どうして「noteを伸ばそう・収益化しよう」系の話はうさんくさいのか
詐欺的な情報発信に対する注意点と、「あなたがnoteを書くことの意味」についての話です。無論、後者のほうがずっと重要なので、それをお伝えしようとしています。
怪しい話が多すぎる
なぜこれを書こうと思ったのか
最近「noteのメンバーシップで月収○○万円! あなたにもできる!」といった感じのSNSアカウントをちらほら見かけて、何か非常にモヤモヤするものを感じたので、ちょっと言語化を試みたいと思います。
私は以前、投資と資産形成の入門書を出していて、その中に「確実に儲かります」「これだけで誰でも簡単に利益が出せます」という話は例外なく嘘であり、それはごく常識的に理解できる理屈によってそうなっているのだ、ということを詳しく解説した章があります。その説明だけでけっこうなページ数を費やす必要があったのは、世の中にはそれだけ疑わしい投資話が多く、実際にそれを信じて騙されてしまう人も多いからです。
で、note収益化の件なのですが……この手の話題を考えるためには「価値」という多義的な言葉を正しく理解しておく必要があるので、最初に少し個人的な感情についてのお話をしておきます。
私はnoteの面白さって「その人のプライベートな日記を見せてもらう」ような感覚にあると思っています。
広告のキャッチコピーや職場でのプレゼン資料など、生活の中で普通に目にする文章というのは「商品として整えられている」「自分の主張を通そうとしている」といった感じのものがほとんどで、何らかの建前や誘導の意図のない、生身のその人が見えてくるような言葉というのはなかなか見ることができないものです。
でも、noteというプラットフォームにはそれがあります。私たちが普通に友達付き合いをするときって、「その人の等身大の面白み」という微妙なものに魅力を感じるのだと思いますが、これは別にその人が「5分に一度のペースで爆笑を引き起こすくらい話が面白い」というわけでないんですよね。友達はみんな普通の人間で、普通に素敵で、私たちはそこに好感を抱くわけです。
ところが、今考えようとしている「noteで収益化しよう」というのは違います。仮にお金を払ってお笑いの舞台のチケットを購入してくれた観客がいるなら、そのお客さんは30秒に一回くらいは笑わせてくれることを期待していて、あなたは舞台の上でそれを演じる必要があるのだ、ということになります。
どのような商売であれ、お客さんは「役に立つもの」または「面白いもの」を期待してお金を払ってくれているので、当然、送り手はその期待に応えなければなりません。収益化とはそういう意味です。私も自分が本を書いて出版する仕事をしているので、これがいかに難しい仕事であるのかは知っているつもりです。
今から指摘したいこと
さて、前置きはここまでにして、本題に入りましょう。
私の見たところだと、「noteで月収○○万円!」系の話の「おかしさ」としては、以下の3つが指摘できるような気がしています。
簡単でないはずのことを簡単だと言ってしまう
「買い手に何を提供できるのか」が見えてこない
「仮説と検証」を突き詰めると週刊誌のゴシップみたいになる
いずれも有料メンバーシップの運営だけでなく、単発の有料記事、有料マガジンといったものにも言えることなので、「note収益化」という話題に対する全般的な指摘になります。
では、順番に詳しく見ていくことにしましょう。
ここがおかしいんや!!(×3)
1. 簡単でないはずのことを簡単だと言ってしまう
当たり前の話なのですが、どのようなお店に来るお客さんも「それだけ払ってもいい」と思うものにしかお金を払わないし、会社は労働に見合うと思えるだけの給与しか出しません。
これに「ケチケチしないでもっと出せよ」と文句を言うのは妙な話です。なぜかというと、他ならぬ私たち自身の判断基準も上記とまったく同じようになっているからです。
休日にどこかの行楽地にお出かけしたなら、有料エリアには数百円の入場料でも「別にいいか」となったりしますし、スーパーで似たような商品が並んでいるときには、その差が数十円でも高いほうは選ばなくなりますね。こうした中で、「商品を手に取ってもらえる売り手(=書き手)になる」というのはものすごく大変なことです。
これは「人からお金をいただくことの難しさ」という話ですが、今問題にしているようなnoteウハウハ話にはもっと根本的なおかしさがあって、それは「簡単にやれることならみんなやってるはずだ」という、極めて常識的な言葉で述べることができます。
普通の人は会社の仕事なんて好きじゃないし、好きなことをやって生活できるならそうしたいと思いますよね。note好きな人ならば、文章を書きながら生活できたらどれほど幸せだろうか、と思うでしょう。もうお分かりかと思いますが、こうした気持ちにつけ込むのがウハウハ系の人たちです。
昔からよくある詐欺的な話として、「成功者の私が成功する方法を教えます!」というものがあって、その人は実際には何も意味のある事業はしていなくて、成功してそうなポーズを取ることによって「成功する方法」を売るというのがその人の仕事の本体だったりします。これはお釈迦様でも地獄へ落とすでしょう。私でもそうします。(みなさんもそうですね? やっちまえ!)
note収益化の話に戻ると、ここで「お金を払ってもらえるような活字コンテンツをつくるのってすごく難しいですよね」という前提に立って、「文章力の向上に役立つノウハウをみんなで共有していこう」とか「書き手同士が相談し合えるコミュニティをつくろう」と言うのならわかるんですよね。そういう情報発信は意味のあることで、執筆や創作という難しい仕事を志す人々のためになるものです。
でも、noteウハウハアカウントの人たちは「こうするだけです、簡単です」ということを非常に簡単に言ってしまうんです。これは不誠実というものでしょう。そのようにして夢を売ることが、実際にその人の有料情報の本体とも言える形になっているので、ちょうどさきほど述べた地獄行きのケースに該当しそうです。
ちなみに、本当にここだけの話なのですが、実を言うと私は究極のダイエット方法を知っています。成功率は絶対確実の100%、本来ならば10万円で販売している有料情報になりますが、みなさんにだけこっそりお伝えししちゃいましょう。それは「食べたくなっても我慢する」と「ちゃんと運動する」の2点です。誰でもできますね、すごく簡単です!!
というわけで、その詳しい内容に関わらず、発言として「簡単です」が出てきた時点で「嘘つきの人だなあ」と考えてよいと思います。
2. 「買い手に何を提供できるのか」が見えてこない
「お金を出してもらうことの大変さ」というのは、作り手への問いかけとして表現し直すと「あなたのつくったものは、果たして世間の人々がお金を払ってもいいと思ってくれるだけの価値を持っているだろうか」という形になります。
だいたいの話として、人がお金を払う対象は「実用品」と「娯楽」の二種類であると大別してよいと思います。これが「まとまった文章」という形をした商品の場合、専門分野の教科書などは実用品ですし、小説やエッセイなどは娯楽に当たるものになります。
最初に日記という比喩を出したように、人が文章を書くときというのは本来「書きたいから書く」でよくて、何か目的がなきゃダメだとか商品価値がなければダメだということは全然ないのですよね。それは本当につまらない考え方です。正直、noteを心から楽しみたいのなら、そこにお金の話なんて絡ませないほうがいいんじゃないかなと個人的には思ったりします。
でも、「自分の書くもので対価を得たい」と決めたなら話は別で、それは商品価値を持たなければなりません。そこで、noteウハウハ系の人たちなのですが……(もうこの呼称でいいや)、彼らは「書くことによってどういう価値を読み手に与えられるのか」について全然触れていません。
書くということの実用面の目的は、まずは知識を伝えることで、これは客観的で役に立つものになっている必要があります。さらには、単なる「正解」を伝えるだけでなく、何か重要な問いかけによって読者の人間的な成長を引き起こしたり、実世界でのチャレンジへと向かってもらうための後押しをするといった役割もあります。いずれにせよ、何らかの意味で「読者のためになっている」わけです。
しかし、収益化系の発信者は……彼らはいったい何を売りつける商売について話しているのでしょうか? これ、答えられる人いますか?
彼ら自身は意味のある商品を何も持たずに、ひたすら「売り方」「伸ばし方」の話をしており、聴衆(=未来の書き手)自身の中にある「他人に伝えるだけの価値のあるもの」について自問をうながすこともなく、「あなたもこういうポーズだけで売れるようになります」と言っているように見えます。これは普通に「虚業」と呼ばれるものでしょう。
仮に飲食店経営の収益改善の話をしているなら、料理の味そのものの話題は出てこないだろうし、そういう意味では「さまざまなタイプの飲食店で使えるように抽象化したレベルの話をしているのだ」ということも理解できなくはありません。商品とは別に、純粋に営業や経営のノウハウというのは確かに存在するからです。
でも、それって苦しい言い訳じゃないかなあ。なるべく理屈が通るように言語化してみたつもりですが、突き詰めれば「ペテン師の匂いがするぞ」という直感のデカさの話のような気もします。
ふと思ったのですが、商品開発と営業がそうであるように、文章の価値って「伝えている内容」と「伝え方・見せ方」が綺麗に分離できるものでしょうか? 私はそれは「できない」と思う(少なくともそういうケースのほうが多いと感じる)のですが、あなたはどう思いますか?
3. 「仮説と検証」を突き詰めると週刊誌のゴシップみたいになる
この「仮説と検証」というのは、今回問題にしている界隈の人たちがよく使う言葉です。
意味合いとしては「ひとまずは推測によってやり方を決めて、実際に試してみて、結果を見てやり方を修正していく」という感じです。これ自体はすごく真っ当なことで、仕事の場面でも必要だし、プライベートの人間関係をやっていく上でも、振り返って反省して改善するということは大事ですよね。
で、その界隈の人たちなのですが、彼らの発信する内容とは、おそらく「中身ではなくポーズで売る」ということ自体への仮説と検証を全力で回した結果なのではないかと思います。つまり、実際に「読まれるだけの価値のある活字コンテンツ」をつくるために役に立つ実効性のある知識ではなく、「こういう発言をしたほうが成功者っぽくてウケる」という方向に最適化していったのが彼らのnoteとSNSアカウントなのだ、ということです。
昔からある週刊誌、あるいは現代のニュースサイトで見られるような芸能人のゴシップや政権批判って、すごくパターン化されてますよね? そのときどきの人物の名前が違うだけで、毎回同じような見出しと同じような論調になっていて、それを読むことで何か学びがあるということは1ミリもないのですが、たぶんそれが大衆の目を引くための最適化されたやり方なのでしょう。儲けだけが目的なら、それでも構わないということになります。
ちょうどゴシップの内容が「事実を正確に述べているか」がどうかがどうでもいいように、おそらくnote収益化のノウハウも「実際に効果が出るか」という観点はあまり重視されていない気がします。成功しているように見えて、受け手に「自分も成功者の仲間入りができる」という夢さえ見せられるのなら、とりあえずそれで需要と供給が一致して、商売としては成立するからです。
「自分を救ってくれない教祖様を崇めてしまう」というのはそこまで珍しくない話のようで、どうしてそうなるのかはよくわからないのですけど、とにかくそういう偶像には一定のニーズがあるようです。
ここで、最初の「顧客は自分の求めるものにお金を払うのだ」という指摘に戻ると、noteウハウハ話の実態が正しく理解できるようになります。それは「文章能力やnote運営スキルをよりよいものにしてくれる情報」ではなく、ただ「成功者の夢を見させてくれる作り話」、つまり娯楽の一種に当たるわけです。
それが欲しいというのならばそれでいいのですが……それで、あなたの欲しいものってそういうものだったんでしたっけ?
まとめ:自分にとっての本物を書かないと意味ないよ
今回の分析はここまでになりますが、最初に出てきた話を念のため繰り返しておきます。
noteを続けるにあたっては、あなた自身が書きたいから書く、自分が素敵だと思うことを書くということが何よりも大切です。その価値は「商品としての価値」とは何の関係もありません。あなたや私が本当に価値を感じるものというのは、本来値札がつかないものだし、無理につけようとする必要もないものです。
商品価値ではなく、あなた自身が本当に価値を感じるものを書いてください。日記でも日常エッセイでも、形式は何でも構いません。あなたが本当に感じたこと、本気で考えたことというのは、まず何よりもあなたにとって偽りのないものだし、それが本物であるなら、おそらく読み手もそれを感じ取ってくれます。
そうして徐々にフォロワーが増えていって、最終的にいくらかでも収益化に成功したというならば、それは素晴らしいことです。しかし、最初から「ウケるものをつくってやろう」という気持ちでいると、本来あなたの中にあった何らかの尊いものは消えて、出てくる文章はゴミみたいなものになってしまいます。
承認されて小銭を得たいなどというつまらない欲求で、それを汚してしまってはなりません。あなたにとって本当のことを書いてください。これが今回の話の結論になります。
関連書籍
「自分がやりたいことをやらないと意味がないよね」という点については、以下の2冊の本でも詳しく論じています。よかったらチェックしてみてくださいね〜。
それぞれに「試し読み版」もあるので、立ち読みしてみたい方はこちらからどうぞ。
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