当は〆に書くような内容かもしれないのだが。これを結びとするほどの気持ちもないため、今書く。私は、(暴力という選択肢には断固反対するが)団結して立ち向かったら既存の支配者を倒せた!という記憶を国がもったことは、いいことだったと思っている。今回のこんな内容で、信じられないかもしれないが。私は全否定はしていないのだ。前段で書いたのも似たような話のつもりだ。〇〇は絶対的に悪いものなのだから/私たちのいる側が正しいのだから、お前もそう思え!みたいな。そういうの怖いでしょう。
ポピュリズムの解説は他力本願で。端的に書いてしまっていいようなものではないが、書き出したら文字数がいきすぎてしまうため。動画をお借りする。


暴力にむすびつく類の激しい感情が、社会生活における娯楽の1つのようになっていき、いずれ政治的権力の形態として再パッケージ化されるーー。著作を見るに、特に後期のバラードは、このような懸念を抱いていたのだと思う。
彼の作品のキャラクターたちは「社会病質」のさまざまな形態を体現している。システム全体の不調を加速させるような症状という意味で、私は今こう言い表している。トランプ氏は、バラードの世界観の中では、典型的な存在なのだ。

バラードの『Super-Cannes』や『Millennium People』や『Kingdom Come』には。カリスマ性と資本の輝きのもとに暴力性を隠蔽する、洗練されながらも計算高い、「社会病質者」たちが登場する。

これらのキャラクターたちは社会から追放されておらず。むしろ、人々から称賛されたり崇拝されたりしている。人間の欲望・メディア・スペクタクルをたくみにあやつり、社会を部分的に破壊することで、新たなかたちの支配を確立することに成功する。

彼が国民や世界に対して自らをどのように印象づけたいと考えているか、よくわかる気がする写真だ。
トランプ氏自身、批判しているシステムそのものから生まれている。彼のうったえかけ方は、パフォーマンス的かつ情動的である。要するに。庶民のルサンチマンをかきたてながら、自分を支える富や不平等な構造を温存している。

トランプ氏のメディアにおけるペルソナは、彼の反社会的な特性に「かかわらず」ではなく、むしろ「それゆえに」形成された。
トランプ氏の発言例「メキシコとの国境に巨大な壁をつくる。私ならそれを安くつくれる。メキシコに費用をはらわせることができるからだ。見ていろ」
え、進撃の巨人式ですか。

トランプ氏の発言例「不法移民は犬や猫を食べている。ペットが食べられる」
🤯
アタオカwwwと話を終わらせることはできない。
彼の行動を特徴づける衝動性や支配性は、関与と注目というアルゴリズム的論理に支配された文化において、美的特徴にまでなったのだから。
ドゥルーズの「モジュレーション」という概念ーー絶え間ない適応とフィード・バックによる制御ーーは、トランプ氏のたくみさに通じるものがある。混沌を介して公共の言説をモジュレーションし、事実・規範・期待を絶えず不安定化させる。
バラードに言わせれば、これが、新たなかたちの主権者(安定性や信頼性によってではなく、継続的な混乱と危機の創出によって統治する主権者)である。

たしか、『Kingdom Come』だったと思うが。ショッピング・モールやスポーツ・アリーナといった場所をモチーフにして、郊外の消費主義的ディストピアが描かれていた。

トランプ氏は集会を開き、人々にショーを見せる。そこでは、彼の不動産帝国でのキャリアは、台頭の背景ではなく小道具や舞台装置だ。なんだかんだ言って富や権力は魅力的なものだろう?と、大衆をさそう。
方向性のちぐはぐさを感じとれない人は少なくない。MAGA の America は一般大衆をさしてもいるわけで、真逆の主張というわけでもないしな。ノリのよい音楽を大音量でかけられ、派手なパフォーマンスをされてしまえば、麻痺する。
私は違う、などと言うつもりはない。笑える部分があったりすると、私もよくよくもっていかれる。正直、これ↓には楽しい気持ちになった。彼をいいと思った。
これらは政治の失敗なのだろうか、という話がしたい。崩壊と支配を同時に!という、1つの策略なのではないか。
ほうっておげはいい・どのみち自滅する。そういう見方もわかる。しかし、だ。トランプ氏は、理性や礼節や真実に関する信頼を減らしたが。感情の激しさを追い求める社会において、現在も尚、成功路線上にいるのではないか。
言わずもがな。その場合、彼を成功者たらしめるのは我々自身だ。
これはこれで私たちの歩んでいる道の1つだ。
わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明です。ドナルド・トランプという存在は、終末的な衰退期にある社会体の、ひとつの赤いベクトルです。

彼は指導者ではない。私はそう思う。
個人化されていない自己・デジタル的に外部化された自我・ポストモダンの大衆ーーそれら混沌の増幅器だ。
これは彼に限ったことではないが。衝動的に見えるその言動は、実はパターン化されている。
症状であると同時に促進剤であり・産物であると同時に生産者でもあるということだ。


そもそも、人間の正気と狂気の境界線はあいまいなものである。トランプ氏の台頭は、反社会的な行動の正常化を象徴しているようである。

この日、いろんなことがあったのだとは思う。私が指摘しているのは、どちらかと言えば、この装いのことだ。トランプ氏を応援する人でも思うだろ。角と毛皮と半裸である必要などないと。極まった左派に見た目が一番似ているのは、極まった右派だよね?本当、奇妙な世の中だよ。

バラードが「すでに起こった未来」と表現したもの。それはディストピア云々ではなく。私たちがSNSで拡散したり選挙で選んだりして、この後すぐに起こる、リアルな未来のことだ。

彼を必要とするソサエティーでは、もはや、ソシオパスは社会の外側にいないだろう。
家をなくしたらどこへ行けばいいのでしょうか いつか本当にわかるようになるのでしょうか 私たちはいつもただふりをしているだけなのでしょうか 心は失われたらどこへ行くのでしょうか なぜ日々は同じに見えるのでしょうか
母さん、教えて
「私たちは保険会社にとって代わる。ウォール街にとって代わる」 ジョセフ・ルビン

資本主義のフードの下には、経済的反乱分子たちの暗号世界が存在している。彼ら彼女らはこれまで、グローバル・ガバナンスの支配体制の先にある無政府主義的未来に、電子的な種をまいてきた。
グローバル・システムからの脱却と言えば、何かしら聞こえはいいのかもしれないが。資本の透明性の根源を匿名性によって弱めようとする、テクノ分離主義の牙が見え隠れしていたように(今となってはそれをむき出しにしているように)、私には思える。
「死ななければ強くなる」アミール・ターキー

彼に言いたい。私は、あなたの専門分野のことをあなたよりずっと知らないが、あなたが知らないであろう(興味をもったことがないであろう)ことを知っている。その分野の中で言うと、あなたの見当は外れている。
「個人のエンパワーメントを推進するコミュニティーが、次世代のデジタル・ブラック・マーケットに必要なツールを人々に提供するための軍拡競争を繰り広げている」と、『Inside the Dark Market』という本に書いてあった。

死ななければ強くなるーーそんなことはない。
ターキ氏はこうも語っていた。「私はただのプログラマーで。コードは表現の一形態である。アイディアを語ったからと言って、誰かを投獄することはできない」まぁ、あなたは、角と毛皮を身につけて半裸で叫んだりはしないわな。
ビジネス・経済・社会のパラダイムに変化を起こせば、さまざまな業界で取引コストと参入障壁が軽減され、経済交流と繁栄が増大すると。そのためのプログラムを配布している我々を、犯罪的な陰謀を企てているような輩と一緒にしないでほしいと。このように言いたいのだろうが。
皮肉なことに。テクノ分離主義によるシステムからの離脱を主張するアナーキストらは、すでに、権力にとりこまれている。自分らが加速させた新たな力をさらに得た権力にだ。

いや、オルタナティブはいいのだ。

むしろ、こちらがツッコミを入れたいくらいだ。スターターに対してだが(他はそもそも大義などない)。あなたがたが目指したのはオルタナティブじゃなかったのかよ!と。私を進む意志を嗤う豚にしてくれよ。

餅は餅屋。このままエミンさんから動画をお借りする。(あえて、関税などトランプ氏について話していらっしゃるのは貼らない。そもそもプロの話を聞くことだけしていればいいのに、私は私なりに書いてみたのだから)
後半、打って変わって、おまいらはまだトルコ料理を知らないという内容だった😂私は忘れていない。この「そのうち私がやります」を。世知辛い世の中に【朗報】日本で本場の美味しいトルコ料理が食べれる日がくる。

小規模の自由主義的なコーダーが、テクノ・コマーシャリストから逃れるために、ダーク・ウェブに足をふみ入れれば。大企業も、ただ傍観しているのではなく、同じ技術を自らの利益追求型ビジネス・モデルに組みこんでいく。
悔しくないのかよ。何がしたかったんだよ。
「オルタナティブ暴走」「繰り返しの午後煙る街」それな。
私たちが逃れようとするシステムそのものが、私たちのアイディアをいかにして吸収し再統合しているかを理解するための、より大きな枠組みを大勢が失っている。自己組織的な資本主義の流れという断片的なビジョンによって、大勢が盲目になっている。

先進国の教育制度や大学は、同じ機関から、資本家と反資本主義者を育成や輩出している。半分は権力体制に入りこむ。半分は傍観して自らの権力の無さを嘆く。
批判を注ぎこめば注ぎこむほど、互いにゆがんだ妄想におちいっていく。
政治は明らかにショーの側面をもつが、ショーは資本家たちによっても行われている。彼ら彼女らは誰なのか。とうの昔に「政治のショー」から去った者たちだ。ここ、伝わってほしい。

こんな写真が世界中で撮れる。
残りの何割かは、メディアに雇われショーをやっている。大衆に自分たちに選択肢があると信じこませる役目をになっている。
いや、今や、そんなショーさえ終わっているのかもしれない。現実となったディストピアが私たちを丸呑みしているのだから。

「恐れを知らない戦士のようにふるまうしかない」「静かに消えてゆく季節を選べないと言うのなら」
右派では、大聖堂から脱出しようと、(前述したように)テクノロジー分離主義の自由主義者らが反乱を起こしている。なぜか、私たちは団結して問題を解決することができない。これがなぜなのか、永遠にわからないまま終わるのかもしれない。
左派は、過去の神話という薄暗い船(荒波を航海してなどおらず、うちあげられて朽ち果てている)の中に閉じこもっている。新自由主義への批判をひたすら続ける代わりに、先進資本家らの社会に対するビジネス・アジェンダを研究すべきなのに。


聖アントニウスが砂漠で直面するさまざまな誘惑が描かれている。
「民主党は悪い政党・共和党はバカな政党」と表現していたピーター・ティールは、2016年にトランプ氏を支持(トランプ陣営に125万ドルを献金したり)した理由をたずねられ、このように答えたことがある。
私の中にあったのは、メディアが書き立てたようなシリコンバレーへの逆張りでもなければ、反動主義でもなかった。私の中にあったのは、Make America Great Again への共感だった。自分たちが過去と比較して停滞していることを、アメリカ国民に認識してもらいたかった。
だから10年後を見ていきたい/見てほしい、とも言っていた。

ところが。トランプ氏への投票は言葉にならない助けを求める叫びのようなものだった・彼を支持することは思っていたよりも危険だったと、意見を変えた。
よどんだ部屋の空気を入れかえたかったのだろうか。大金持ちはそんなナイーブじゃないか。わからないが。言葉のまま聞くとして、そのような心境だったのは彼だけではない。
もしくは。ティールは「次の大統領を用意」しているのかもしれないとかね。10年後を見てほしいという言葉が、意味深に聞こえてこなくもないけれどね。
トランプとヴァンスの橋渡しをしたのはティールだった。

かつて2人は知りあい。ヴァンスが仕事を探していた際、ティールは持ち株会社に就職させ。ヴァンスが自分の会社を設立した際、ティールはファンドに出資し。ヴァンスが連邦上院選に出馬した際、ティールは約1500万ドルの献金をした(1人の上院候補に対する献金額として史上最高)。



さすがに基本情報すぎる。プロの秀逸な文章やSNSへの良質な投稿を読んだ方が、ずっと有益だ。
Vance succeeded where Silicon Valley couldn't.
— Tim (@timthoughtleadr) August 25, 2025
Tech companies had the arguments. He had the power.
When you combine expertise with influence, you can shape global outcomes.
Vance, along with every successful founder, understands this: pic.twitter.com/dMDITEN4Y7
ティールは同時期に、左寄り非営利団体にも多額の寄付をしていた。彼は今までに、ヴァンスやトランプ陣営のスタンスとは大きく異なる行動もとってきた。
ヴァンスが頼みこんでももうダメで、ティールからの援助を得れなくなったにしても。トランプ氏は、カジノ業界の大物などから献金を得る。
スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは言った。
我々はまだ中間的な段階にある。新しい政治的論理がおしつけられる時、人倫(Sittlichkeit)ーー書かれていない規則ーーはまだ不確かで。人々は尚も1つのモデルを探している。問いはこうだ。別の小さなバカげた民族主義的国家になるのか、この基本的で多元主義的な開放を保っていくのか。

クジラもシャチに我が子をおもちゃにされるからな。
世間がどう評価してくるかとは別に、バラードは自身の代表作を短篇『The Voice of Time』だとした。文章で自分の決意を表わすことができたからだと。
宇宙の中で感じる孤独・生物に関するとりとめのない想像・水のないプール・朽ち果てた飛行機に秘められた記号・無常観が強まる心理状態から、ぬけ出そうとする決心なのだそう。

こういうところは、私たちもバラードと同じだ。この世界における自らの立ち位置を理解しようと、努めている。
