【煉獄のパールライト】36.手折られた花
翌日の月曜日。
結衣香はいつもの道を、学校に向かって歩いていた。昨日の出来事が引け目となっており、少しだけ足が重い気がした。
あの後、玲奈に謝罪のメッセージを送ると、OKのスタンプのみが返ってきた。そこから感情を読み取ることはできず、本当は機嫌を損ねたのではないかと、少し不安になっていた。
校門の手前まで来ると、前方にひとりで歩いている日菜子を発見した。小走りで追いつき、改めて昨日のことを謝罪した。
「そんなの、気にしなくていいよ。もう大丈夫そうで、よかった!」
日菜子は全く機嫌を損ねた様子はなかった。彼女が皆から慕われる理由が、よく分かった気がした。ノリが合わなさそうだと敬遠していたことを、結衣香は少し後悔していた。
「あの後、どうだったの? 無事に終わった?」
結衣香がそうたずねると、日菜子は少し表情を曇らせた。
「無事かと言われると、そうじゃないかもしれない……」
彼女らしくない、歯切れの悪い返答だった。予想外の反応に、結衣香は戸惑いながら尋ねた。
「何かあったの? 若菜ちゃんが、颯太くんにフラれたとか?」
そんな結衣香の予想は、日菜子に一笑された。
「いやいや、それはない。あの子は、弟タイプをほっとけないだけで、大人っぽいのが好みだから!」
「そうなの!?」
良い雰囲気に見えていたが、若菜は颯太を男として見ていなかったのかもしれない。颯太は若菜に気があるように見えたし、彼の方が年上なのだから、少し不憫に思えてしまった。
結衣香がそんなことを考えていると、日菜子がぽつりとつぶやいた。
「玲奈がね……」
「え?」
日菜子のためらう表情を見て、結衣香は胸騒ぎを覚えた。玲奈が、どうしたと言うのだろう。
「詳しいことは、私も分からないんだけど……」
しかし、彼女は口ごもって、それ以上のことを話してくれなかった。そうこうしているうちに、日菜子の友達が集まってきていた。人がいると話しづらいのか、日菜子はその会話を打ち切った。
「詳細は玲奈に確認してみて。憶測で言うのは良くないし」
彼女はそう言うと、いつもの友達たちとたわいのない雑談を始めた。
お昼休みとなり、結衣香たちは外でランチを食べることにした。いつもの中庭のベンチに座り、弁当を広げて食べ始めた。
玲奈は朝から少し変なテンションで、昨日の話を聞いても、後でとはぐらかされてしまった。彼女の機嫌はとても良いので、深刻な問題はなさそうだと、結衣香は少しホッとしていた。
しかし、そう感じたのは大きな間違いだった。玲奈はにやけ顔で、びっくりすることを言い出した。
「実は私、栄二さんと付き合うことになりました!」
その告白に、結衣香は激しく動揺してしまった。よりによって、あの栄二と。自分が帰った後、いったい何があったのだろうか。本来なら祝福すべきなのだろうが、付き合う相手のことを思い浮かべると、その言葉が出てこなかった。
「どんな相手なの?」
千恵から質問されたが、素直な感想を言うことができず、結衣香は言葉を詰まらせてしまった。その反応を見て、千恵は大きなため息をついた。
「やっぱり、ろくな男じゃなさそうね。痛い目見る前に、別れた方がいいんじゃない?」
千恵がそう言うと玲奈は頬を赤らめ、聞こえないほど小さな声でつぶやいた。
「痛い目になら、もうあったけど……」
一瞬、何のことかと首を傾げたが、その意味を理解し結衣香たちは絶句した。
「あんた、まさか」
さすがの千恵も、声が震えていた。ふたりの動揺をよそに、玲奈は照れながら、嬉しそうにうなずいた。
「色々、一度に体験しすぎちゃった」
驚きを通り越し、結衣香は青ざめていた。あまりの展開に、感情が追いついてこなかった。この結果は、自分があの場から逃げ出したせいかもしれないのだ。
「しすぎちゃった……じゃないわよ! 出会ったその日にって、ほんと馬鹿じゃないの!」
千恵が憤慨して、玲奈を罵った。喧嘩になりかけてまで忠告したのに、それが全くの無意味だったのだ。
「私の懸念した通りじゃない。飛んで火に入って、お持ち帰りされたわけね!」
「やめてよ〜。そんな言い方されると、恥ずかしい」
しかし、千恵の言葉は、玲奈に全く届いていなかった。何を言われても、恥ずかしそうに頬を染めていた。今の玲奈には、どんな言葉も羨望の声に聞こえるのかもしれない。
幸せそうな玲奈を見ながら、結衣香は胸がきしむのを感じた。友達を奪われた嫉妬のような感情と、言いようのない不安が入り混じり、気持ちがざわついていた。
だが、結衣香も栄二のすべてを知っているわけではない。印象が悪くても、それはあくまで自分の感覚だ。もしかしたら、良いカップルになる可能性もないとは言い切れない。
自分にそう言い聞かせると、結衣香はようやく、玲奈に祝福の言葉をかけた。
「栄二さんのこと、好きなんだよね? それなら、よかったね」
「へへ、ありがとう!」
結衣香の言葉は、少し微妙なニュアンスを含んだものだったが、玲奈は嬉しそうに微笑んだ。
だが、玲奈の幸せそうな顔は、半月もしないうちに曇りだした。
毎日のメッセージのやりとりを楽しげに話していたが、しばらくすると返信のスピードが遅くなり、既読もつかないことが多いと、愚痴をこぼすようになった。
毎週会っているようだが、デートらしいデートは最初だけだったらしい。用事ができたからとすぐに追い返されたり、急に約束がキャンセルになることもあるようだった。
千恵は眉間に皺を寄せながらも、そんな話を黙って聞いていた。
何を聞いても玲奈を責めないでほしいと、結衣香は千恵にお願いしていたのだ。千恵は渋々承諾してくれたが、それ見たことかと苛立っているのが分かった。
玲奈は、栄二に弄ばれている。その解釈に、疑いの余地はなかった。
別れた方がいいと言う言葉を、結衣香は何度も飲み込んだ。玲奈を傷つけることはしたくなかったし、最終的には自ら別れようと思わなければ、解決しない話なのだ。
玲奈の溜息は増えていき、口数も少なくなっていった。
そして、1か月ほど経った頃、玲奈は学校に来なくなってしまった。
