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#問いの設計|部分最適と全体最適の摩擦

前回は、現場の個人が作り出す「自分最適」が、結果として組織の分断(部分最適)を生んでしまうメカニズムについてお話ししました。

「自分の仕事を楽にしたい」という純粋な生存本能が、隣の部署との壁を作ってしまう。 けれど、この壁を壊そうとして経営層や企画者が持ち出す「全体最適」という言葉もまた、現場にとっては暴力的に響くことがあります。

なぜ、正しそうな「全体最適」は、現場の「部分最適」とこれほどまでに摩擦を起こすのでしょうか。 今回は、この「正しさの衝突」の正体を、構造的な視点から解きほぐしてみたいと思います。


「部分最適」とは、現場の生存戦略である

まず、部分最適を「悪」と決めつけるのをやめてみましょう。

営業部門が「入力項目を減らしたい」と言うのは、顧客と向き合う時間を確保するためです。 経理部門が「1円単位で合わせたい」と言うのは、会社としての信頼を守るためです。

それぞれの視界(スコープ)の中では、彼らの主張は100%正しい「全体最適」なのです。 部分最適とは、視野の狭いエゴではなく、それぞれの持ち場で職務を全うしようとした結果生まれる「局所的な正解」の集積です。

「全体最適」もまた、偏った視点に過ぎない

一方で、経営層やシステム企画者が描く「全体最適」はどうでしょうか。

多くのリーダーは、自分たちの視点を「神の視点(絶対的な正解)」だと捉えがちです。 しかし、業務設計者の視点から見れば、それもまた**「上空から見ただけの、解像度の粗い正解」**に過ぎません。

上空からは、現場にある「泥沼(例外処理)」や「見えない溝(人間関係の機微)」は見えません。 見えていないものを無視して引かれた直線の道路(フロー)は、現場の実情と噛み合わず、必ず摩擦を生みます。

つまり、「全体最適」と言われているものの正体は、「経営視点というバイアスがかかった、もう一つの部分最適」でしかないのです。

「世間最適」という黒船(Fit to Standard)

さらに現代では、ここに第三の正義が介入してきます。 SaaSやパッケージシステムが持ち込む「世間最適(標準化)」です。

「このツールは、業界のベストプラクティス(標準)に合わせて作られています」 そう言われると、反論するのは困難です。 しかし、その標準はシリコンバレーや他社の思想で作られたものであり、自社の歴史や文化(コンテキスト)とは無関係です。

これを無理やり導入することは、Fit to Standard(標準への適合)という名のもとに、自社の身体性を切り捨てる痛みを伴います。 ここでもまた、「ツールの正義」と「現場の身体」との間で、激しい摩擦が起こります。

すべての正しさは「相対的」である

こうして整理すると、業務設計の現場には、絶対的な「正解」など存在しないことがわかります。

  • 現場の部分最適(現場の文脈における正しさ)

  • 自社的全体最適(経営の文脈における正しさ)

  • 世間的全体最適(市場の標準における正しさ)

私たちは、この「3つの正義」がぶつかり合う交差点に立っています。 これを乱暴に「どれか一つ」に統一しようとするから、しくみは破綻するのです。

大切なのは、「すべては相対的な最適に過ぎない」と認めること。 その上で、どの正しさをどこまで採用し、どこで折り合いをつけるか。 その「摩擦の調停」こそが、これからの業務設計者に求められる役割なのではないでしょうか。

次回は、この「終わりのない調整」の中で、どのようにして長続きするバランス(動的平衡)を見つけ出すのか。 その具体的な設計思考について、掘り下げていきたいと思います。


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