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豊臣と現代(8):地獄を逃げまどう一般市民と戦国のゲルニカ(後編)


はじめに

前編では、『大坂夏の陣図屏風』に描かれる避難民の惨状に触れました。



後編では、彼らが直面した「乱妨取り(掠奪行為)」を通じて、当時の現実を考察します。


乱妨取りという経済活動

屏風を仔細に眺めると、あることに気づきます。

それは、避難民が目指す京へのルートの先々や、体力を奪われる川渡の先々に、掠奪者が待ち構えていることです。

掠奪者にとっては合理的なやり方ですが、避難民にとってこれほどの仕打ちもなかったでしょう。


しかし、掠奪者は兵士や盗賊ばかりではありませんでした

慶長19年(1614年)冬、大坂で戦争が始まるとの噂が広まると、近隣の百姓たちは「出稼ぎ」に殺到したといいます(※補1)。
翌年、夏の陣の前にも、家康は奈良の住民に「(豊臣方の)家来に雇われた者は子や親類まで成敗する」と脅しをかけています(※補1)。


戦場では食料や家財、人間を容易に奪うことができます。
掠奪品のまわりには、それを売り買いする人々も集まってきます。

戦場は戦いの場であると同時に、突発的に立ち上がる熱い経済圏でもあったのです。


人さらいと幕府

幕府の対応

屏風には、三つ葉葵の紋をつけた兵が避難民をさらう姿が複数描かれています。

図1 徳川兵に捕まる豊臣方武家の女性たち 左隻3扇中段模写


しかし、人の掠奪は幕府にとって大きなデメリットでした。

労働力が流出すれば、村の生産力が不安定になる。
人間の移動を統制できなくなれば、社会秩序が脅かされる。

ゆえに幕府はこれを厳しく取り締まりました。


夏の陣終結直後の元和元年(1615年)5月12日、早くも「落人改(おちうどあらため)令」が発布されます。
ここには「戦場外での人取りは無効とし、速やかに帰せよ(※補2)」という内容が含まれます(※補1)。

平戸のイギリス商館長リチャード・コックスは、元和2年(1616年)4月30日付で、戦後に人身売買を行った日本人200名が大阪で死刑に処された旨を記しています(※補1)。

さらに同年10月の「定」九か条では、人身売買を止めること、それが行われた場合は売り損買い損とすること、売主は死刑とすること、売られる者は元の場所に帰すことなどが明確にされています(※補1)。

この禁止令は、戦後処理のための時限立法です。
当時、戦場でさらわれた人間が日常の街角で売り買いされていた可能性がうかがえます。


さらわれた人々のその後

さらわれた人たちの行く末は、ほとんど闇の中です。

夏の陣で捕らわれた幼い姉弟が10年後に仙台・伊達家で使われていた話がわずかに伝わる程度。
多くは遠くへ売られ、富家などの下人となったのかもしれません。

中には転売された末に、ポルトガルの船に積まれて、東南アジアに送られた人々さえいました。
皮肉にも、それらの記録はかなり確かな形で残されています(※補1)。


なぜ黒田長政は「地獄」を残したのか

この屏風は、黒田長政が夏の陣参戦記念として戦後に注文したものと伝わります。(※補3)


冬の陣では江戸城警備役とされた彼にとって、参戦は格別な喜びだったことでしょう。

それでも左隻のほとんどは、避難民の地獄絵図で埋め尽くされています。
徳川に楯突く意図などなかったはずなのに、絵師にこれを描かせたのはなぜか。


戦いのさなか、長政は、自分たちとは無関係な争いに巻き込まれ、なす術もなく踏み潰されていく民衆の姿を数限りなく目撃したはずです。
その心中にはどんな思いが去来したでしょう。

いずれにせよ、二度とこのような事態を繰り返さないための教訓として、この形で残そうとしたのかもしれません。


おわりに

400年前の人々は、「なぜ何もしていないのにこんな目にあうのか」と強く感じたでしょう。
もし私たちが同じ目にあっても、同じように感じるでしょう。


当時と現代では大きな違いが一つあります。
それは「主権在民」──民衆が政治に自らの意志を反映させられるということです。


いま私たちは、自らの手で自らの未来を選ぶことができる。
しかし、その足元は揺らぎつつあります。

グローバル化によって社会の境界が失われ、社会を支えていた共有概念も、自分自身を支える足場も、すでに大きく失われている


そのとき人々はどうなるか。

声の大きい人間や、分母が大きく単純な標語に身を委ねるようになるでしょう。(※補4)



この「戦国のゲルニカ」は、決して遠い昔の悲惨な絵ではありません。


すでに地獄の入口を踏み越えてしまった私たちへと向けられた、切実なシグナルなのです。


補足:

※1 藤木久志『雑兵たちの戦場:中世の傭兵と奴隷狩り』朝日新聞社〈朝日選書 777〉、2005年

※2 原文は「今度、男女濫妨、大坂より外のものをば、異儀なく帰せ」

※3 渡辺武『戦国のゲルニカ:「大坂夏の陣図屏風」読み解き』新日本出版社、2015年

※4 エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』で、不確実な時代に人々が自由の重荷から逃れ、全体主義や強い指導者にすがろうとする心理を論じている。


人物評伝シリーズ:

− 秀吉編 天下人となった男は、なぜ晩年に自壊していったのか

− 茶々編 世継ぎ誕生という慶事は、なぜ豊臣家を地獄へ導いたのか

− ねね編 賢夫人と呼ばれた女性は、実際は何と向き合い続けていたのか

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