MBAでは学べない開業後1年の激動―激しい嵐、組織混乱、原点回帰、そして次の領域へ【連載⑤
目次
1. はじめに
連載④はこちらです。
連載④で書いたのは、2025年4月1日の開業に向けた2年間の準備のリアル。土地は祖父の友人から譲ってもらい、父に黙って動き、会計士の独断に振り回され、スタッフの1/3が辞め、死ぬ気で求人を打ち、新しいメンバーと出会い、開業の朝を迎えた話でした。
第5章は、その続きです。開業して1年経った2026年4月時点での報告を、できるだけ素のままお伝えします。
開業はゴールではなく、本当の経営、スタートはここから始まる。
これが、1年経っていま書きたいこと。
2. 14人から36人へ――1年で見えた数字
数字で見ると、開業前後の変化は次の通りです。
指標開業前→開業1年時点
スタッフ数14人→36名
ユニット7台→10台
自費比率30%突破
月商—約2,800万円
年商ペース—3億円ペース
倍以上の組織になり、月商2,800万円・年商3億円ペース。数字だけ見ると、当初計画した経営計画よりもかなり上振れし順調なラインに乗っています。
ただ、この数字の裏側で、組織は何度も揺れていました。
3. 4月:めっちゃ平和
開業初月、4月はめっちゃ平和でした。新しい建物、新しいユニット、新しいスタッフ。みんな笑顔で、内覧会のときの興奮がそのまま現場に残っていました。組織論で言う「ハネムーン期」です。患者さんが少しずつ増え、スタッフは一致団結し、私自身も「あれ、開業ってこんなにスムーズなんだ」と思っていた。連載④で書いた地獄の2年間が、この平和な4月で報われたような気持ちでした。これが大きな間違いだと、5月にわかります。
4. 5月:レセプト1000枚スタートで精神が壊れかけた
5月、嵐が来ました。
ここで規模感を共有しておきます。
しかも医療法人で引き継いだわけではなく色々あって個人事業主スタート。
レセプトとは1ヶ月にきている患者の数を表しますが、例えていうなら通常の飲食店オープンが「20席のカフェを1から開ける」とすれば、私たちの開業は「初日から80席の繁盛店をフル稼働させる」ようなもの。来客数も、調理量も、レジ回転も、洗い場も、シフト管理も、すべて10倍の負荷で初日からスタートする。
本当にゼロベーススタートなわけです。
その結果、トラブルもありえない数になりました。新規患者さんが想定の倍以上に増え、スタッフの技術は追いつかず、組織はまだ熟成されていない。そこに全方位から問題が同時に噴き出します。
ヒトの問題:残業爆増、ヒヤリハット10件、アクシデント2件、精神的に不安定になるスタッフ、新人が動けず全部私がカバー、技術が追いついていないため患者トラブル多数、既存スタッフ vs 新規スタッフの摩擦、近隣からのクレーム。モノの問題:機器不良、発注ミス・在庫管理ミス爆増、ネット・レセコン・タイムカードのシステムエラー、建築施工ミス、追加工事。発注ミスでタービンのバーが1年分届いたこともありました(笑)。
施工ミスで天井からの雨漏りまで発生。

カネの問題:
保険収入が入ってこないので(通常2〜3ヶ月遅れの入金になる)自費の入金だより、
診療時間内は銀行に行けないのでお昼休みに行くしかできず肝心な銀行振込に間に合わない、
技工所との金銭やり取り(技工所の振込日がすべて異なり入金サイクルが安定しない)
健康保険の手続きが資料不足で完了できない、なによりもレセプト業務がやばい。そしてもう一つ大きかったのが、税理士の過小評価申告による資金繰りの誤算。利益が出ているのに、運転資金が底をつきそうになり、支払いができない――目の前に黒字倒産の景色が広がりました。資材の高騰による予期せぬ追加投資も重くのしかかり、開業前の試算が次々に上振れしていきます。
この5月、私は精神は本当にやばかった。歯科開業本に書いてあるのと、全方位から同時に襲ってくるのとでは別物です。5月の私は数字を見る暇もなく、目の前の火を消し続けていました。それでも乗り切れたのは、連載①〜④で書いてきた事前準備があったからです。グロービスでの2年半以上の市場調査、財務指標、組織論、SWOT分析、SNSの仕込み、父との交渉、スタッフ採用と研修。事前準備と理論武装なしで規模10倍の開業に突っ込んでいたら、組織は空中分解していたと思います。
5. 6月〜7月:バックヤード崩壊と「魔のエリア」
6月、新たな問題が顕在化します。バックヤード(事務・経理・レセプト)の崩壊です。人件費率は一時期50%。施設基準の間違いが発覚し、4月分すべてが差し戻しになりました。レセプト請求が膨大で、回転率が低い。「早急にバックヤード業務を改善しないとやばい」と、何度も頭の中で描きました。
歯科の開業には、「魔のエリア」と呼ばれる時期があると言われています。開業1ヶ月目はハネムーン期、1〜3ヶ月で会社内で嵐が来る、3ヶ月〜半年は魔のエリア(鬼門)、これを乗り越えると半年以降に定着し上昇するか失速するかが分かれ、それも超えられないと閉院もしく縮小、最悪売却へ向かう、という時間軸です。3ヶ月から1年の間、開業医はかなりの確率で組織崩壊・資金繰り悪化・院長のメンタル不調を経験します。まさにそこに、私は突入していました。しかも、周りにロールモデルとなる医院がない。地方の老舗医院が移転して10倍規模に再スタートするケースは、近隣にも歯科業界全体にもほとんどありません。誰に相談しても「うちの規模感とは違うね」と返ってくる。完全に手探りの状態でした。その中で心の支えになったのが、PHIJ(Perio Health Institute Japan)やDBA(Dent-Biz Association)で出会った、同じく予防管理を本気で実装している先生方との繋がりです。経営の規模は違っても、医療の方向性で深く話せる仲間がいる。これが孤独な夜を何度も救ってくれました。


これを読んでいただいている方もぜひメンターと呼ばれる先生を見つけられることをお勧めします。
7月、ようやく売上が安定化、自費率は維持、医業収入も伸びてきた。訪問部の立ち上げにも着手し、MTM(メディカルトリートメントモデル)の強化を進めました。少し光が見えた月でした。

6. 8月〜10月:売上は伸びる、組織は揺れる
8月、頭の中でこう描きました。「ここから雲行きが怪しくなる」。9月以降、売上はさらに伸びました。自費率30%突破、月商2,500万突破。同時に、追加運転資金の融資検討も始めました。
10月、4名追加採用。組織が拡大していくなかで、想定外のすれ違いが連続します。求人広告と業務のズレ、「専属の保育スタッフがいると聞いていた」との認識違い、機材購入時期のズレ、勤務医と衛生士で治療方針が合わない、有休ルールの認識違い、新規・既存スタッフ間の摩擦。ほぼ毎日何かしらのMTGを入れる日々。増えた人数の分だけ、増えたのは「伝わったつもりで伝わっていないこと」の量だった、というのが痛感したことです。結局4名追加採用しましたが3名退職してしましました。
7. 自分の力量を、痛感した
8月〜10月のすれ違いが連続するなかで、一つの事実を認めざるを得ませんでした。自分の力量では扱いきれない領域がある、ということです。
36名規模、月商2,800万円、ユニット10台、訪問部、自費率30%突破。連載④までで描いていた構想を、実際に運営する力が、いまの私には足りていなかった。人事評価制度、業務マニュアル、部署間連携、レセプト体制、財務管理――人を採用したけれど、その人が力を発揮できる仕組みが追いついていなかった。
特に痛感したのは、勢いがあって優秀なスタッフほど、組織が未整備な時期にはぶつかりが起きやすいということ。彼ら彼女らの提案や働き方の早さに、医院の制度設計が追いつかない。本来活躍してもらえるはずだった人材との間に、すれ違いが生まれる場面がありました。
スタッフ個人の問題ではなく、社内整備が追いついていない、私の経営者としての力量の問題。人ではなく仕組み、もっと正確に言えば仕組みを作りきれていない自分、というのが組織混乱の正体です。
「自分一人で全部やる」のではなく、「自分の弱みを補ってくれる仕組みと人材を組み込む」。
「組織を設計できる経営者」に成長する必要がある。
原点回帰の前にあった、一段深い反省でした。
8. 11月〜12月:さて、どうしようか。よし。原点に帰ろう
規模拡大期の組織には、労務面での難所もいくつかありました。この1年で、社労士と弁護士の力を借りて適切に対応した案件が、複数あります。詳細は書けませんが、人事制度・労務管理・コミュニケーション設計が後追いだった私の準備不足が、結果として労務リスクを増幅させていた、というのが正直な振り返りです。
ここで一度、立ち止まりました。頭の中に浮かんだのは2つの言葉です。「さて、どうしようか」。「原点に帰ろう」。
原点とは、連載①で書いた「歯科医療を通じて誰も取り残されない社会を創る」というMission。
連載③で書いた「105年を200年に伸ばす」という4代目としての責任。
組織の混乱期は、リーダーが原点を見失った瞬間に決定的に崩れます。12月は、毎日の業務の中で、原点に戻る作業を意識的に増やしました。MTMの症例検討、難症例の自費診療への向き合い方、訪問診療立ち上げ、スタッフ教育プログラム整備。
経営の方向性も、ここで「医療と経営の分離」として再定義しました。
同時に、ポジティブな変化も起きていました。
スタッフが「医療事務の資格を取りたい」「歯周病認定医になりたい」「認定衛生士を取りたい」と手を挙げる。スタッフ託児チーム、採用専属チーム、訪問事務チーム、Webチームが立ち上がる。ドクター勉強会、新人カリキュラム、院内chatbot、AIマニュアル化。
明らかに、笑顔が増えた。組織の中に「自分たちで医院を作っている」という主体性が育ち始めていました。
今ではスタッフと一緒に講演をしたり学会に行ったり、楽しい日々を過ごしています。


9. 1月〜3月:採用の壁にぶつかった
12月までで一旦、組織は落ち着きを取り戻し始めた。私は1月から、次のサイクルの採用に動き始めました。
新年度(4月〜)の体制を強化するために、衛生士、歯科助手、受付の追加採用を計画。年間採用計画を立てて、求人媒体に出し、SNSで発信し、衛生士学校に足を運び、知人紹介ルートも回しました。
ところが、ときすでに遅し。採用市場の動きは想定よりはるかに早かった。1月の時点で、衛生士の卒業予定者の多くはすでに就職先が決まっていました。3月卒業見込みの学生は、前年の夏〜秋に内定を出している医院に持っていかれていた。中途採用も、いい人材は他院が秋〜冬に取り切っていた。
年間計画を立てていたつもりだったが、計画の起点が遅すぎた。3月末時点で、予定していた採用人数には到達しませんでした。
1年目で一番感じたのは、人事と採用の壁です。戦略は描ける。財務は組める。診療技術は揃えられる。でも、「狙った時期に、狙った人材を、狙った人数だけ採用する」ことの難しさは、想像していたレベルを大きく超えていました。歯科衛生士の人材市場は、地方になればなるほど薄く、採用タイミングは1年前から動いていないと間に合わない。これが1年目の最大の学びです。
10. 組織論で読み解く(タックマン混乱期と7S)
ここで一度、組織論で立ち止まります。
タックマンの組織発達モデルでは、組織は Forming(形成期)→ Storming(混乱期)→ Norming(標準化期)→ Performing(機能期) の4段階を経るとされています。5月〜12月に経験したのは典型的な**Storming(混乱期)**でした。役割の不明確さ、価値観の衝突、リーダーシップへの疑問、感情的対立、情報の断絶、責任転嫁、サイレント抵抗、人材の流動、派閥形成、リーダーの孤立

教科書通り、全部起きました。
私はこれを、マッキンゼーの7S(リチャード・T・パスカル他『ジャパニーズ・マネジメント』)で再整理しました。Shared Value(共通価値観)/ Structure(組織構造)/ Strategy(戦略)/ System(経営システム)/ Skill(組織能力)/ Style(行動様式)/ Staff(人財)。私の組織は戦略・構造・人財は揃ったが、Shared Value・System・Style・Skillが追いついていなかった。これが混乱の正体でした。組織混乱期は、予防よりも通り抜ける覚悟が要る、というのが1年の実感です。

11. マインドセットの軸――武士道と陽明学
この嵐の中で、私が自分に課した軸が、武士道と陽明学でした。経営者たるもの精神安定剤がないと壊れてしまいます。自身のマインドセットが安定していないと仕事はおろか、家庭や趣味なども維持できません。
武士道――新渡戸稲造『武士道』が体系化した、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義。経営者にとっての武士道は、短期の利を追わず、長期の信義を守る覚悟。利益が出ない時期にスタッフへの投資を後回しにしない。105年の医院を預かる4代目として、目先の数字より100年単位の信用を選ぶ。
陽明学――王陽明の**「知行合一」と「致良知」**。知っていることと行っていることが一致しなければ、知っていることにならない。MBAで7Sを学ぶより、混乱期に7Sの不足を現場で修正し続けたほうが、組織は確実に変わる。
知識を持つだけのリーダーではなく、行動するリーダーであること。
この2つを、私は7つのマインドセットに翻訳しています。
何があっても平常心・仏の心・利他の心を徹底
階層ごとに話す内容を変える
常に動き続ける・変化を楽しむ
お金が落ち着くまでスタッフに投資しまくる・自分は後回し
SNSや情報に惑わされない・自分軸を持つ
何事も計画して事前にこなせるよう、クイック&ダーティでOK
強み弱みをオープンにして、チームで乗り切るように持っていく
特に4番は「利を捨てて義を取る」武士道の実装、7番は「自分の力量の限界を認める」の実装です。
12. 2026年4月:用意周到に、来年度の準備を始める
そして、いま2026年4月。
開業から丸1年が経ち、私は来年度(2027年4月〜)の採用計画を、用意周到に動かし始めています。1〜3月の苦戦から学んだのは、「採用は1年前から動かないと間に合わない」ということ。
採用専属チームによる年間スケジュール策定、衛生士学校への定期訪問、新卒インターン受け入れ、中途採用の早期接触ルート確立、SNSを通じたファン採用、採用ブランディング資料の整備。これらを2026年の早い段階で動かしています。
「年間計画を立てる」ことと、「計画通りに動かす」ことは別物だと痛いほど学びました。陽明学の知行合一を、採用領域に持ち込んだ実装です。
同時に、2027年4月にフルコミット予定のメンバーとの体制づくりも始まっています。「医療と経営の分離」の本格的な実装フェーズに入る準備です。§7で書いた「自分一人で全部やる発想を捨てる」、その具体的な動きでもあります。
連載⑤を書きながら改めて思うのは、経営は1年単位のサイクルで回しているということ。1年目の混乱を2年目の準備期間として活かす。3年目に向けて種をまく。100年を超える医院を作るとは、毎年同じレベルのサイクルを丁寧に回し続けることでしかない、というのが1年経ったいまの景色です。
13. おわりに
連載⑤では、開業後1年のリアルを書きました。開業はゴールではなく、本当の経営はここから始まる。1年単位のサイクルを丁寧に何十回も回し続ける。これが、1年で学んだ一番大事なことです。
連載⑥では、地域に出る話、SDHに関連するものを書きます。学校歯科、介護施設、地域のお祭り、行政の検診事業、こども食堂、規格外野菜の募集、歯科衛生士奨学金開始など。MTMの先にあるSDH(健康の社会的決定要因)への向き合い方を、現場での具体的な動きを通してお伝えします。次回もお楽しみに。
