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歯科医師の私が、まちのことを考えるようになるまで―SDHという気づきの話【短期連載その①/はじめに】

目次



1. 「なんで歯医者が?」とよく聞かれる

最近、勉強会や会合で会う人に最近の活動の話をすると、たいてい変な顔をされます。

「なんで歯医者が、地域創生を?」

歯医者の仕事は虫歯と歯周病を治すこと。地域創生はまちづくりや人口減少対策のこと。世間の感覚としては、たしかに、つながりにくい。私自身、数年前まではそう思っていたので、よくわかります。

でも、いまははっきり書けます。地方の歯科医療は、まちづくりそのものだ、と。

私は京都府南丹市園部町、京都市内から車で1時間ほどの町で、105年続く歯科医院の4代目を務めています。スタッフは35名ほど、ユニットは10台。地方では決して小さくない医院ですが、京都市内から見れば「田舎の歯医者」です。

この連載は全6回。歯医者の私が、どうして地域全体のことばかり考えるようになったのか、その思考の変遷を、できるだけ正直に書き残しておきたい、という個人的な動機で始めました。今回はその第1回。全体のダイジェストです。あえて深掘りはせず、流れだけを先に置きます。

専門用語は、なるべく避けます。


2. SDHという、3文字の言葉のこと

連載タイトルにも入れている「SDH」、聞いたことがない方も多いと思います。Social Determinants of Healthの頭文字で、日本語では「健康の社会的決定要因」と訳されます。

中身はシンプルです。

人の健康は、本人の意思や行動だけでは決まらない。生まれた家庭、住んでいる地域、受けた教育、仕事、人とのつながり――そういう社会の条件が、健康をかなりのところまで左右している、という考え方。

WHO(世界保健機関)の調査では、健康格差のだいたい8割は、医療よりも社会的な要因で説明される、と整理されています。残り2割が医療の力。医療従事者としては、しんどい数字です。自分たちの腕でなんとかなるのは、せいぜい全体の2割。

私はこの考え方に、本で出会ったわけではありません。2017年に父の医院に戻ってからの数年、毎日の診療の中で、**「もうこれでしか説明できない」**と追い込まれて、ようやく言葉にたどり着いた、という方が近いです。

それまで習ってきた歯科医学では、目の前で起きていることが、どうしても説明しきれなかった。


3. 105年の医院、それぞれの代がやってきたこと

少し、医院の歴史の話を。

1910年、初代の曽祖父が船井郡園部町(現在の南丹市)で開業しました。診療チェアは足踏み式が3台、麻酔の薬剤も限られ、歯科医師の国家資格制度すらまだ整っていない時代。米や野菜と交換で義歯を作ったという話も家に残っています。

曽祖父の医院外観

2代目は、祖父の治代(はるよ)。戦中戦後の混乱期を支えた人です。物資不足、感染症、栄養不足。歯がボロボロになる人がたくさんいて、とにかく抜き、入れ歯を入れるという時代だったと聞いています。

ただ祖父の時代に、ひとつ大きな仕事がありました。京都で初めて、地域の小学校にフッ化物洗口を導入したこと。当時、地域の歯科医師会からは大ブーイングだったそうです。「むし歯がなくなったら、歯医者の食いぶちがなくなる」と。それでも祖父はやり切った。結果として、この地域は日本でもむし歯がかなり少ないエリアになりました。

祖父の診療所と診療風景

3代目は父、毅史です。平成期、社会保険の構造改革と少子高齢化が進む中で、父は**「治療する医院」から「予防に重きを置く医院」へ**舵を切ろうとしました。祖父のフッ化物の取り組みも、父の代にしっかり継続されて、全国の歯科保健大会で表彰されています。地域の歯科医師会と二人三脚で、長年積み上げてきた成果でした。

父の医院外観
父の診療所内装

そして、4代目に私の番が回ってきます。

技術はあります。設備もあります。地域の信頼も、105年の積み重ねがある。

現診療所外観
待合室

これだけ恵まれていて、いまの時代の宿題は何だろう?

手術室

その問いを抱えて毎日診療していたら、私の中で、4段階の変化が起きました。


4. 私の中で起きた、4つの段階

治療中心――削っても削っても、追いつかない

戻ってきた最初の頃、私は完全に「治療する歯医者」でした。卒業してから滋賀医科大学の口腔外科、京都市内のクリニックと、あちこちで治療技術を磨いてきましたから、当然です。

虫歯を削る、詰める、被せる、神経を取る、根を治療する、抜く。一日中、それを丁寧にこなす。

でも、だんだんおかしくなってきます。

治したはずの歯が、数年後にまた虫歯になるんです。被せ物の下から再発する。神経を取った歯が、いずれ割れて抜歯になる。同じ患者さんの口腔内で、年々、歯が一本、また一本と減っていく。

歯科の世界には**「Repeat Restoration Cycle(修復の繰り返しサイクル)」**という言葉があります。歯は、治療をするたびに少しずつ脆弱になっていく。一度削った歯は、5回ほど治療を繰り返したら、もう抜歯しか選択肢がなくなる。これは技術が下手だからではなくて、治療という行為そのものに含まれる、避けられない構造です。

技術を磨けば磨くほど、私はこの限界に近づいていきました。「もっと上手な治療を」だけでは、患者さんの歯は守れない。これが、最初に味わった敗北感でした。

予防管理中心――父と二人で、医院の主役を入れ替えた

ここで方向転換になります。

父の代から、医院は「予防にも力を入れたい」という志向は持っていました。フッ化物の活動を続けてきた医院ですから、当然ですよね。ただ、いま当院でやっているような**体系的な予防管理プログラム(MTM/Medical Treatment Model、メディカルトリートメントモデル)**は、当時はまだ形になっていませんでした。

これを医院の柱として組み立て直したのは、私が戻ってから、父と一緒に動いた仕事です。

患者さん一人ひとりに対して、虫歯と歯周病のリスクを科学的に評価する。原因(食事、唾液の質、菌のバランス、生活習慣)を一つひとつ突き止める。それぞれに合わせた予防プログラムを組んで、定期的に通ってもらう。「治してから来てもらう」医院ではなく、「ならせない」医院へ。これが私たちの目指したところです。

父と私で、毎週のように議論をしました。父は職人気質で、患者一人を診る目はすごく深い。私はMBA時代に学んだ仕組みづくりの発想を持ち込みました。役割の違う2人が、同じ目標に向かって医院を作り直していった数年間です。

この段階で、長く通ってくれている患者さんの口腔内は、はっきりと変わりました。年齢を重ねても自分の歯で食事できる方が増える。お孫さんの代まで虫歯ゼロで通ってくれる家族が出てくる。父も私も、この成果には誇りを持っています。

ただし、ここでまた、別の壁が見えてきます。

地域に出る――待っていても来ない人がいる

予防の効果は、定期的に通ってくれる人にしか及ばない。

当たり前のことなんですが、地域全体を見渡すと、定期的に歯科に通える人って、実はかなり限られています。

経済的に余裕のない人。一人暮らしで、誰にも気にかけられていない高齢者。家庭の事情で子どもを連れて来られない保護者。要介護で外出できない人。心がしんどくて通院どころではない人。

こういう人たちは、私たちの診療所にまず来院しない

そして、ここが残酷なところなんですが、その人たちこそ、口腔内が深刻に悪いたちなのです。

「医院で待っているだけでは、最も助けが必要な人には届かない」。

これに気づいたとき、私の働き方は明確に変わりました。学校に出向いて子どもたちに歯磨き指導をするようになり、介護施設を回って職員さんと口腔ケア体制を整えるようになり、地域のお祭りに顔を出し、医師会の活動にも、行政の保健の方ともよく話すようになる。診療室の外に出る時間が、明らかに増えました

これは連載④で詳しく書きます。

SDHを考える――問題は口腔内の外側にあった

地域に出るようになると、ある事実がはっきり見えてきます。

口腔内が傷んでいる人は、たいてい、口腔内の外も傷んでいる

所得が低く、教育が十分に受けられず、孤立していて、栄養が偏っていて、明日への希望が薄い。逆もまた真で、こうした生活の不安定さは、必ず口腔内に物理的な痕跡を残します。

17歳で咬合崩壊を起こしている(写真は両親に許可をいただいています)

ある時期、17歳の男子に出会いました。両親はヘビースモーカー、本人は不登校、食事はコンビニのパンと炭酸飲料。重度の口腔崩壊で来院された彼に、私は「歯磨きの方法」を教える気にはなれなかった。問題は彼の歯ブラシではなくて、彼を取り巻く生活環境そのものにある

このとき、冒頭で書いたSDH(健康の社会的決定要因)という言葉が、頭ではなく、お腹のあたりにずしんと落ちてきました。むし歯や歯周病は、個人の努力不足ではなくて、社会の構造が生み出している結果。それが、毎日の診療現場の感触として、わかったのです。

これが連載⑤の話です。


5. そして、「地域創生」にたどり着く

ここまで来ると、見える景色がもう一段変わります。

口の健康を本気で守りたいなら、歯科医院の中だけでは無理。地域そのものを健康にしないといけない。子どもの食卓、高齢者の孤立、若い世代の所得、地域のつながり、そこに踏み込まないと、口腔内は変わらない。

そしてこれは、「地域創生」が扱っているテーマと、ほぼ完全に重なります。地域創生の本質は、ある地域に生まれ育つこと自体が不利にならない社会を作ること。それは健康格差をなくすことと、同じことを別の角度から言っているだけなんです。

歯科医院で予防を頑張る → 地域の健康水準が上がる → 介護費・医療費の伸びが抑えられる → 地方の財政が持つ → 若い世代が定住しやすくなる → 地域が続く。

地域の保育園と参加型職業体験(写真加工済み)

このストーリーに気づいてから、私の経営判断は変わりました。患者を絞らない(誰でも診る規模を持つ)。地域の若い人を巻き込む(奨学金、職場体験、インターン)。NPOと組んで子どもの食支援にも関わる(こども食堂、規格外野菜の活用)。これらは、別に「いい人ぶり」でやっているのではなくて、SDHを本気でやろうとした結果として、必然的に出てきた動きです。

NPO法人とこども食堂を開催(準備中の写真)
南丹市のメディアに取材していただきました

連載⑥で詳しく書きます。


6. 残り5回で書きたいこと

今回のテーマ
② 治療中心の時代――105年前、歯医者の仕事は「歯を抜くこと」だった
③ 予防管理中心へ――父と二人で医院の主役を入れ替えた話
④ 地域に出る――診療室を出てみて、初めて見えた景色
⑤ SDHを考える――17歳の男の子が、私に教えてくれたこと
⑥ 地域創生――歯医者がまちを支える、という発想

連載①〜⑥まで、すべて無料で公開する予定です。

歯科の同業者の方、医療従事者の方、地域に根ざして仕事をしている個人事業主の方、行政や教育の現場で動いている方――どなたが読んでも、何かの引っかかりになれば嬉しいです。


7. おわりに

105年前、初代の曽祖父が園部の地に医院を構えたとき、彼は「歯医者」を作ったというより、地域の健康を守る場所を作ろうとしたんだと思います。2代目の祖父はそれを続けるために物資不足を乗り越え、フッ素という新しい武器を地域に持ち込み、3代目の父はそれを地域歯科保健の活動として全国に伝えた。

4代目の私の宿題は、たぶん、歯科医院を「地域社会のインフラ」として、もう一度定義し直すことなんだろうと思います。SDHに踏み込み、地域に出て、まちのことを考える。これは歯科医療を捨てるという意味じゃなくて、歯科医療を本気でやろうとした先に、自然に開いてきた扉です。

歯医者だから、まちのことを考える。 歯医者じゃなければ見えない景色がある。

次回からは、この4つの段階を、一段ずつ、もう少しゆっくりお話しします。


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