【煉獄のパールライト】35.恋煩いの逃亡者
その後、ビリヤードをやろうという話になり、結衣香たちは、ひとつ下のフロアに移動した。こちらはダーツのように簡単ではなく、結衣香は早々に見る側に回っていた。
男たちは普段からやり込んでいるのか、白熱した試合を繰り広げていた。日菜子や若菜から飛ぶ黄色い声が、いいところを見せたい男たちをさらにヒートアップさせているようだった。
少し遠巻きに見ていた結衣香に、玲奈が近づいてつぶやいた。
「颯太くんて、背が小さいけどカッコいいよね」
颯太はこの中で一番癖のないイケメンなので、玲奈はすっかり気に入ったようだった。しかし、その彼は若菜にマンツーマンで、ビリヤードの手ほどきをし始めた。仲良く笑い合うふたりを見て、玲奈の表情が曇っていった。
そんな玲奈を横目に見ながら、結衣香はぼんやりと店の中を眺めていた。とにかく今は、何もしないで心を休ませたかった。
しかし、ゲームを終えた栄二が、すぐさまこちらにやってきた。
「何話してんの? 一緒にやろうよ」
「……ビリヤードは、難しくて」
やんわりと断るが、栄二はそのまま結衣香の隣に居座ってしまった。隣にいた玲奈に救いを求めようとするが、彼女はスッとその場を離れていった。
「ちょっと行ってくるね」
そう言った玲奈は、果敢にも颯太と若菜の間に割って入ろうとしているようだった。
「結衣香ちゃんさ、今ハマってることとか無いの? 俺は今、動画の編集にハマっててさ」
「そ、そうなんですか」
取り残された結衣香は、再び栄二の何の実もない話を聞き続けることになった。彼女は愛想笑いに疲れ、頬の筋肉がひきつるのを感じた。
ビリヤードは女子が見るだけになったので早々に切り上げ、同じビルのカラオケに移動することになった。
女子を取り囲むように男子が陣取り、結衣香の隣には当然のように栄二が座った。逆隣にいる玲奈の横には、拓矢が座っていた。
颯太と若菜は正面の席に座り、ふたりだけの世界を作っていた。玲奈は不満げだったが、気を取り戻したのか、拓矢と一緒に歌い始めた。
一緒にゲームを楽しんだことで、皆はすっかり打ち解けたようだった。この人数でブースに入ると、否応なく隣の人間との距離が近くなるのだが、女子も含めて誰も気にしている様子はなかった。
結衣香は1度歌ったきり、その後は完全に聞く側に回っていた。寝不足かのように頭が重く、大音量のサウンドが、脳に響いて少し辛かった。
「もっと歌おうよ。どんなアーティストが好き?」
「歌える曲が、思いつかなくて……」
栄二が話しかけてきたが、結衣香は気のない返事を返すのが精一杯だった。徐々に、その場を取り繕う言葉すら出てこなくなった。
「まだ緊張してる?」
そう言いつつ、栄二が結衣香の手を軽く握ってきた。結衣香はビクッと手を引っ込めて、栄二から距離を取ろうとしたが、すぐに部屋の壁に阻まれてしまった。
「おっと。逆に緊張しちゃった?」
栄二が笑いながらそう言ったが、結衣香は表情をさらに硬くした。その態度に、栄二も不服そうな顔になった。
「結衣香ちゃんて、すごい真面目だね。周りなんか気にせず、もっと自分をさらけ出した方がいいんじゃない?」
少し冷めた口調で、栄二が結衣香にそう言った。
「さらけ出すって、言われても……」
「普段なら、俺たちみたいのと遊ぼうなんて思わないでしょ。何で、来ようと思ったの?」
心を探るように、栄二は結衣香の瞳を覗き込んできた。その視線を避けるように、結衣香はうつむいた。
「それは……誘われたから」
「普段なら断ってない? ここに来たのは、何かのきっかけが欲しかったんじゃないの?」
「……」
栄二の言葉は的を射ているようで、実際は微妙にずれているような気がした。しかし、反論する言葉が出てこなかった。そんな結衣香を見て、栄二は急に優しい口調でささやいた。
「何かを変えなきゃ、ダメだと思ったんでしょ。自分を変えてくれるような出会いを、求めてきたんじゃないの?」
そんな栄二の言葉と、玲奈が歌う甘ったるい歌詞がごちゃ混ぜになって、頭の中で鳴り響いていた。平衡感覚を失った結衣香は、その場に倒れ込みそうになるのを必死に堪えた。
「ちょっと……化粧室」
結衣香は小さくそう呟いて、ふらつきながら、その部屋から逃げ出した。
廊下にあったベンチに腰を下ろすと、結衣香は重い肢体を抱え込んだ。何とも言えない嫌悪感が、体を支配していた。その原因は無遠慮な男たちではなく、間違いなく自分にあった。
新しく出会った男と向かい合っても、思い浮かべるのはアイツのことばかりだった。
それを振り払おうとして、目の前の男をひいき目に観察するのだが、それは彼の魅力を再確認する行為でしかなかった。
意外に人見知りのアイツは、初対面の人間とこんなに馴れ馴れしく接したりはしなかった。
彼の言う言葉は、こんなに軽くなかった。
物腰柔らかく聞き上手で、自分を主張するよりも、私の話をきちんと聞いてくれた。
そんな考えを、思い浮かべては押し込めた。それを繰り返すうちに、頭が酔ったように気持ち悪くなってしまった。こんな中途半端な気持ちで、人と関わろうとするのが悪かったのだ。自己嫌悪に苛まれ、頭の中がぐちゃぐちゃで、結衣香は何も考えられなくなってしまった。
そのまま、うずくまるように座っていると、頭上から声をかけられた。
「どうしたの? 気分悪いの?」
見上げると、日菜子が心配そうにこちらを見ていた。
「うん。大丈夫……」
「大丈夫って感じじゃないでしょ」
そう言って、日菜子は結衣香の隣に腰を下ろした。
「何か、ずっと調子悪そうだったもんね」
そう言われ、結衣香は恥ずかしくなって、日菜子から視線をそらした。せっかく誘ってくれた人に、自分の不機嫌な態度を勘づかれていたのだ。
「何だろう。初対面の人ばかりで、思ったより気疲れしたのかな……」
後ろめたさをごまかすように、結衣香はそう言った。
「そっか」
日菜子はしばらく結衣香の顔を見つめると、すっと立ち上がり部屋に戻っていった。そして、すぐに戻ってきたかと思うと、結衣香の鞄を携えていた。
「このまま帰りなよ。みんなには、うまく言っとくからさ」
「でも……」
ためらいつつも、その提案は結衣香にとって、とてもありがたいものだった。
「大丈夫だって。こっちはどうとでもなるんだから。無理して付き合わせる方が悪いよ」
日菜子の言葉から、彼女の優しさが伝わってきた。
玲奈を残して帰ってしまうのは、抵抗があった。しかし、これ以上この場に留まることは、どんなに気力を奮い立たせても、できそうになかった。
「そうさせてもらおうかな。本当にごめんね……」
まるで仮病で帰るような後ろめたさを感じ、結衣香は日菜子に謝罪した。
「いいよ、いいよ。玲奈にも言っとくから」
「うん。ありがとう」
日菜子から鞄を受け取り、結衣香はゆっくりとその場を後にした。
ビルを出て外の空気を吸うと、それだけで頭痛が和らいだ気がした。あれだけしんどかったのが嘘のようだが、そのことがかえって罪悪感を助長した。
それでも、あの場から解放されたという安堵感の方が大きかった。結衣香は大きく息を吐いて、自分の家に向かって歩き始めた。
だが、この時の選択を、結衣香は後で大いに後悔することになった。
