#業務設計者論|揺らぎの中に立つ ── 不安を「設計」の材料に変える
「本当に、これでいいのだろうか」
深夜、誰もいないオフィスで、あるいは消灯したリビングのモニターの前で。
新しく設計した業務フローや、導入を決めたシステムの構成図を眺めながら、そんな微かな震えを覚えたことはありませんか。
ITの言葉も分かり、現場の苦労も知っている。
両者の言葉を翻訳し、理想的な「しくみ」を描き上げたはずなのに、喉の奥に小さな石が引っかかっているような、拭いきれない不安。
実は、その「不安定さ」こそが、業務設計者がその場所に立っている証(あかし)なのです。
私たちは「境界線」に生きている
なぜ、私たちはこれほどまでに不安なのでしょうか。
それは私たちが、決して交わることのない二つの世界の「境界線」に立っているからです。
一方は、ロジックと効率が支配する「システムの領域」。
もう一方は、感情と慣習が渦巻く「人間の領域」。
システム側に振り切れば、論理的な正解は出せます。しかし、それでは現場の「納得感」は死に、しくみは形骸化します。
かといって現場側に寄り添いすぎれば、しくみは重力を失い、ただの「いい人」で終わってしまいます。
どちらにも染まりきることができない。
その「中途半端な場所」に立ち続けようとするから、私たちの足元は常に揺らいでいるのです。
不安は、納得感を探す「アンテナ」
業務設計における「不安」とは、能力の欠如ではありません。
それは、あなたが「システム」と「人間」の両方の価値を、等しく大切にしようともがいている証拠(シグナル)です。
「このボタンひとつで、現場の誰かの誇りが損なわれないか」
「この自動化によって、守るべき阿吽の呼吸まで消してしまわないか」
その迷いは、現場の人が抱く「このしくみで本当に大丈夫?」という言葉にならない不安と同期するための、大切なアンテナになります。
設計者が不安を忘れたとき、しくみはただの「冷たい装置」へと変わり果ててしまうのです。
揺らぎを「遊び」として設計する
もし、この不安定さを消し去ることができないのなら、いっそそれを「設計」の一部に組み込んでみてはどうでしょうか。
物理的な建築において、高層ビルが地震の揺れを逃がすために「遊び」を持つように。
しくみの設計においても、ガチガチの正解を押し付けるのではなく、運用の中で「揺れること」を許容する。
「現時点での最適解ですが、皆さんの違和感に合わせて、いつでも変えられる余白を残してあります」
そう告げる勇気を持つこと。
完璧な設計図を見せることよりも、一緒に迷い、一緒に調整していく「余白」を渡すこと。
その誠実な揺らぎこそが、結果として組織に最大の「納得感」をもたらすのです。
境界線の上で、共に震える
スキマに立ちながら、スキマに怯える。
それは確かに、滑稽で、孤独な営みかもしれません。
けれど、あなたがその場所で震えながら立ち続けているからこそ、断絶していた言葉が繋がり、死んでいた業務に血が通い始めます。
「今のままでいいのか」と問い続けるあなたのその瞳が、最も深く「しくみの本質」を射抜いているのです。
🍵 もっと深く「スキマ」を覗きたい方へ
この「不安定な立ち位置」をさらに掘り下げたい方は、以下の記事もあわせてご覧ください。
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#業務設計者論 |名前のない職能に輪郭を与える
(正体がないからこそ、何者にもなれる。その不安定さを肯定するための思考法です)
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切断の設計#5|すべての仕組みは腐敗する。だから「終わり」を刻印せよ
(永遠の正解を求めないことで、設計の恐怖心を「手放す」ためのヒントです)
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#業務設計者論 |しくみの狭間に立つ設計者のまなざし
(そもそも、なぜ私たちはこの「狭間」に立つ必要があるのか。その原点に立ち返ります)
