【煉獄のパールライト】22.足元に絡みつく何か
そして、桔兵たちにとって、中学最後の大会が始まった。
開催場所は、地区で一番大きな公園野球場だった。さすがに芝生はないものの、専用のバックネットやダグアウトがあり、公式戦らしい高揚感が感じた。
外野フェンスの周りには観客用のスペースが用意されており、選手の家族らしき人々が応援に来ていた。平日開催にもかかわらず、相手チームの応援はそれなりの規模で、さすが強豪校といった印象だ。逆にこちら側の応援席は、主婦や老人がぱらぱらといる程度だった。
すでに試合前の練習を終えた桔兵たちは、ベンチで対戦相手である東四中の練習を眺めていた。淡々とテンポ良くこなしていくその姿は、普段からの厳しい練習の積み重ねを感じさせた。また、多くの補欠部員たちが、スタンドに陣取って、盛んに声援を送っている。
「うちと比べると、5倍以上の部員数やな……」
桔兵の隣で、成田がそうつぶやいた。強豪と呼ばれるチームを実際に目にし、その迫力に気圧されているように見えた。
先日、桔兵が怒鳴った一件を、成田は笑って許してくれた。同時に、全員にきちんと謝るように釘も刺された。渋々ながら謝りに行くと、皆が思ったよりすんなりと受け入れてくれた。
あの後、桔兵がどれだけ大会にかけているかを語りつつ、成田が場を上手く収めてくれたようだった。成田はこういう時、いつもそしらぬ顔でフォローしてくれる。彼が相方で本当に良かったと、心の中で感謝した。
桔兵は、縮こまる成田の背中を強く叩いて言った。
「頼むで、キャプテン! 点取ってくれるんやろ?」
成田はハッとして、気合を入れ直す。
「ああ、まかせとけ! みんな、そろそろ行くぞ!」
桔兵たちがベンチを飛び出すと、ベンチ近くに陣取っていた、主婦の一団が騒がしくなった。そちらに顔を向けると、崎谷西中側の客席に、数人のヤンキーたちが入り込んでいた。
確認するまでもなく、それは柴谷たちだった。1年コンビに加え、丸高の高柳と呼ばれていたパンチパーマたちも引き連れている。
彼らは桔兵たちを見つけると、愉快そうに大声で叫び始めた。
「おらっ! 応援に来たったで!」
「負ける姿を見といたるからよ。せいぜい、がんばれや!」
その招かざる客に、対戦相手のみならず、味方の観客席からも白い目が向けられた。
「なんやあれ?」
「西中って、あんな感じなん?」
スポーツの応援としてあるまじき態度に、非難の声が漏れ聞こえてきた。成田が険しい顔でつぶやく。
「あの野郎! 最近、姿見せへんから、もう飽きたと思てたのに……」
大会当日に押しかけて来るとは、桔兵も予想していなかった。成田はすぐに監督に報告し、対応を相談し始めた。
「注意して、追い出せまへんか?」
「係の人には言うとく。お前らは、試合に集中せえ!」
杉浦は、歯切れの悪い返答をした。運営スタッフといっても、ボランティアの一般人だ。効果のある注意は難しいと、分かっているのだろう。いざとなったら、警察に相談するしかないのだが、本当に対応してくれるかは怪しかった。
試合前の程よい緊張感が、霧散してしまった気がした。チームが全体に、変な動揺が広がらないか心配だった。
「気にするなや! いつものように、ヤジることしかできへんのやからな!」
成田はキャプテンらしく、部員たちにそうハッパをかけた。何とか仕切り直そうとするが、桔兵も普段にはない不穏な雰囲気を感じていた。
後攻の崎谷西中が守備につき、桔兵はマウンドに立って投球練習を始めた。待ってましたとばかりに、柴谷たちからヤジが飛んで来きた。
「3年間の成果見せろや! 負けたら終わりやぞ!」
「乱闘せえ。乱闘!」
稚拙で面白みのないヤジばかりだが、集中力を削ぐという目的は達成していた。部員たちが、彼らの方を気にしているのがわかった。
しかし、どんな状況だろうと、ここで結果を出すしかないのだ。桔兵は、ミットに集中した。そして、主審のプレイボールの声が響いた。
桔兵は大きく振りかぶり、成田のミットめがけて投球する。桔兵は立ち上がりからボールが先行した。東四中は際どい球には手を出さず、慎重に球筋を見極めている印象だった。
相手が積極的に来ないのであれば、早いカウントで勝負すればいい。成田はそう考えたようで、ストライク主体のサインを出してきた。しかし、桔兵の制球が定まらず、指示通りにボールが集まらない。
フルカウントまでもつれ、際どい球を何度かカットされながら、ようやくワンアウトを取ることができた。先頭打者から、ずいぶんと球数を使ってしまった気がする。
次の打者も際どいコースは必ず見送るので、待球指示が出されているのかもしれなかった。ふたたびボールが先行すると、カウントを作ろうとした球を打たれてしまう。
しかし、打球はショートの真正面。打ち取ったと安心したその瞬間――。
ショートのグラブから、捕球した球がこぼれた。ボールを拾うのに手間取るうちに、打者は一塁を悠々と駆け抜けた。
「エラーや! エラー! だっさ!!」
「ミスした奴は土下座や! 早よせんか!」
柴谷たちが、勢いづいて大きな声であおりだした。ショートの二年生が、少し表情を硬くしながら、桔兵に詫びを入れてきた。
「す、すんません」
「気にすんな!」
桔兵はそう声をかけながらも、想像以上にチームの動きが硬いと感じていた。
そして、本調子でないのは自分も同じだった。コントロールが定まらないからといって、球を置きに行きすぎたかもしれない。とにかく、体を動かしながら、試合中に調整するしかない。体が温まれば、徐々に動きも良くなってくるだろう。
そう考えながら次のバッターに挑むと、初球にセーフティバントを決められた。アウトは取ったものの、ランナーを二塁に進められてしまった。
東四中の戦術に、桔兵は違和感を覚えていた。初回、ワンアウト一塁の場面で送りバント。初戦で確実に点を取りたいのは分かるが、こんな硬い戦略を取るチームだっただろうか?
「まさか、警戒されてるんか?」
去年の桔兵の活躍を評価してくれているのかもしれないが、強豪がここまで対策してくるとは思わなかった。弱小チームと侮るのを期待していたが、逆に隙が無くなった印象だ。
総力戦になればなるほど、チームとしての完成度が問われてしまう。そうなると、強豪と互角に渡り合えるかどうかは、なおさらピッチャーの出来次第となってしまうだろう。
この試合、四番との初対決。
球速を意識して投げると、コントロールが乱れてボールが先行してしまう。ワンストライク、スリーボールとカウントが悪くなり、この状況では四球も仕方ないと、成田からボール球のサインが出た。
普段なら首を振りそうになる場面だが、桔兵は素直にその指示に従った。そのままフォアボールとなり、打者は一塁へと向かって走り出した。
「勝負せえや!」
「ビビってんちゃうぞ!」
柴谷たちからのヤジが、さらに激しくなった。ツーアウト、一・二塁で、いきなりのピンチだ。成田がタイムを取り、マウンドの桔兵に駆け寄ってきた。
「大丈夫や。落ち着いて処理すれば、なんちゅうことない」
成田は落ち着かせようと気楽に言うが、このまま弱気の投球を続けるわけにはいかなかった。桔兵は、彼の目を見て力強く言った。
「まだ早いけど、勝負どころや。ここは、押し切るぞ!」
うちの打線的に、大量得点など望めない。序盤とは言え、少しでも点を与える余裕はないと、桔兵は考えていた。彼の勢いに、成田はうなずきながら苦笑した。落ち着かせにきたつもりが、逆に気合を入れられてしまったのだ。
「調子はどうや?」
「これから、徐々に上げてくわ」
お互いに、状況の悪さは分かっている。だが、ここはエースの力を見せなければならない場面だった。成田は桔兵の顔を見て、もう一度うなずいた。
「締まってこうや!」
彼はそう言って、ホームへと戻っていった。
早々に訪れたピンチの場面に、柴谷たちが喝采をあげていた。その声を聞くだけで、脳裏にむかつく柴谷の顔が浮かんで鬱陶しい。
なんとかそれを振り払い、桔兵はもう一度自分に気合を入れ直した。逆境は、バネにすればいいだけだ。そう自分に言い聞かせ、体の力を一瞬抜いてから、全身をしならせて成田のミットめがけてボールを投じた。
コントロールは二の次で、力強さとしなやかさを意識しつつ、テンポよく腕を振るった。運よくではあるが、生きた速球が際どいコースに決まる。そうして、強豪の5番打者を4球で仕留めることに成功した。
「さすがやで!」
成田がベンチに戻りつつ、そう言って桔兵の肩を叩く。桔兵は笑顔で答えるが、かなり神経をすり減らしていた。また、初回から厳しい展開だったこともあり、ベンチの空気も少し重い気がした。
「ここから、盛り返してこうや!」
こんな時、成田の常に前向きな姿勢は、チームにとっても救いになった。しかし、まだまだ厳しい時間が続くと感じて、桔兵は少しでも体力を温存するべく、ベンチに深く腰掛けた。
3回の表が終わり、桔兵はランナーを出しながらも、何とか無失点に抑えていた。しかし、球数は多くなり、予想以上に消耗してしまった気がする。まだ中盤だというのに、桔兵は肩で息をしていた。
「よう球見て、簡単に手ぇ出すなよ!」
早く点を取り、桔兵を楽にさせてやりたいと思ってか、成田は打者に檄を飛ばしている。桔兵はベンチで息を整えながら、自分の調子の悪さを嘆いていた。
気温は高いのに、流れた汗が妙に冷たい。ユニフォームに吸われたその汗が、重さを伴って体にまとわりつくのが、不快で仕方がなかった。振りかぶるたびに、その重さが余計に体力を奪っていく気がした。
「点が入らへんと、おもんないなぁ」
「早送りや、早送りい!」
そんな柴谷たちのヤジが、遠くから耳に届いた。彼らはなぜ、自分の貴重な時間を割いてまで、こんな無駄なことをするのだろうか?
『お前なんかが、プロになんてなれるわけない。不可能に決まっとるやろ! アホらしい!』
父のその言葉が、頭の隅からずっと離れなかった。
なぜ、頑張っている人を素直に応援できないのだろうか。
誰かが努力していると、まるで裏切り者であるかのように足を引っ張る人たちがいる。身近な人が成功すると、自分と比較して惨めに感じるのだろうか。それが嫌だからこそ、誰も成功してほしくないと考えているのだろうか。
桔兵はベンチでひとり、そんな考えに囚われていた。
