捨てる神あれば拾う神あり=本質的価値は評価者を変えながら存続する|レイオフニュースを受けて
米大手ECサイトのレイオフニュースを見ましたか?
わたしも外資系企業にてその渦中を何度か経験したことがあるので、当事者としての危機感の生々しさには自信があります(笑)
・レイオフされたら年収がガクッと下がるんじゃないか
・ローンをどうやって支払えばいいんだ
・もう◯ぬしかない!
と頭の中のリスク管理者は声高に叫んできます。
でも、「努力の成果と身につけた実力ってそんな簡単に消えるっけ?」とふと冷静になったとき、記事タイトルの本質に気がつきました。
捨てる神あれば拾う神ありとは、運や情けの話ではなく、本質的価値は評価者を変えながら存続し続けるという、極めて構造的な事実を言い表しているのではないか、ということです。
本質的な価値は、そもそも「急速に蓄積できない」
実績や実力と呼ばれるものは、
短期間で簡単に積み上げられるものではありません。
・成果を出し続けた履歴
・難しい局面での意思決定
・再現性のあるアウトプット
・周囲からの信頼の蓄積
これらは時間と試行錯誤を前提とした不可逆な投資です。だからこそ、急速に得られない代わりに、急速にも失われない。
価値のこの性質を理解していると、レイオフという事象の見え方が変わります。
レイオフは「個人の価値の否定」ではない
レイオフは、ほとんどの場合、
・事業ポートフォリオの組み替え
・成長領域への資源集中
・組織構造の最適化
といった経営判断の結果です。
つまり切られているのは、
・個人の努力
・過去の成果
・能力そのもの
ではなく、
「その事業・その文脈における役割」です。
実績ベースで着実に年収を上げてきた人が、レイオフ後にほぼ同水準、あるいは微増で着地するケースが少なくないのは、
価値が消えたのではなく
評価主体が変わっただけ
だからです。
「拾われる人」と「拾われない人」の差
ここで重要なのは、
誰でも必ず拾われるわけではない、という点です。
拾われやすい人には共通点があります。
・成果を言語化できる
・再現性を説明できる
・肩書きではなく役割で語れる
・環境要因と自分の貢献を切り分けられる
逆に、拾われにくいのは、
・一時的なブームに依存した成果
・運や環境の影響が大きい成功体験
・「在籍していたこと」自体を価値と勘違いしている状態
こちらは蓄積が早い代わりに、失われるのも早い。
ことわざが言う「拾う神」は、
慈悲深い存在ではなく、
価値を見抜く別の評価者に過ぎません。
捨てる神あれば拾う神あり、の再定義
改めて整理すると、この言葉はこう読めます。
本質的価値は、
一つの評価軸で否定されても、
別の評価軸で再配置される
つまりこれは、キャリア論でもあり、市場原理の話です。
会社に捨てられたからといって、
市場に捨てられたとは限らない。
ただしそれは、市場をまたいで説明できる価値を持っている場合に限る。
最後に:問いをひとつ
もし今の評価が消えたとき、あなたの価値はどこに残るでしょうか。
・今の会社以外でも説明できますか
・肩書きがなくても語れますか
・実績を再現性として提示できますか
「拾われるかどうか」は運ではなく、準備の問題です。
捨てる神が現れたときに初めて、自分の価値の本質が試されるのかもしれません。
