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長男の誕生日が近いので、長男の誕生秘話を聞いていただけますか?

(;´・ω・) アメガフリマスネ… 毎日夕立が降って、洗濯物がしっかり乾かない日が続いております。 ども、毎日が生乾き臭の五十路のオサーンパルサー君です。 くっさい体臭のオサーンの詳細は↓↓↓まで。

 今日は夜勤明けで無敵状態です! 今月はなんと8回の夜勤がぶち込まれておりまして、やっと7回目の夜勤が終わりました。 最終夜勤は31日の晩です。

 まぁ、夜勤自体はキライなのですが、夜勤の空いた時間には資格取得のための勉強が出来るので、今は好都合です。 資格取得の為に買った参考書は約半分まで読破しました。

 今年後半の試験は9月にあるので、9月の試験日で受かるとは思いませんが、受験会場の雰囲気を味わっておくのと、試験の形式などが解れば都合がいいので、合否はともかく9月の試験日まで猛勉強し、今年後半の資格試験を受けようと思います。

 さて、今回の無敵のオサーンのお話なのですが、パル家の長男の誕生日が近いですので、「パル長男誕生秘話」のお話をさせていただこうと思います。 他人の家の子供の話なんて聞きたくもねーし!…って人は、私の記事にスキを押してくれれば、私のヘアヌード写真を差し上げま…せんwww


 今月の月末に、私の長男が13歳の誕生日を迎えます。 現在中1の12歳。 世の中のありとあらゆる事にムカついて仕方のない、厨二病真っ只中の絶賛反抗期ですw

 こんな風に順当に反抗期を迎える我が子ですし、身体だって私とほぼ同じか、ちょっと低い位。 体格だってもう立派な大人の仲間入りなのですが、やっぱり行動と中身は中学生

 こんな長男ですが、やっぱり我が子は可愛いモンです。 ちょっと濃い目のヒゲもポツポツと生えてきましたし、声も随分野太くなってきましたが、そんな長男だって幼い赤ん坊の頃があった訳です。

※フリー画像ですので、長男本人の画像ではありません。

 私が30代半ばの秋口頃でした。 嫁さんとの結婚が決まり、一緒に住み始めたのが10月。 その年の10月は食事会(嫁さんの家庭の事情で、結婚披露宴は行われなかった)やら共通の同僚の結婚式などがあってバタバタと忙しく過ぎておりました。

 そんな折に嫁さんの妊娠が発覚したのが、その年の12月半ば頃。 嫁さんは陽性に反応した妊娠検査薬を持って大喜びしており、私に検査結果を見せるためにキットを持った手は、緊張と興奮で震えておりました。

 そもそも、私達夫婦の出会いは私の実家の魚屋が閉店した後のデイサービスでありまして、私の年齢も30代前半から半ばに差し掛かった頃。 ですので出会いも遅く、結婚した時にはお互いが30代半ばでした。

 嫁さんの実のお姉さんは既に結婚されていたものの子宝に恵まれず、不妊治療を継続していましたが、結果現在に至るまでご懐妊のお話は来ておりませんので、妊娠しづらい身体だったのでしょう。

 嫁さんはそんなお姉さんの子作り状況を知っていましたし、嫁さん自身も30代半ばに差し掛かっておりました。 なので正直
自分も子宝には恵まれない身体なのでは無いか…
と、不安で一杯だったらしいのですが、結果は上記の通りです。 


 しかし、その後妊娠生活は苦労の連続でした。

 嫁さんは辛い悪阻つわりに悩まされ、一時的には果物…それも苺とリンゴのみしか食べ物を受け付けなくなり、飲める飲み物は水のみ。

 夜中に
「苺が食べたい!」
と大泣きする事もありましたし、毎朝朝食のためにリンゴを剥いて枕元に置いておかなければいけない状況だったため、私が夜中に24時間営業のスーパーに買いに走り、朝までにリンゴを剥いて枕元に置いておくなんて事もしばしば。

その頃に「とちあいか」って品種は無かったですがねw

 その当時はまだおじいちゃんも健在でしたし、おばあちゃんと一緒に同じ屋根の下暮らしていましたが、おばあちゃんがお昼に作ったラーメンの匂いや、ご飯を炊いたお米の匂い等で気分が悪くなることもしょっちゅうだった模様です。

 年が明けた早春の頃、嫁さんがお腹の張りを訴えたので産婦人科に行くと『切迫早産』で、そのまま即入院になる事に… 結果2週間で退院出来ましたが、その後も自宅で絶対安静の状況でした。 我が家の住まいは基本的に2階でしたが、階段の上り下りもNGだったため、その頃の嫁さんの外出は家の2階のベランダだけでした^^;

 その後もなんとかギリギリの状態で自宅生活を送っていたものの、5月頃には再び入院と言うことに… 院内での移動に関しては全て『車いす』での対応となってしまいました。 もちろんトイレ以外の移動は厳禁で、基本毎日ベッド上で過ごしていました。

 その後再度退院しましたが、嫁さんのお腹はこれ以上ないくらい大きくなって、見るからに「その時」は近づいております。 逆子だった赤ちゃんもちゃんと元に戻り、後は破水、陣痛を待つのみとなりました。

デジタルでのデータは残っていませんので、嫁さん所持の写真を再撮影しました。

 そして、今から13年前の7月30日。 その日は私がたまたま仕事が休みでしたので、ゆっくりの起床でした。 携帯(もちろんその頃はガラケーねw)のアラームが朝の8時に鳴ると同時に嫁さんのお腹の中で何かが弾ける感覚があり、その後まもなく破水。

 産婦人科に電話すると
朝ごはんを食べてから9時に受診してください。
との事だったので、朝食を嫁さんと食べた後、共に産婦人科へ向かいます。

 まだ陣痛の痛みの感覚はほとんど無い模様。 エコー検査を行うと、赤ちゃんの向きが芳しくありません。 病室で四つん這い体操を行いましたが今一つ良くならず。

四つん這い運動をしている嫁さん。 まだこの頃は笑っている余裕がありました。

 そうこうしているうちに陣痛が徐々に襲って来る事に… 時を追うごとに陣痛の間隔は段々と短くなっていき、子宮口もだんだんと開いていきます。 夜の20時ごろに看護師さんが検査を行うと、いよいよ間近に「その時」が迫っている模様。 看護師さんに連れられ、嫁さんは歩いて分娩室に向かいました。

 分娩室のベッドに寝ている嫁さん。 顔中汗だくで痛みも増している様子。
「いきみたい!」
と、懇願とも取れるような発言が飛び出ますが、担当のDrが言うには
もう少し子宮口が開いた方が(スムーズに出産出来ます)… 9時(21時)まで待ちましょう。」
って事で、21時まで分娩室の寝台で待つことに。

 嫁さんは
まだ待つの? もういきみたい!凄く痛い‼
と、必死の形相で私とDrの顔を睨み付けるように見ています。 額からは冷や汗とも脂汗とも見える、玉の様な汗が滝の様に流れております。

 立ち合い出産を希望した私は、時計を見ながら
あと10分だよ! もう少しだから!
と背中をさすっています。

 しかし、実際には嫁さんの背中方面に時計があったので、嫁さんは見えていなかったのですが、私が「残り10分」と言った時の時計の針は20時30分を指しておりましたw

 ですがその時間をバカ正直に嫁さんに伝える事も出来ず
「残り10分だよ!(あと30分だけどな)」
とか
「あと3分だって! カップラーメンが出来る時間の辛抱だ!(10分残ってるんだがな)」
なんて言って、手を握って励ましながら背中をさすっておりました。 必死の形相で咄嗟に嘘を言っている私の様子を見て、看護師さんも苦笑いしております。

 嫁さんはそんな私が嘘を言っているとは露とも知らず、ラマーズ法で痛みを逸らしながら、何とか時間の過ぎるのをひたすら耐えております。

 私も腰痛持ちの為、長時間中腰で背中をさすっていると腰に電撃が走る様な痛みが襲ってきます。 背中をさすりながら
嫁ちゃん頑張れ! (俺も腰痛の神々が舞い降りて来たよ!) でも、もうあと少しだからね!
と、嫁さんと腰痛の神々に憑りつかれた自分の腰部を鼓舞して、無心で嫁さんの背中をさすります。

 嫁さんも痛みの限界突破の状況なのでしょう。 「あー」とも「うー」とも取れないような唸り声をあげながら、深呼吸をして痛みを逸らしながら時の過ぎるのをひたすらに耐えています。


 そして21時。 子宮口は10cmに到達。 いよいよその時が来ました。

 分娩室の寝台が、ガチャガチャとトランスフォームし、あっという間に分娩台へと早変わりします!

 すでに、分娩台に早変わりしている以上、嫁さんのお腹から下はカーテンで仕切られて私には見えない状況になっており、カーテンの向こう側ではDrや看護師さんや助産師さんがテキパキと動いている姿だけがシルエットで映ります。

 陣痛が弱かったからと、Drは陣痛促進剤を使います。

 陣痛の痛みに合わせてお腹に力を入れる嫁さん。 真っ赤な顔になりながら、必死に新たな命との戦いに正面からがっぷり四つで向き合っております。

 嫁さんも必死なら、お腹の赤ちゃんだって必死です。 その場にいた全員が一丸となって、真剣勝負で新たな命と向き合っております。

 私はそんな嫁さんの手をギュッと握りながら
頑張れ! 俺も傍にいるから安心しろ!
と言うのが精一杯です。

こんな時男子は無力です…


 嫁さんが激しい痛みに襲われ、陣痛の波に合わせいきんでいるのに同調し、助産師さんが嫁さんのお腹をグイっと押します。

 何度目かの陣痛の時に、助産師さんが嫁さんのお腹をグイっとすると

「オギャー!!!」



と大きな鳴き声が分娩室に響きました。

 遂に新たな命がこの世界に誕生しました! 時は21時24分。 性別は事前のエコー検査で判っていたのですが、体重は3000gを少々切る位な元気な男の子です。 大仕事を終えた嫁さんはちょっと安堵の表情を浮かべております。

 助産師さんが生まれたばかりの新たな命を嫁さんに見せてくれて、嫁さんはタオルにくるまれた我が子を力なく抱っこしております。

 私も嫁さんも嬉しさと感動のあまり、自然と涙が溢れてきました。 こうして当時を思い出して書いているだけでも、目頭が熱くなるのを感じます。

生命の神秘を感じる瞬間です。 立ち合い出産を選んで良かったです!

 分娩室の外では、パル父(仮名)とパル母(仮名)が心配そうに待機しておりました。

 しかし、21時過ぎに分娩室の外まで赤ちゃんの泣き声が聞こえて、ホッとしたとの事です。 嫁さんは分娩室で少し休んでいる模様です。 本当にご苦労様です。

遂に立派な母親になりました!


 パル父とパル母は新生児室で赤ちゃんとご対面します。 すっかり祖父と祖母の顔になって、満面の笑みで新たな命を眺めております。

 そうこうしているうちにパル父が
おい、勿体ぶらないで(赤ちゃんの)名前を教えてくれよ!
と、私に聞いてきます。

 私は
「竜雄(仮名)だよ! はじめましておじいちゃん!」
と言うと、ニコニコしてパル父は
そうか、竜雄か…いい名前だな! 元気な子に育つに違いない!
と嬉しそうです。

 パル母も言葉少ない様子でしたが、それはそれは嬉しそうな表情をしており、
嫁ちゃんに『ご苦労様』って伝えてね!
と言っておりました。


 妊娠が判明した当初はまだ性別が確定していなかったので、名付けに関しては女の子だったら嫁ちゃんが名付ける事になっておりましたが、男の子だったら私が名付ける事になっておりました。

 私はどうしても「強い動物」を一文字と、私の名前の一文字を入れたかったので竜雄と名付けました。 私も、パル父も名前に「〇雄(漢字は違うが読みは一緒)」と付いていたため、3代続いて〇雄となる事になりました。

 その後次男が生まれる事になるのですが、もちろんそのネーミングルールは守られておりまして、次男も「虎男(仮名)」と名乗る事になるのですが、その名前がこの世に降臨するのは、長男の誕生から更に2年先の話になります。

 結果、パル父、私、パル長男、パル次男とも同じ「〇雄」のルールに則り名付けがされておりまして、親子3代で同じ様な名前になってしまいましたw


 あんなに小さくて頼りない赤ちゃんだったのに、今や長男は中学校1年生となり、今月末に13歳となります。

 身長もおばあちゃんや嫁さんをぶち抜き、私に迫る勢いです。 ワンチャン既に抜かされているかも知れません。

 まだまだ人生この先山あり谷ありで苦難の連続でしょうし、楽しい事や辛い事も沢山ある事でしょう。

 そして、いつかは大好きなおばあちゃん(パル母)とも別れの時は来ますし、必ず我々パル夫婦との決別の時も訪れます。

 私も子供達といつまで一緒に人生を楽しむ事が出来るか解りませんが、皆が元気なうちは、共に楽しみ、共に苦しんで、この素晴らしくも苦悩に満ちた人生を謳歌したいと思います。

私達夫婦を無事に育ててくれた両親に感謝。
子供達を無事に生んでくれた嫁さんに感謝。
我が家を選び生まれてくれた子供達に感謝。


 日々の感謝を痛感した、無敵の夜勤明けの一日でした。


最後まで読んでくださった皆様、有難うございます。
貴方にとって、今日よりも素晴らしい明日が訪れますように…


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パルサー君 私の拙い文章が貴方の心のどこかに引っかかったなら、お気持ちをお願いいたします。 頂戴したチップは、自分のモチベーション向上のために使わず口座に入れてニヤニヤします(笑) 人生思い通りにはならないが やった通りにはなる。