ビジネス書には載らない開業準備のリアル――2年間の土地探し、融資、退職、求人、そして移転開業【連載④】
目次
1. はじめに
連載③で書いたのは、家業に予防管理を持ち込むまでの水面下の6年。父との確執、ベテランスタッフとの対立、辞めていく仲間、MTM(メディカルトリートメントモデル)が軌道に乗るまでに丸6年かかった話でした。
第4章はその続きです。予防管理が医院の主役として動き始めたあと、私は次の決断をします。医院を移転する。2025年4月1日の開業日を目指して、私は2年前から動き始めました。土地探し、SNS、父との喧嘩、会計士の独断、スタッフの離脱、死ぬ気の求人、そして開業の朝。書き出してみると、本当に色んなことがありました。
2. 経営戦略は、グロービスの教室で考えていた
時系列を遡ると、私が新しい医院の経営戦略を本格的に考え始めたのは、グロービス経営大学院に通っていた時期まで遡ります。2019年に入学、2022年に修了。学びながら、自分の医院の将来像を頭の中で何度も組み直していました。
開業の2年半以上前から、市場調査も自分で始めていました。南丹市・京都市内の人口動態、世帯所得、年齢構成、競合歯科医院の数、自費診療の浸透率、訪問診療の需要。マクロ環境(PEST分析)からミクロ環境(5フォース・3C)まで、地味に拾い集めていく。並行して、自院の過去10年分の月次データ(月商、新患数、自費比率、メンテナンス来院率、キャンセル率)も整理して、内部環境分析を作り、最終的にSWOT分析にまとめました。

これを地道にやっていたから、2023年に土地探しを始めた段階では、頭の中の戦略はかなり固まっていた。事業計画書を銀行に持ち込んだ時、京都銀行園部支店の担当者が「ここまで根拠データを持っている開業案件は珍しい」と言ってくれたのも、この準備があったから。家業を継ぐ4代目で、グロービスで経営を学んだ強みがあるなら、ここで使わない手はない。
3. 土地探しは、地元の縁から始まった
戦略が固まっていても、土地が見つからなければ始まりません。最終的に決めた土地は、現在の園部町宮町。地元の縁から繋がった場所でした。
その土地の持ち主の方は、亡くなった祖父(2代目院長・治代)の友人だったんです。聞いた話では「地元の人が使ってくれるまでは、絶対に売らない」と長年言い切っておられたとか。だから、長く塩漬けになっていた。
私が土地を探していると地元で聞きつけて、その方が連絡をくださいました。「髙屋先生のお孫さんなら、ぜひとも」。そう言って、かなりの好条件で譲ってくださった。値段の話だけではなく、「使い方を任せる」という意味での好条件でした。
正直、これがなかったら2025年4月1日の開業はありませんでした。近くの駐車場(40台分)も、所有者と借地契約を結ぶ形で確保。所有者の方は私が10年ほど診ている患者さんで、「先生なら、絶対に悪いように使わないから」と地代も配慮してくれました。
4. 父に黙って、土地を買った
ここから少し恥ずかしい話を書きます。
実は、土地の購入契約を進めた段階で、私は父に黙って動いていた。正確に言うと、父にも「いずれ移転したい」という話はしていました。ただ、土地の決定や、銀行融資の話は、先に銀行融資をしっかり通してから父に伝えることにしました。理由はシンプルで、先に話すと「数字が大きすぎる」「借金が怖い」で議論が止まるのが目に見えていたから。
連載③で書いたとおり、父は経験豊富で誠実な3代目院長です。でも、規模拡大の決断や数億円の借入については、父の経験則の外側の話。事前に相談してYESをもらうのは、現実的に無理だった。だから順序を逆にして、土地の話をいただき、戦略・市場調査・事業計画書を完成させ、京都銀行と融資交渉を進め、見通しが立った段階で父に全部開示する流れにした。
家業の倫理的にはギリギリの判断です。家族経営の正攻法ではありません。それでもこの順序を取ったのは、先に開示して止まるくらいなら、計画を全部組み上げて「もう動けます」の状態で見せたほうが、議論が前に進むと判断したから。これが正しかったかは、わかりません。
5. 歯科医院の開業は、一般的にこんな流れで進む
開業を考えている同業の先生のために、一般的な歯科医院開業の流れを整理しておきます。

これは標準工程で、実際には全部同時並行で動きます。設計と並行して融資交渉、機材選定中に求人、内装工事中にSNS発信。MBAでプロジェクトマネジメントを学んでいた私でも、頭が混乱する場面が何度もありました。そしてこの標準工程の上に、家業ならではの追加の難所が乗ってきます。父との合意形成、医院の経営方針の再定義、既存スタッフへの説明、105年の歴史をどう次へ繋ぐか。
6. SNSは開業250日前から運用した
開業準備の中盤、もう一つ大きな決断をしました。SNS発信を始める。
具体的には、Instagramで「MBA歯科医師」というアカウントを立ち上げて、開業250日前から運用を開始しました。日数まで覚えているのは、自分の中で「ここから逆算」というカウントダウンをかけていたから。リール動画、症例の話、医院の理念、地域のこと。自分の言葉で、自分の顔で、定期的に発信していく。
家業の中では前例のない動きでした。「医療人がそんなことをすべきじゃない」「品位に関わる」「広告規制に抵触する」。業界の暗黙の制約は、わかっていました。
ただ、私の判断は逆でした。地域に新しい医院を持ち込むなら、地域の人たちに「翔という人がどういう思想で医院をやろうとしているのか」を、開業前から知っておいてもらった方がいい。開業前から信頼の貯金を作っておく。シンプルにそういう発想でした。これが結果として、開業後のブランディングと、後で書く採用に、大きく効いてきます。
7. 父との交渉――半年以上、喧嘩した
土地の購入契約を進め、銀行融資の見通しが立った段階で、父に全部を開示しました。予想通り、父の反応は厳しかった。
「いまの医院で何が悪いんだ」「土地を変える必要があるのか」「数億円の借金を背負ってまでやるのか」「なぜ俺に黙って動いた」――最後の一言が、一番きつかった。

家の中の空気は、再び悪くなりました。連載③で6年かけて作ってきたリレーショナルパワーの貯金を、ここで一気に取り崩すような形になった。何度も喧嘩しました。母が間に入る。父が黙る。私が引き下がる。翌日また話を持ち出す。事業計画書を父に渡す。父はパラパラめくって「数字が大きすぎる」と言う。私が「なぜこの数字なのか」を説明する。このループを、半年以上続けました。
最終的に父が首を縦に振ったのは、**「父の医院を否定するためではなく、105年を200年に伸ばすためにやる」**という意味が、ようやく伝わった時だったと思います。父にとっても、自分が30年守ってきた医院を息子が否定するように見えていた。父の30年を尊重したうえで「次の100年をつくる」と言葉にしたとき、父は折れた、というより、乗ってくれた。
8. 会計士の独断――銀行融資の額が、勝手に変わっていた
土地が決まり、父の合意も取れて、設計が進み、いよいよ銀行融資の本番の段階に入ります。京都銀行園部支店との交渉。MBAで学んだ財務指標と事業計画を武器に、しっかり数字を作って臨みました。
ところが、ここで予想外のことが起きます。会計士が、私に相談なく、銀行への融資申請額を勝手に変更していた。
事業計画書ではA億円で組んでいたものが、銀行に行ってみると、会計士の判断で別の額になっていた。「この方が銀行が通しやすい」「大きすぎると審査に引っかかる」という会計士の善意の判断ではあったのですが、結果として当初の事業計画と融資額が噛み合わなくなった。青ざめました。
事業計画は、設備投資・運転資金・採用コスト・広告宣伝費まで全部組んだ上で、必要額を逆算して作っています。それを勝手に削られると、開業時のキャッシュフローが破綻するか、計画の一部を諦めるかになる。
すぐに会計士と再交渉して、銀行とも追加で話し、最終的に融資額の調整と事業計画の組み直しで着地。ここで使えたのが、MBAで学んだ「インタレスト・カバレッジ・レシオ」「DSCR(Debt Service Coverage Ratio/債務返済カバー率)」「4軸の財務分析(成長性・収益性・効率性・安全性)」の言語です。数字で語れる歯科医師であるかどうかで、トラブル時の修復力が全く変わる。専門家任せにすると、開業準備は予期しないところで揺れます。
9. 「ついてくる」と思っていたスタッフの1/3が、辞めた
開業準備が佳境に入った頃、一番応えた事件が起きます。スタッフの1/3が、退職を申し出てきた。
正直、楽観していました。「新しい医院、ユニットも増える、設備も最新になる、待遇も整える、当然みんなついてきてくれる」と。連載③で6年かけて若いスタッフとの関係も作ってきたつもりでした。
でも、現実は違った。通勤距離、勤務環境、医院の方針のアップデート、責任範囲の拡大。スタッフ一人ひとりにとって、移転は「自分の人生の選択」でもあった。長年通勤に使っていた道、結婚や育児と勤務地の関係、新しい役割への不安、医院の規模拡大スピードへの違和感。理由はそれぞれ違うけれど、1/3のスタッフが「ここまでにします」と告げてきた。
長年一緒に働いてきた人が頭を下げて去っていく経験は、本では学べません。私から離れていくのではなく、新しい医院に乗れないという形で離れていく。確実に、変革のコストとして支払うものでした。
10. 死ぬ気で求人を打った数ヶ月
スタッフの1/3が抜ける状態で、新しい医院は開業できません。すぐに死ぬ気で求人を打ちました。ハローワーク、求人サイト、歯科専門の求人媒体、衛生士学校への直接アプローチ、SNS経由の応募、知人からの紹介。使える経路は全部使って、人を探す数ヶ月でした。
ここで効いたのが、開業250日前から仕込んでいたSNS発信です。「MBAデンティスト」を通して、医院のビジョンに共感してくれた人が応募してくれる。「翔先生のところで働きたい」「あの理念に共感した」「地域創生に関わりたい」。そういう動機の応募が、想像以上に来ました。
求人広告のクリエイティブも自分で書きました。給与待遇だけを並べた求人ではなく、医院のビジョン、4代目としての責任、これからの100年への賭け。物語性のある求人は、給与だけ書いた求人より、価値観の合う応募者を引き寄せる。採用面接では、私自身が一人ひとりと丁寧に話しました。
11. 新しいメンバーとの出会い
そして、新しいメンバーとの出会いがありました。歯科衛生士、歯科助手、受付、アシスタント。新しい医院の理念と空気に共感してくれた人たち。退職した1/3を埋めて余りあるくらいの、想いを持ったメンバーが集まってくれた。
特に印象的だったのが、「翔先生のSNSを見て応募しました」と言ってくれた何人か。MBA歯科医師として発信してきた医院のビジョン、地域創生への想い、口腔機能管理クリニックの社会的意義。それを見て「ここで働きたい」と思ってくれた。SNS発信は、開業後のブランディングだけじゃなく、価値観の合う仲間を集める手段でもありました。
12. 2025年4月1日、開業の朝
そして、2025年4月1日。
リニューアル開業の朝。新しい看板、新しい建物、ユニット10台、駐車場40台。スタッフは新メンバーを含めて再編成済み。父も理事として、私の隣に立っていました。105年前、初代の曽祖父がこの地に医院を構えた日も、こんな朝だったのかもしれない。
2年半以上前のグロービスでの戦略思考から始まり、地元の縁で土地が決まり、父に黙って契約し、SNSを立ち上げ、父と何度も喧嘩し、会計士の独断に振り回され、スタッフの1/3が去り、死ぬ気で求人を打ち、新しいメンバーと出会い――そのすべてを経て、新しい医院の入口に立っていました。
開業初日、最初の患者さんが入ってこられたとき、思いました。この医院は、ここから始まる。
と思っていた。。
13. おわりに
家業の事業承継は、戦略論や財務論だけでは語れない、人間と人間の生々しいぶつかり合いの連続だと改めて思います。そして、開業はゴールではありません。
連載⑤では、移転後の景色を書きます。12人から35人への規模拡大、管理栄養士と保育士の採用、チーム医療の本格立ち上げ。家業から事業へ、医院をブランドとして地域に染み出させた数ヶ月の話です。
開業して半年が経ったいま、見えている景色は、想定の3倍くらい複雑で、想定の3倍くらい面白い。次回もお楽しみに。
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