【煉獄のパールライト】37.はかない少女たち
学校を休んだ玲奈に、結衣香はメッセージを送った。心配しないでという返信が届いたものの、翌日も学校を休み、メッセージの既読もつかなくなってしまった。何度か電話もかけてみたが、つながる気配がない。
不登校が3日も続いたので、心配した結衣香と千恵は、玲奈の家に様子を見に行くことにした。
玲奈の家には、何度か遊びに行ったことがあった。彼女の住むマンションは、学校の最寄駅から15分ほど電車に乗り、小さな駅を降りて10分ほどの距離にある。
「どうせ、男が原因でしょ?」
電車で移動している途中、千恵があきれた様子で言った。
千恵の言う通り、不登校は栄二が原因としか思えなかった。色恋沙汰なだけに、予想外の事態になっていないかと、結衣香は少し不安になる。
「とにかく、すぐに別れるべきね。孕まされたりなんか、してないといいけど」
「まさか……」
千恵の例え話は最悪すぎるが、絶対にありえないとは言い切れない。結衣香の不安は、さらに大きくなっていった。
駅を降り、小さな商店街を通り抜け、玲奈の住むマンションに到着した。
エントランスでインターホンを鳴らすが、応答がない。訪問することはメッセージで伝えていたが、相変わらず返信はないので、不在という可能性もありえた。あきらめずに、もう一度インターホンを押すと、どうぞという玲奈の声と共に、自動ドアが開いた。
エレベーターで3階まで上がり、玄関のチャイムを鳴らすと、しばらくして玲奈が顔を出した。
「わざわざ来なくていいのに……」
彼女はTシャツにスウェットパンツといった、ラフな格好だった。体調は悪くなさそうだが、玲奈はとても不機嫌に見えた。許可なく押しかけたので、迷惑に思っているのかもしれない。
結衣香は、申し訳なさそうに言った。
「体調、大丈夫?」
「体調は悪くない」
玲奈の態度は、今までにないくらい冷たいものだった。どう反応すれば良いか、結衣香が戸惑っていると、見かねた玲奈が家に上がるように言った。玲奈の両親は共働きなので、平日の今日は仕事に出ているはずだ。玲奈はひとりっ子なので、家にいるのは彼女だけだった。
リビングに通された結衣香は、ためらいながら玲奈に声をかけた。
「心配したんだよ。連絡しても、返事くれないし……」
「しばらくほっといて欲しかったんだよ」
先ほど彼女が言った通り、休んでいる原因は精神的なもののようだった。
「学校を休んでること、親はなんて言ってるの?」
「普通に学校に行ってると思ってるよ」
聞けば初日は仮病で休み、2日目からは登校したと見せかけて、親が仕事に出た後に家に帰ってきたそうだ。
「すぐバレるようなことしてるわね」
「家を出るまでは、行くつもりだったんだよ」
千恵が呆れて言うと、玲奈はぶっきらぼうに答えた。
「それで、一体何があったの?」
続けて聞いた千恵の質問に、玲奈は言いたくなさそうに押し黙った。埒が明かない態度に、千恵があっさりと核心を突いた。
「どうせ男に浮気でもされたんでしょ。それとも、あなたが浮気相手だったとか?」
「千恵!」
結衣香は、少し強めに千恵をたしなめた。こういう時、千恵の配慮のない言い方には困ってしまう。問われた玲奈は、眉間に皺を寄せながら、ずっと下を見ていた。しばらくして、ようやく小さな声を絞り出した。
「そうね。そのようなものね……」
玲奈の様子が普通でないと感じ、結衣香は恐る恐る聞いた。
「大丈夫? 何か変なことされてない?」
「されてたら何? いまさら結衣香に言っても、どうしようもないでしょ!」
冷たく言い放った玲奈に、結衣香はたじろいだ。千恵の言葉に苛立っているのだと思ったが、それだけではない何かを感じた。
「ホント、ほっといて欲しいの。だから、学校にも行きたくなかったんじゃない!」
玲奈の機嫌を損ねるようなことを、何か言ってしまっただろうか。しかし、結衣香には思い当たる節がない。
「八つ当たりは、みっともないわよ!」
玲奈の態度に、千恵の言葉も荒くなった。せっかく見舞いに来たのに邪険にされ、彼女も苛立っているようだった。
「結局は、あなたの男を見る目がないのが原因じゃない。男の価値は外見じゃないの。虚栄心で選ぼうとするから、そうなるのよ!」
言いたいことが溜まっていたのか、千恵は容赦なく玲奈を切り捨てた。普段なら苦笑いで受け流してくれる玲奈も、怒りを露わにした。
「相変わらず、上から言うよね! ホント、何様!」
玲奈のらしくない態度は、精神的な余裕のなさの表れだろう。そんな時に、責めるような態度は避けるべきだった。
結衣香はそう思い、仲裁に入ろうとするが、一歩遅かった。言い返されて少し気が昂った千恵は、より攻撃的な言葉を発してしまう。
「そこまで言われるような事をしてるからでしょ! 見る目がないと言うより、元から男の趣味が悪いのかしら?」
玲奈の瞳が、涙で滲んだ。そして、今まで見たことのない怒りの形相で、千恵を睨みつけた。
「男の趣味? あなただって人のこと言えるの?」
玲奈が声を震わせながら、何かを言おうとしていた。その意図に気づいて、結衣香はハッとした。
それに、触れてはダメだ!
「あんた、古典の村上が好きなんでしょ?」
思いがけない指摘に千恵の体は硬直し、少し遅れて顔が真っ赤になった。何かを言おうと口を開いたが、言葉になっていなかった。
「大人っぽいどころか、完全にじじいじゃない。あんなのが好きな訳? あんたの方が、よっぽど趣味悪いわよ!」
玲奈の言葉に、その場が凍りついた。少し間が空いてから、千恵は小さく言葉を絞り出した。
「……先生は、素晴らしい人だわ。あなたに、何が分かるって言うのよ」
「だから、理解できないって言ってんの! 精神的な熟成? 枯れ落ちて、もう使い物にならないんじゃないの?」
「何ですって!?」
ふたりの言い合いは、ついに取っ組み合いに発展してしまった。結衣香は間に割って入り、懸命に声を張り上げた。
「ふたりとも、やめて!」
ここまで来ると、結衣香にはどうすることもできなかった。ふたりがお互いに発するひと言ひと言で、何かに亀裂が入り、崩れていくのを感じた。
「やっぱりあんたは見た目でしか判断しないのね。そんなだから、いいように弄ばれるのよ!」
「先生と生徒の恋なんて淫らじゃないの? 恍惚とした表情で教師を見るんじゃないわよ、いやらしい!」
玲奈の言葉は、千恵以上に容赦がなかった。千恵はショックを受けたようで、さらに言い返そうとするが、言葉が出てこない。
そして、玲奈を睨みつけると、何も言わず部屋から出ていってしまった。
「千恵!」
結衣香が声をかけるが、バタンと大きな音を立てて玄関のドアが閉じられた。追うべきか、残るべきかで戸惑う結衣香に、玲奈が感情を殺した声で言った。
「結衣香も、帰って」
結衣香は、すがるように訴えた。
「玲奈。千恵には謝るように、言っておくから……」
「もういいから。今日は帰って」
何もかも疲れたといった印象の玲奈は、そう言って結衣香に背を向けた。対話を拒否されたその態度に、結衣香にはもうなす術がなかった。
「悩みがあるなら、ちゃんと相談してね……」
結衣香はそれだけ言い残して、後ろ髪を引かれながらも、玲奈の家を後にした。
次の日、玲奈は久しぶりに学校に来た。
「玲奈、久しぶりじゃん。どうしたの?」
「ちょっと、ベッドから出られない病気にかかっちゃってさ」
「なにそれ、ズルじゃん!」
玲奈が友達とふざけて話す姿は、復帰前と変わらないように見えた。
しかし、千恵とだけは、決して顔を合わせようとしなかった。それは千恵も同じで、まるでお互いが存在しないかのように振る舞っていた。
お昼も一緒には食べようとはせず、玲奈は日菜子たちのグループに入り、千恵は弁当を持って教室から出て行った。結衣香は自分の席でお弁当を広げたが、ひとりでお昼を食べるなど、いつ以来だろうか。箸は一向に進まなかった。
この状況が長引けば、より関係を修復しづらくなってしまうだろう。早急に、ふたりの仲を取り持たなければならなかった。そう考えた結衣香は、お弁当を食べ終わると、千恵を探しに教室を出た。
「何で私が謝るの? 私は間違った事なんて、何も言ってないわよ!」
よく使う中庭のベンチで、ひとりで食事をする千恵を見つけた。しかし、結衣香の仲裁の言葉に、彼女は全く耳を貸さなかった。
「正しいかどうかじゃないの。それに、千恵の言葉は、やっぱり乱暴だったよ……」
「本人の為にも、少しきつく言ってやった方がいいのよ! それなのに、本当のことを言われて逆ギレするなんて!」
千恵は、明らかに意固地になっていた。相手のことなど考えず、自分を正当化する主張に囚われている。
「それに、言い過ぎなのは玲奈の方でしょ! 私は村上先生を尊敬しているだけなのに、失礼極まりない。あんな侮辱の仕方、絶対許さない!」
千恵は深い怒りを瞳に宿して、結衣香を睨みつけた。それは、自分がひた隠してきた想いを、暴露された羞恥から来るものに違いなかった。そして、その想いが強いだけに、今すぐ説得するのは難しいように思えた。しかし、時間が経てば解決するとも思えない。
「自業自得なんだから、あんな女ほっとけばいいのよ!」
結衣香は懸命に説得を試みるが、その努力も虚しく、千恵は憤慨したまま去ってしまった。
「千恵って、変なところで潔癖なんだよね」
強情な千恵よりも、玲奈の方が説得しやすいと思っていたが、彼女の態度は想像以上に冷淡だった。
「だから、自分が気に入らない人間は、見下して糾弾するんだよ。それが、今回は私だったってだけ……」
その通りだとは思わないが、千恵にそんな不満を持つのも分からなくはない。喧嘩したことで、相手の悪い部分ばかり気になってしまうのだろう。
「確かに、男を見る目がなかったと言われたら、その通りなんだけどね……」
自嘲しながら、玲奈がそう言った。結衣香は恐る恐る、昨日聞くことのできなかった質問をした。
「栄二さんとは、どうなったの?」
「先週末に会ったのが、最後だよ。もう連絡も取ってない」
やはり学校を休んだ原因は、栄二だったのだ。玲奈は顔を引きつらせながら、痛々しい笑顔で言った。
「恋人らしいことなんて、ひとつもできなかった。毎回すぐホテルに行こうとするから、断ったら怒って帰っちゃった。ヤれないなら、お前と会う意味はないだって」
「ひどい……」
そんな残酷なことを、本当に言う人間がいるのだろうか。
憤りよりも、信じられないという思いの方が大きかった。普段接する機会はないが、悪意というものは確かに存在しているのだ。
そして、さらに衝撃的なことを玲奈が言った。
「どうせ抱くなら、結衣香がよかったって」
あまりの言葉に、結衣香は絶句した。栄二からの一方的な好意は感じてはいたが、まさかそれを、今付き合っている彼女に言うのか!
結衣香は、玲奈になんと声をかければ良いか分からなかった。何を言っても、玲奈を傷つけてしまう気がした。
「彼氏を作るには、勢いが必要だと思ってたけど、勢い余って見事に転んじゃった。ホント、千恵には何も言い返せないよ……」
玲奈の瞳が、悔しさで滲んでいた。学校を休み、彼の心ない言葉を振り払えずに、ずっとひとりで苦しんでいたに違いない。
おそらく、結衣香とどう接すれば良いのか、葛藤しながら。
「悪いけど、しばらく放っておいて……」
玲奈は力のない表情で、結衣香にそう言った。去っていく玲奈を、結衣香は無言で見送ることしかできなかった。
