AI時代に生き残る人の3つの条件|公器性・自己淘汰・自己規律
AIの進化によって、生産性は劇的に向上していますし、これまで何十人・何百人分だった成果をほんの少数の人員で生み出せる時代が現実になりつつあります。ただそれはAIで初めて人類が経験するものではなく、言語革命、農業革命、産業革命と何度となく経験してきたものです。
この変化は「人類がより楽になる未来」を意味する一方で、もう一つ、より本質的な問いを突きつけています。
私たち人類は、社会のどの立場に立つのか。
まず大前提として、本記事でいう「生き残る」とは、単に生活できることではなく、社会に必要とされ、裁量と責任を持ち、意思決定に関与できる側に立つことと定義しています。
結論から言えば、その条件は3つしかありません。
条件① 公器性 ― 人の役に立つ存在であること
ドラッカーは、企業の目的を「顧客を創造すること」だと定義しました。これは個人にもそのまま当てはまります。かなり意訳すると、人の目的は「人の役に立ち対価※を受け取ること」。
※ここでいう"対価"とは、金銭的なものだけではなく、承認欲求を満たしてもらったり、感謝の言葉を送ってもらったり、笑顔になってもらったり、とほんのささいな報酬も含みます。
AI時代において真っ先に価値を失いやすいのは、問題をスピーディーに特定し、解決策を立案する類いの「賢さ」です。逆にAIに出来ないこと↓に端を発するような感情的な価値や「人間ってやっぱいいよな、俺も/私も頑張ろう」と思える「強かさ、粘り強さ」が人類の付加価値として残ります。これは③にもつながります。
AIに出来ない領域で、人の役に立とうとする志を持って試行錯誤できることが、生き残りの条件一つ目です。
条件② 自己淘汰 ― 自分の価値を自分で壊せること
皮肉なことに、生き残る人ほど、自分自身を不要にする。
仕組み化、言語化、再現性の確立。形はなんでもいいです、「自分がいなくても回る状態」を意図的につくり出し、その上で、次の価値創造へと移動できることが生き残りの条件2つ目です。
「自己淘汰ができない人から、AIや仕組みによって置き換えられていく」というのは厳密には間違いで、たまたまAIに淘汰されない領域にいて生き残る人もいます。正確には、AIによる淘汰領域は誰も読めないし、安全地帯はどこにもないから、生き残りの期待値をあげたいなら自己淘汰一択であるとなります。
↑AI時代じゃなかったとしても、自己淘汰は自分のレベルを一段も二段も引き上げるので、ミクロのキャリア戦略としても必須です。
条件③ 自己規律 ― すべての前提条件
条件①の公器性も、条件②の自己淘汰も、
それ単体では成立しません。両者を支えている、最も重要な前提条件が自己規律です。
一言でいうなら、「人がやりたがらないことをやる」ということ。これは面倒な繰り返し作業や3K(くさい、きたない、きつい)作業をやるということではありません。それらは他のことに比べて相対的にやりたくない、ということにすぎません。人が根本的にやりたくないことは「(自分の意思に根差した)圧倒的な努力」や「(自分の意思で)継続すること」や「(自分で決めたことを)諦めないこと」などです。
なぜなら、条件①②はいずれも
・成果が出るまでに時間がかかる
・誰からも強制されない
・短期的には評価されにくい
という共通点を持つからです。
才能や環境が問題なのではありません。
多くの人が、途中でやめてしまうだけです。
諦めない、ということがどれほど苦しいことか、諦めなかった人だけが知ってます。めちゃくちゃ孤独な判断の連続で、味方がゼロに見える時も頻繁にあります。それでも、自分の意思で「やめない」と判断して行動に移すチカラはAIには補えません。
まとめ
AI時代において希少になるのは、特別な才能ではないとお分かりいただけましたでしょうか?
3つの条件の中でも最も重要なものは③です。自分を律し、考え、更新し続けられる人間そのものです。はっきり言って、AIがあろうが無かろうが変わりません。
・不確実性を引き受ける覚悟
・成果が見えなくても続ける継続
・経験や思考を構造として外に出す言語化
これらは精神論ではなく、
①公器性と②自己淘汰を成立させるための、極めて実務的な能力です。
なぜそれが不可欠なのか、
なぜ多くの人がここから逃げてしまうのかについては、以下の記事で整理しています。
👉 覚悟や継続の定義と重要性についてはこちらの記事でまとめてます↓
余談:ベーシクインカム社会がきたら
今後、AIによって生産が極端に少人数で成立する可能性は高いですよね。その結果、社会全体の平均的な生活水準は底上げされ、一方で、生活のあり方は均質化していくと予想されます。
ベーシックインカムや、それに類する制度は、その一つの具体例です。
これは善悪の問題ではなく、構造の話なのですが、
その社会では、自由と責任、不確実性を引き受ける「一握り」と保障と安定を選ぶ「多数派」に分かれていくのではないかと予想してます。前者が生き残り組で、後者が利用者組です。仕組みを作る側と利用する側とでも言い換えられます。どちらもそれぞれの悩みと幸福があり、どちらにも同じように存在価値があります。わたしは個人的な性格から前者が向いてるなぁと思ったのでした。
正解か不正解かの話ではなく、どちらを選ぶか、という選択の問題ですね。
もし自由を望むなら、条件(本記事)はすでに明確です。
公器性、自己淘汰、そして自己規律。
この3つを満たす人が、これからの時代に「仕組みを作る側」の楽しさを享受できます。
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