越境とは何か#2 | 業務設計者のOSにある“2つの視座”
第1話では、越境を「別の部署や領域への物理的な移動」ではなく、「視座の切り替え」として捉え直しました。
では、その切り替えは、いったい何と何のあいだで起きているのでしょうか。
業務設計者のOSには、常に同時に起動している2つの視座があります。
それは、後天的に身につける特殊な能力というよりは、「世界の見え方の初期設定」に近いものかもしれません。
■ 視座①|機能の内側から見る
ひとつ目の視座は、機能の内側から見る視座です。
その役割は、以下のような問いから始まります。
なぜ、現場はそのように動いているのか。
現在、何が彼らの最大の負荷になっているのか。
何を守るために、その一見すると非効率な手順が存在しているのか。
たとえば、手入力から抜け出せないエクセルの集計作業があったとします。
外から見れば「システム化すればいいのに」と簡単に言えることでも、内側に入り込んでみると、そこには「イレギュラーな顧客要望にどうしても応えなければならない」という誠実さや、「過去のミスを二度と繰り返さないための何重ものチェック」といった、切実な歴史が隠れていることがよくあります。
ここでは、マニュアル上の「正しさ」よりも、現場が抱える「そうならざるを得なさ」がくっきりと見えます。
業務設計者は、決して安全な場所から評価を下す評論家の位置には立ちません。
一度は必ず、その機能が持つ論理と感情の内側に入り込み、彼らの見ている景色を共に眺めます。
■ 視座②|構造の外側から見る
もうひとつの視座は、構造の外側から俯瞰して見る視座です。
内側で現場の痛みに触れたあと、ふっと視線を上げて全体を見渡します。
なぜ、その特定の役割にばかり負荷が集中しているのか。
なぜ、あるはずの判断がその部署の手前で止まっているのか。
なぜ、同じような摩擦が、違う担当者になっても繰り返し発生するのか。
ここで見ているのは、個人の能力の不足や、仕事に対する姿勢ではありません。
情報の「配置」、プロセス同士の「接続」、そしてシステムが前提としている「条件」です。
先ほどの手入力のエクセル作業も、外側から構造として見直すと、「前工程の入力ルールを一つ変更するだけで、後工程の集計作業そのものが消滅する」という歪んだ配置の事実が浮かび上がってきます。
同じ現象であっても、内側から見たときとは、まったく違う輪郭が立ち上がります。
■ どちらか一方では、設計は歪む
なぜ、この2つの視座が同時に必要なのでしょうか。
それは、内側の視座だけに立ち続けると、すべての改善が「もっと頑張る」「もっと気をつける」という精神論や個人の努力の話に着地してしまうからです。
一方で、外側の視座だけに立ち続けると、人の感情や現場の泥臭い文脈を無視した、冷たい「机上の空論」が出来上がってしまいます。
正論だけでは、組織の体温は下がっていくばかりです。
業務設計者が扱っているのは、そのどちらかの極端な正解ではありません。
内側に入って彼らの痛みを理解し、 外側に出て構造のバグを再配置し、 もう一度、内側に戻ってそれが彼らの日常に馴染むかを確認する。
この静かな往復運動こそが、設計としての越境なのです。
■ 越境は「間」を行き来する動作
ここで重要なのは、2つの視座の“どちらにいるか”という固定された立ち位置ではありません。
この2つの視座を、どれだけ自然に行き来できるか、という動的なプロセスです。
業務設計者は、現場という内側にも、システムや経営という外側にも、完全には属しません。
その「あいだ」という境界線に居続けることで、はじめて構造の歪みが立体的に見えてきます。
越境とは、この「間」をひたすらに移動し続ける、OSの挙動そのものです。
■ なぜこの視座は言語化されにくいのか
多くの場合、この視座の切り替えは業務設計者の中で無意識に起きています。
息をするように内と外を行き来しているため、本人でさえ「自分が今、何をしているのか」をうまく説明できません。
周囲の人々から結果だけを見ると、「あの人は現場の話が通じる人だ」「経営の全体像が見えている人だ」と別々の評価を受けます。
けれど実際には、評価されているのは単一の優れた能力ではありません。
内と外を摩擦なく繋ぐ、視座の往復運動が評価されているのです。
■ 視座が切り替わると、行為が変わる
視座の初期設定が変わると、自然と日々の行為が変わっていきます。
問題が起きたとき、誰か特定の個人に責任を帰さなくなります。
ルールそのものを疑うのではなく、そのルールが作られた前提条件を見るようになります。
いきなり完璧な解決策を押し付けるのではなく、まずは小さな接続点を探すようになります。
これらは「そうしなければならない」という意識的な態度ではなく、OSが自然に導き出す出力です。
越境とは、気合いを入れて行う特別な行動ではありません。
見えている景色が変わり、結果として行動が変わってしまう、視座の自然な状態なのです。
続きはこちら
■ 関連記事へのご案内
視座の切り替えや、境界に立つことの意味についてさらに思考を深めたい方へ。
業務設計者がなぜ「間」に立つ必要があるのか、その存在論について掘り下げたい方にはこちらの記事をおすすめします。
スキマから見える業務のかたち#1 |なぜ業務設計者は“境界”に立つ必然があるのか –
自分自身のOSや視座が、日々の見え方をどう変えるのかについて構造的に理解したい方には、こちらの記事が手がかりになります。
認知の設計図 #6|“視座”が変わると、同じ世界が違って見える –
内側と外側の視座を行き来し、具体的に「配置」を見直すためのハード設計(構造)に興味がある方には、以下の記事が実務へのヒントになるかもしれません。
なぜ、忙しい人ほど仕事が進まないのか─ 人・情報・ツールの「配置」が壊れているという話 –
配置の設計 #4|人が動く構造 —
