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自我を捨てる!自我には捨ててはいけない真の自我もあった

こんにちは。
西炎です。
今回は自我を捨てるということをテーマにしたいと思います。
自我というのはわかったようでわからないものなのですが、仏教あるいは世間でいう自我を捨てるということにはかなりの誤りがあります。
今回はサティパターナ瞑想をして捨てるべき自我(本当は捨てるのでなく勝手に自我は消えていくものです)と、確固たる確立するべき自我について経験談から書いてみたいと思います。

自我とは何か?

最近AIの開発がすごく進んでいます。
もともとコンピューター自体が人間の意識や脳の研究をすごく参考にしていると聞いていますが、ものすごく頭の良い科学者でも脳や意識の研究にはほとほと手を焼いているそうです。
それほど意識や自我というものは深く難しいものというわけですね。

今回は自我をテーマにしています。
自我には2種類あるといいましたが、まず1つめの物質的自我について少しまとめたいと思います。

まず人間には意識というものがあります。
たとえば近くで何かが落ちて大きな音がするとびっくりしてその方向を見てしまいますね。
これは

・聴覚が音を感知する
・その音の情報が潜在意識に届く
・その情報がさらに意識に届く

という順番で内部において連関した作動が行われているためです。
つまり意識まで音の情報が届くというのは客観的な現象であり、その後の音にびっくりしてしまうというのは主観といえるかもしれません。
なぜなら音がしてもまったくびっくりしない人もいるためです。
まず意識とはこのような本来客観的なものといえるわけです。

しかしお金が欲しい、良い仕事をしたい、人から評価されたいというような願望が人間にはあります。
こういう自我を自分で見つけることで、どこか自分に嫌気がして、そして自我って嫌だね~と思うときがきっとあるでしょう。
その積み重ねが自己嫌悪、あるいは自分が嫌いという結果になりますが、この状態が中年期以降に特に強くあり、シンプルにすごく運や人生を悪化させるわけです。
この結論は別の記事でもいいましたが、記憶が原因なんですね。
記憶の汚れは本当に人間を苦しめます。

人間の脳には記憶が格納される場所が複数ありますが、それをまとめてきれいにする動画を以前アップしております。
これで生きるのがかなり楽になるはずです。

意識は客観なのですが、それに主観である価値観やデータが乗るわけです。
スマホでいえばスマホというものは客観ですが、それに保存するデータが主観のようなものです。
それがウイルス感染しているデータだったり、あるいはエラーを起こす内容のものであればスマホが正常に機能しなくなることもありますね。
これと同様で人間の機能自体は客観なのですが、それに主観のデータがあるので苦しさを生むわけですね。
この主観を自我と呼ぶのだと思います。

真の自我とは?

ただし物質意識の最奥にはもう1つの真の自我が常時同じ状態で存在します。
我々はこれを霊(ガイスト)と呼び、それは真の生命そのものであると認識しています。
状態としては常時幸福に満たされた完全な機械のような意識です。
私は毎日仏陀が行ったいたとされるサティパターナ瞑想をするのですが、この瞑想とはこの真の自我と注意集中し、かつ一体化し、それによって対象である真の自我を体験し、理解することを目的としています。

ちなみにこの瞑想の方法はこの動画で説明しています。

私はこの真の自我を体験する上で最も強く感じるのはまるで機械のように正確に動く無意識のようだということです。
呼吸の裏にあるのがこの真の自我なのですが、

・宇宙創造の存在からの人間への理解
・幸福
・生命
・意識(無意識)

というのが本質ではないかと思うんですね。

仏陀の悟りと自我

仏陀はかつて菩提樹の下で非常に高度な悟りを開いたとされます。
その後の説法の解釈で、僧侶あるいは学者や小説家をひどく悩ませているのが

・自我を捨てる
・自我を求めよ

というように矛盾しているようなところがあることのようです。
私も仏陀についての本は好きでよく読みますが、これは矛盾していないんですね。
今回のテーマはここを言いたかったので書いているといっても良いほどで、物質的自我は捨てよ、しかし真の自我は求めよということを言っているわけです。
私は瞑想して数か月ほどしてこのことに気づきました。

ネットでもすべての自我は捨てよという記事を散見しますが、そうではなく真の自我という認識を求めないといけないものもあると理解していただければと思います。

自我の目覚めや芽生え

たまに自我が芽生えるのが非常に遅い年齢だったというようにいう人もいますね。
私は4歳ほどだったのですが、遅い人の話を聞くと実に不思議に思います。
この自我の芽生えのタイミングで何が起きているのか地球人はまだ知りません。
簡単にいいますと前世までの経験がインストールされた、あるいは連動した時期ということになります。

前世で亡くなると、彼岸への薄いエーテル状のカーテンを超えて向こうの世界におよそ3年ほどいます。
その間に前世の体験や記憶の整理が行われ、それが完了してくると物質的自我の想念インパルスの質の適合する両親の元に生まれてくるわけですね。
しかしまだ前世の経験などとは連動されていないので、ある意味で無意識に生きているような感じになります。
一日でいえば寝起きの後の数分間のようなもので、少ししてからそういえば前日にやらないといけないと思っていたことがあったと思い出したりして作業にかかりますね。
人生でもこういった時間が3年あるいは5年とあり、それを地球人は自我の目覚めと呼んでいるわけです。

自我が強いと人生は破綻しやすくなる理由

自我が強い、あるいは意見をしっかりと持っているというのは現代では褒められることかもしれません。
実は私は昔から意見がない人でした。
新卒で就職活動となり、

・金融機関
・コンサルティング企業
・総合商社

など受けていましたが、ネックになったのは意見がないことでした。
もう記憶も薄れていますが、当時は「グローバル社会で総合商社が生き残る条件を3ついいなさい」というような面接もあったかもしれませんが、私にはどうしても現実感のあるテーマに思えませんでした。
グローバル社会はいつか終わりを迎えるだろうし、そんな一時的な現象形態をテーマにするのは能力のない人が行うことではないか?というような感じだったので、そんなテーマで何の意味があるのだろうとどこか真剣になれませんでした。
その後、関税、あるいは今後気候変動などでグローバル社会の衰退が見えてきましたね。

今、子供がいれば総合商社は時代遅れなので就職しないほうが良いとアドバイスするかもしれません。

自我が強いというのは意見があるのでアメリカのような訴訟社会などでは通用しやすくなります。
しかしその意見はすべて根拠がないものです。
たとえば現行の法律では所有権という概念があるようですが、物質を所有することは絶対に無理ですね。
得るというのはすべて失うこととセットですので、宇宙では所有権というと不思議に思う方が多いようです。
つまりこの地球での法律の根幹の1つともいえる所有権も嘘なのですが、こういった指摘しきれないほどの嘘を含むものを前提にして意見を持つというのは非常に大きなリスクがあるわけです。

たとえばビジネス上で意見をしっかりと持っていたとしましょう。
私は興味がないのでその意見を思いつくことも難しいですが、ビジネスは特に変化しかありませんし、盛衰の動きも激しいです。
その意見に従い行動してきてそれまではビジネスで成功してきましたが、あるときを境に情勢の変化があり、その意見では通用しなくなることは少なくありません。
しかし人間はそれほど価値観を簡単に変えられないので、その後のビジネス人生は苦労の連続でしょう。

これはビジネスだけでなくすべての意見にいえることです。
意見を持つというのは意識が固くなることを意味します。
固いと変化や異質なものとの接触がうまくいきません。
また変化では固いほど苦痛を伴うわけです。
仏陀が捨てるべきといった自我とはこの意見のような意識を固くするものすべてだったと考えています。

自我は人間の存在理由でもある

物質的自我は実は人間にしかありません。
それゆえに考えるという行為は人間だけのものなんですね。
しかしすでに書きましたように考える、そしてその性質に応じた感情を抱くということで苦しみにつながるのも事実です。
私は昔、この流れが不思議でありませんでした。
なぜ人間は物質的意識があり、それゆえに絶対に考えて感情を抱き苦しみも出るので生きないといけないのかという構造に疑問がありました。

本当に物心がついてから28まで悩みがありましたが、あるとき師に出会うことで一瞬で氷解しました。

・人間とは不完全であるので肉体を持って生きている
・物質的に存在すると苦しみが大きい分成長も速い
・生きるとは考えることであり悩むこと
・その悩みの苦しみによって乗り越えるインセンティブになっている
・つまり悩むこと、苦しむこと自体にプラス面もあるということ

まとめるとこういうことでした。
その後、サティパターナ瞑想もするようになり、よりこの宇宙の法則に納得できるようになりました。
ですので自我で苦しむということは不完全であるためであり、それが嫌なら勉強しなさいということですね(笑)。

自我と個性

個性という言葉も最近よく疲れていますし、しかも良いことだと言われていますね。
正直いって地球のレベルに苦々しいと思いますが(笑)、上でいいましたように意見を持つのと同様に法則に反するものはすべて人間にいずれ苦痛をもたらすわけですね。

個性といってもいろいろとありますが、周囲の目を気にしない人という個性だったとしましょう。
一見するとプレッシャーにも強いでしょうし、良い面もあります。
しかし周囲の目を気にしないというのは逆にいえば観察能力や分析力がないことの裏返しであることが多いことを確認しています。
そのため

・独立すると成功率が非常に低い
・上司か会社と意見の相違が多く仕事が長続きしない
・離婚率が高い
・老後は孤独になる人が多い

という大きなデメリットがあるわけですね。
これは一例ですが、生活に細部にわたるまでもっともっとデメリットもあるでしょう。

仏陀も中道といっていますが、なんでも適当に良いバランスがないといけません。
これも法則ですが、適当に良い感じで人の目を気にしないけども、周囲のことはしっかりと把握していくということが必要だと思います。

自我とは幻!幻に気づく方法

自我というと固定的で、逃れられない強固なものであるというイメージの人も多いかもしれません。
しかし物質的自我というのは

・記憶
・経験

の蓄積した結果であり、固定的ではありません。
記憶というところで難しいのは前世の記憶や経験です。
地球では子供間で幼少期から才能に差があるいうことを不思議に思っているようですが、ごく当然のことですが前世の回数が違うだけです。
つまり物質的自我から遊離されるための前世の経験値に相当な開きがあり、ここはどうしようもない定めのようなものでもあります。
ただし今あなたがすごいと思っている人がいたとしても、その人も今の自分とまったく同じレベルの時期を生きていたことは絶対に確実なので、人をあがめずに自分の足元を見て生きれば十分というわけですね。

たとえばみなさんは細胞レベルで見ると瞬間ごとに状況は変わっているということを知っていて、かつ意識して生きていますか?
この記事をクリックして読み始めたときのみなさんはもう宇宙のどこにもいないわけですね。
自我も同様で、瞬間ごとに状況は変わっています。
年齢がいっても幼少期とあまり違わないなぁと思うときもあるかもしれませんが、人生でのいろいろなイベントを乗り越えている段階で少しずつですが成長しているわけですね。
もっというと指は脳の神経と深い関係があり、指を使うだけでも脳での経験値が増えていて、頭が良くなり、最終的に真の自我に迫っているわけです。

そういう意味で地球では給料通りの仕事をすれば十分だと誤った価値観が支配的ですが、給料以上に肉体を使って働くことは会社でなく自分のために行うべきことであるわけです。
その最大の対価は生きることが楽になるということです。
幸せに近づくので、これ以上の対価は宇宙のどこにもありませんね。

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