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悟りを開くとは?仏教経典から悟りを開く方法も説明します

こんにちは。
西炎です。
今回は悟りを開くことをテーマにしたいと思います。
悟りといえばどうしても仏教、あるいは仏陀を想起してしまいますが、仏典などからなるべく厳密に悟りについて説明したいと思います。

仏陀が悟りを開いたときの仏典 ウダーナ

仏陀が悟りを開いたときのことを仏典のウダーナで記録されています。

あるとき、お釈迦様はウルヴェーラーに住んでおられた。
ネーランジャラー川の岸辺にある菩提樹の根元で悟りを得てすぐのころ、七日のあいだ瞑想姿で坐っておられた。  
悟りの安楽を得たお釈迦様は七日が過ぎ瞑想から覚められて、夜の初めのあいだ物事が縁によって生起することわりを順に確かめられました。
これがあるからあれがある、これが生ずるからあれが生ずる。
すなわち、
無明(無知)を縁として、もろもろの行(業・意志)が生ずる。
もろもろの行を縁として、識知作用(識)が生ずる。
識知作用を縁として、名前と形態(名色)が生ずる。
名前と形態を縁として、六つの認識の場所(六処)が生ずる。
六つの認識を縁として、接触(触)が生ずる。
接触を縁として、感受(受)が生ずる。
感受を縁として、渇愛(愛)が生ずる。
渇愛を縁として、執着(取)が生ずる。
執着を縁として、生存(有)が生ずる。
生存を縁として、生が生ずる。
生を縁として、老と死と憂いと嘆きと苦痛と失意と葛藤(老死愁悲苦憂悩)が生ずる。
このように、一切の苦の集まりが、起こる。

これが仏陀の悟りの内容だったとされます。
この箇所、私も何度かわからないほどに読みました。
要するに無明をスタートとして、そこから苦悩がなぜ生じるのかについての縁(つながりのようなもの)を整理された状態で認識したということだと思います。

仏陀は四門出遊というきっかけによって出家、あるいは修行の道に入りました。
生まれること、老いること、病気になること、そして亡くなることについての迷いを解消させたいという思いがあったわけですね。
通常、現代人はこのような苦悩を普段まったく感じることもなく生活しています。
お金を稼ぐことなどで意識を麻痺させ、最奥からくる人間の真の使命の衝動を隠しているためです。
しかしあるときに自分の顔を見たり、あるいは病気になったときにはじめてそれを苦ととらえるわけですね。
あとは災害にあったときに、家を失い、途方にくれて、なぜ自分がこのような目にあうのかと思うわけです。
しかしこの世は無常の世界であり、得るとは失うこととすべてセットになっているわけです。
そういう意味で所有という概念は真実存在しないわけですね。
時間の流れはどの瞬間も機械よりも正確に進み、いつか人間を老いさせ、病気にし、そして死亡させます。
それは絶対に確実ですが、人間はそのことを何も考えずに、ただお金などの心配をして「生きている」わけです。

仏陀のこの縁について仏典は仏陀の死後数百年後などにまとめられているのでおそらく改ざんがあります。
ですのでサクッと書いてしまうと

・無明(霊的無知)の人間がいる
・そのために苦悩がある

という図式だといえます。
つまり悟りは無明を解くことを意味するわけです。
では無明(霊的無知)とはどういう意味なのでしょうか?

無明とは?

仏陀においては他にも非常に印象に残る言葉、あるいは概念を残しています。
これらを列挙することで無明のニュアンスもわかりやすくなります。

・無執着
・中道
・ニルヴァーナ

すでに記載しましたが、私がいる、あるいは私のものであるという思いこそが執着を生み、そして100%物質的なものは失う定めにあるのでそのときに苦しみを感じるわけです。
ですので無執着を重視するのは当然といえますね。

また中道も重要なテーマといえます。
中道についても繰り返し仏典で出てくるワードになります。

真理の体現者のさとった中道とは、それは聖なる八支よりなる道である。
すなわち正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。(サンユッタ・二カーヤ)

何かマイナスのイベントがあったときに、人間は普通それをマイナスと解釈します。
たとえば同僚が仕事のミスをしたときに、それをカバーしないといけないとしましょう。
しかもそのカバー作業に対して一切の賃金も発生しません。
このときに

・同僚への腹立ち
・会社への腹立ち
・さらに自分の運命へのいら立ち

なども感じてしまうかもしれません。
しかしそれらは自分の内的世界にだけ存在するものであり、この状況を客観的に観ればただ、あなたが同僚のカバーをする作業をしているだけです。
それに対して評価をするのではじめて上のようなマイナスの思考や感情が生まれるわけですね。
中道の究極の姿とは、プラスもマイナスも客観的にただ観察することにあります。
そうすれば一切の苦悩もそもそも発生しないわけですね。
結論からいいますと悟りとはこの客観的に観察をするという内的姿勢をとることがスタートでもあります。

ニルヴァーナというのはサンスクリット語で涅槃というように翻訳されます。
つまり死後や彼岸という意味ですね。
ここから仏陀の入滅という意味とする説もありますが、私はおそらく煩悩や迷いを断ち切り、真理を悟った状態を指すのだと考えています。

私はかつて仏陀が行っていたというサティパターナ瞑想を20年以上行っていますが、空というものを経験し、そして悟りについても本当にほのかですがどういうものかは理解しているつもりではいます。
ただし理解するのと、悟りを維持するのとはまったく次元が違うわけですね(笑)。

この瞑想の方法はこの動画で詳しく説明していますが、簡単にいえば想念を完全にストップさせて呼吸の音の鳴る箇所に注意集中するものです。
この瞑想をしていると

・日常の物質意識が完全に麻痺したようになることもある
・呼吸のみが世界に存在するような感覚になることもある
・意識が呼吸よりも遅れて作動することがわかる
・つまり物質的自我は生命に生かされているだけの存在だとわかる
・呼吸の奥に真の生命があることもわかる
・そしてその真の生命に集中しているときは幸せに満たされることもわかる

というようになります。

人間は霊(ガイスト)という純粋精神、純粋生命を保有していて、ここが全宇宙とつながっているとされています。
この霊が呼吸によって宇宙の電磁的生命エネルギーを受け、それによって人間は考え、そして生きることをはじめて行うことができるわけですね。
瞑想では呼吸の奥にあるこの霊に注意集中を行う、一時的に霊そのものになります。
このときにはじめて人間は霊とはどういうものなのかを勉強することができるわけですね。
それは私はおそらく幸せそのものだと思いますね。

人間は好きな異性から告白されれば嬉しく思います。
しかしそのイベントはきっかけにしかすぎず、もともと内部に霊において幸せというものがあり、それがきっかけによって幸福感として出たに過ぎないわけです。
故に人間はいつも幸せであるということがいえるわけです。

仏教ではこの世は苦であるとしますが、おそらくそうではないと思います。
この部分は私の瞑想体験と合致しません。
精神の最奥では常時幸せがあるのですが、人間の想念や感情がそれを覆い隠す時間が多いままに生きてしまっているというのが実際ではないかと思います。

人間は水に入ると泳げないとバタバタとします。
しかしそれは力みであり、力みこそが人間を沈ませる原因となります。
このときにもし力を抜いていればどうなるでしょうか?
そもそも人間は水で浮くように設計されているので沈むこともありません。
この逸話と非常に精神は似ていて、力み、流れに逆らうことでかえって幸せになれないと思います。

このくだりでは無知、無明、つまり霊的無知をテーマにしていますが、無知とはこういう事実の観察を内的にできていない状態を指します。
故に人間は苦しみ、自分から解放されることもありません。
無明とは文字通りに意識や精神が明かりがないことであり、暗いわけです。
しかし内的な知識という明かりがつくことで暗闇はなくなり、苦しみの原因を解き、苦悩を打ち負かすことができます。
これを悟りというわけですね。

悟りを開く方法

まだ地球では悟りについてよくわからない、意識もしていない、必要とも思えないという人ばかりだといえます。
しかし結論からいいますと悟りとは仏陀のような特殊な人だけが獲得するものではなく、人間である限りいつかは全員が到達しなければいけないものです。
人間とはそのために生きているわけですね。

悟りとはどうすれば開くことができるのでしょうか?
悟りというのは自己への客観視でもあります。
地球人は自分というものがあり、それとともに生きるということを信じて疑いません。
しかし

・意識はそもそもただの入れ物である
・意識自体は客観的である
・記憶、経験、想念が主観的である
・意識に想念が到達し、想念と一体化することで主観的人間となる

このようになっていて、悟りとは想念や意識を客観視できるようになることです。
地球人がやっている自分と一体化するのでなく、自分という意識や想念を遠くに観ること、そして見下ろすような感覚を持つことでもあります。
これには自分と内的距離を取れるようにならないといけないので、そのために仏陀なども瞑想をしてきたわけです。
ただし瞑想といっても地球で提唱されているものは危険なものも多く、真の人間の目標からかえって遠ざけるものもあるのですごく注意してほしいですね。

・呼吸をコントロールしようとするもの
・呼吸を意図的に操作するもの

などは特に注意です。
ヨガなどで悟りを開く以外の、たとえば金運アップ、健康になるなどの目標であれば良いですが、悟りを開く目的であればまったく見当違いの手法となります。
上でもいいましたが、力を抜くことがすべての正解であり、意識の力を抜き、自然の呼吸を観察し、呼吸のリズムと一体化する感覚が自分から離れる行為といえます。

自分と内的に距離を取れるので、自分のことを真に理解でき、そして自分の過ちも理解でき、賢くなり、内的知識を獲得できるわけですね。
内的な距離をとるにはその姿勢を強制的にとる正しい瞑想が必要で、一種の内的な姿勢矯正ともいえるのかもしれません。
重要なので何度もいいますが、悟りとは正しい瞑想が必須となります。
それ以外に絶対に道はありません。

悟りと感情。感情はなくなるのか?

よく質問されるのですが、悟りを開くと感情はなくなるのですか?という疑問があります。
私も瞑想をしたころはそう思っていましたが、実際に覚者を知るようになって思うのはむしろ感情が豊かになるようです。
ただし違うのは自分中心の感情というのは少なくなるようですね。

・怒り
・イライラ
・不安
・心配

などが地球人に非常に多い感情だと思います。
たとえば自分の将来が心配で不安にさいなまれる、あるいは友人と待ち合わせをしてなかなか来ないのでイライラするなどですね。
賢者はこういう感情は少ない気がします。
たとえば

・地球のカルト宗教に危機感を抱く
・地球の教育の質に心配する

など自分でなく世界に対して感情を抱くという感じが多い気がします。
これも上でもいいましたように自分中心という意識のフォーカスが緩まるので、自分回りの感情が減っているという現象だといえます。

また少し考えてほしいのですが、悟りを仮に開いていてもただの人間には違いありません。

・排泄もする
・痛みも感じる
・病気にもなる

ですので感情を完全になくすなどありえません。
感情はその性質に応じた未来をその人間に引き寄せる道具でもあります。
その意味は自分の思考や感情の間違いに気づかせるということなので、悟りといった段階でそれをなくさせることを許せば、もはや人間として生きる意味もありません。
故に感情をなくすことはないわけです。

悟りの階梯と前兆

悟りには階梯も当然あります。
そもそも解脱というのは肉体を持たなくなることですが、この段階は相当長い年月が必要となります。
およそ800億年生きることが必要とされます。
最初の悟りは100億年生きることが最低必要とされ、地球人はまだ10億年も生きていない人がほぼすべてです。
ですので悟りというのは地球ではまだまだとわかります。
階梯を気にする必要もないですね(笑)。

前兆についてですが、このように非常に長い年月がかかるものなので前兆などあるはずもありません。
ただ生きるのが楽になったと感じていくことを積み重ねていけばいずれ悟りにということになります。

ちなみに有史以来で数えても悟りを開いた人は10人をやや超える程度です。

・マホメット
・イエス・キリスト(本当はイマヌエル)
・仏陀

などですね。
これらの賢者の前にも数人いた程度です。
これらは別名預言者で、地球にまだ浸透していない事実、つまり内的観察などが重要であることを伝えるために地球でかつて生きた方々となります。

悟りは1つ

宇宙は1つです。
ですので個人ごとに違う悟りというのはありません。
ここ勘違いしないでほしいですね。
人の数ほど悟りがあるという人もまれにいますが、それはただの物質的経験上の認識ですごく浅い話です。
悟りのレベルとは、

・人間とは自然である
・人間は生きることが目的である

というものすごく深い根幹的なレベルのものであるので、たとえば人間は自然ではないというような違う悟りは存在しないということです。
もし人の数ほど悟りがあるのであればこの瞬間に宇宙は崩壊するはずです。

悟りと運命

よく賢者ほど貧乏であるとイメージされますが、これは完全に間違いだと思いますね。
むしろ内的知識がないほど人生は安定せず運は悪いです。
預言者のレベルの人はたしかにキリストのように大きな試練をあえて受ける(これも事前に把握していてあえて避けなかったようですが)こともありますが、ここまででなければ悟りに近いほど運や人生は安定し、かつお金持ちになれます。

たとえばこのnoteでもフォロワー数に固執している人を多数みかけます。
実際にフォロワー数を増やす方法の有料記事を書いていて、かつそれを誇りに思っていて、自分よりもフォロワー数が少ない人を見下している人も散見されます。
しかし無常なので、基準が変わるかもしれませんし、グーグルの検索の基準が大きく変わり、その後フォロワー数が増えなくなり、大きな絶望を感じる可能性もあります。
このときにまず起きるのが、無力感と、将来の不安、そして何もする気がしなくなるという虚無感ですね。
しかし無常を内的に知っていればそもそもフォロワー数に固執しませんし、変動後もそう精神的変動もありません。
もっといえばnoteにだけ注力しないで他のSNSでも大きな影響力を持つように手を打っているとも思います。
こういうことで

・まず未来を見通している
・変動でも精神的には変動させない
・そのためすぐに次の動きが取れる
・もしくはすでに手を打っている

ということで運命も精神も安定しやすいわけですね。
地球人はまだネガティブイベントに固執してはいけないと知っていますが、ポジティブイベントにも固執してはいけないとはあまり知りません。
すべてのイベントは無常なので一時的な現象形態にしかすぎません。
起きた瞬間にすべて忘れないといけないのです。

お金に関してはもうわかりますね。

・そもそも頭が良い
・未来がわかるので投資などでも成功できる

ということでお金持ちにもなりやすくなります。
そして賢者ほど徳を積んでいるので、これも運命が安定しやすく、かつ上昇しやすい要因となるわけですね。

このあたりの記事や教材でこの徳についてはすでに書きましたね。
自己本位で生きる人はたとえ一時的に成功してももろいものです。
嫉妬も買いますし、恨みも買いますし、さらに未来に良い種をまいていないのでそれ以上上がる推進力もありません。

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