不確実性の航海術 #1|3時間の迷走 ─ なぜ、私たちは「地図」のない場所で立ち尽くすのか
「では、この件は一旦持ち帰りましょう。来週の定例で、また」
金曜日の午後、オンライン会議の画面越しにその言葉が発せられたとき、参加者全員が少しだけホッとした顔をするのを、私は何度も見てきました。
誰も傷つかない、大人の解決策。
けれど、会議室を出る(退出ボタンを押す)瞬間の、あの独特な「徒労感」の正体には、誰も触れようとしません。
私たちは薄々気づいています。
来週また集まっても、おそらく画期的なアイデアは出ないだろうと。
それでも、「時間をかけて考えれば、きっとより良い答え(正解)が出るはずだ」という希望にすがり、カレンダーの空き枠を探して、また1時間の「検討会」をセットする。
今日は、いつもより少しだけ腰を据えて、私たちが直面している「停滞」の正体についてお話ししたいと思います。
それは、個人のやる気や能力の問題ではありません。
私たちが解こうとしている「問いの種類」と、それを解くための「OS」が、致命的に食い違っているという、構造的な悲劇の話です。
思考の「限界効用」と3時間の壁
まず、少し冷徹な事実をテーブルに置かせてください。
私たちの業務設計の世界には、経験則に基づいたひとつの「限界値」が存在します。
それは、「机上で3時間以上悩んでも、アイデアの質は決して上がらない」という法則です。
ある課題に対して、集中して考え、資料を読み、議論する。
その時間がトータルで3時間を超えたあたりから、私たちの思考は「深化」することをやめ、同じ場所をぐるぐると回り始めます。
A案にはリスクがある、B案には予算がない、C案は前例がない。
ならばA案のリスクヘッジを……と、思考は円環を描き、ただ時間を消費していきます。
経済学に「収穫逓減の法則」があるように、思考にも限界効用があります。
3時間を超えてなお会議室に留まっているとき、私たちは思考しているのではなく、ただ「迷走」しているだけなのです。
なぜ、優秀な人たちが集まりながら、私たちはこの「3時間の壁」を超えてなお、悩み続けてしまうのでしょうか。
それは、私たちが「悩めば正解が出る」と信じている世界(TypeⅠ)と、今まさに直面している世界(TypeⅡ)が、まったくの別物であることに気づいていないからです。
2つの世界:TypeⅠとTypeⅡ
業務における「問題」は、大きく2つのタイプに分類されます。
この定義を理解することから、すべての解決は始まります。
TypeⅠ:技術的問題(Technical Problems)
これは、「正解」や「地図」が存在する世界です。
• 特徴: 過去に前例がある。マニュアルがある。専門家に聞けば答えが分かる。
• 求められる行動: 既存の知識やプロセスを適用し、最適化する。
• 評価基準: 「間違えないこと」「効率的であること」。
• 例: 経理処理、既存システムのバグ改修、定型的なオペレーション。
TypeⅡ:適応課題(Adaptive Challenges)
これは、「正解」がなく、「地図」も存在しない世界です。
• 特徴: 前例がない。状況が複雑で流動的。専門家も答えを持っていない。
• 求められる行動: 試行錯誤を繰り返し、新しいやり方を学習し、創り出す。
• 評価基準: 「早く試すこと」「変化に適応すること」。
• 例: 新規事業開発、DX(デジタルトランスフォーメーション)、組織風土の改革。
私たちが学校教育や、若手時代のトレーニングで徹底的に叩き込まれてきたのは、前者の「TypeⅠ」のOSでした。
そこでは、「止まって考えること」は正義でした。
地図を広げ、現在地を確認し、目的地までの最短ルートを割り出す。ミスをしないように、計画を入念に練る。
その慎重さこそが、優秀さの証明だったのです。
しかし、いま私たちが頭を抱えている会議のテーマを見てください。
「これからの組織はどうあるべきか」「AI時代にどんな価値を生むか」。
それらはすべて、後者の「TypeⅡ」に属しています。
ここは深い霧に包まれた原生林のようなもので、そもそも「地図」が存在しません。
道などなく、正解も落ちていません。
優秀な人ほど陥る「地図探し」の罠
悲劇はここで起こります。
私たちは、TypeⅡ(原生林)の真っ只中にいながら、手に持っているのはTypeⅠ(市街地)の道具だけなのです。
真面目で優秀なリーダーほど、この矛盾に苦しみます。
彼らは「地図がない」という事実に耐えられません。なぜなら、彼らの成功体験は「地図を正しく読むこと」で築かれてきたからです。
だから、彼らは部下にこう指示します。
「もっと精緻な計画を持ってこい」
「失敗しない根拠(エビデンス)はあるのか」
「他社の成功事例(地図)を探してこい」
そうして、存在しない地図を探すために、膨大なリソースと時間が費やされます。
3時間、3日、3週間。
会議室でどれだけシミュレーションを重ねても、霧の向こう側が見えるようにはなりません。
なぜなら、そこは「考えて分かる」領域を超えているからです。
TypeⅡの世界において、「正解が出るまで動かない」というTypeⅠの慎重さは、美徳ではなく**「リスク」**そのものです。
霧の中で立ち止まることは、遭難することを意味するからです。
思考のOSを書き換える
もし、あなたが今の会議やプロジェクトに「閉塞感」を感じているなら。
そして、「なぜ決められないんだ」と自分やメンバーを責めているなら。
一度、その荷物を降ろしてください。
進まないのは、あなたたちの能力が低いからではありません。
ジャングルの中で「道路地図」を広げて、「道が載っていない!」と嘆いているのと同じことが起きているだけなのです。
TypeⅡの世界に必要なのは、完璧な地図ではありません。
不確実な霧の中を歩くための、たった一つの「コンパス」です。
次回は、この「地図を捨てて、コンパスを持つ」という概念について、具体的に掘り下げていきます。
それは、「正解を探す」という呪縛から自分を解き放ち、不完全なまま一歩を踏み出すための、新しい航海術です。
会議室で議論が3時間を超えたとき、ふと思い出してください。
「私たちは今、思考しているのか。それとも、地図のない場所で地図を探しているだけなのか」
その問いこそが、迷走を終わらせる最初の灯りになるはずです。
(つづく)
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