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豊臣と現代(2):共有概念なき社会の限界 ─ 母の人質と境界の消失

はじめに

過去の出来事は、常に現代を読み解くヒントをはらんでいます。

このシリーズでは、豊臣の史実を起点に、いま私たちが直面する問題と病理を考察していきます。


第一回では、「共同体の共有概念が、外部者につけこまれる構造」について述べました。

第二回では、その裏側──「共有概念を失った共同体が崩壊する構造」について考えます。


どの世界にも属さない男

豊臣秀吉は、農民として生まれ、武士として出世し、最終的には関白として天下人になりました。


しかし、そのどこにも完全には属していなかったのかもしれません。

常に共同体のルールを外側から俯瞰し、自在に利用していたように見えるからです。


このあり方は、まさにトリックスターそのものです。


【トリックスター】:神話や民話に登場する、人外や道化のような存在。秩序や境界を横断し、ときに攪乱する者。

本稿では、「その集団の論理に魂を縛られていない、例外的存在」という意味で用いる。


そうした側面は、自らの母を人質として差し出した一件にも表れています。


母の人質という政治技術

信長の死後、勢力を急速に拡大した秀吉は、周囲の強い反発を招いていきます。

天正12年(1584年)、織田信雄と徳川家康らは、秀吉包囲網を形成。

これが天下統一の分水嶺となった、小牧・長久手の戦いです。


戦場では家康が勝利したものの、秀吉は政治工作で信雄と単独和睦。

家康は戦う名分を失います。


睨み合いが続く中、天正13年(1585年)、秀吉は関白に就任します。

揺るぎない大義名分を盾に、上洛して臣従を示すよう家康に迫りますが、彼はこれに応じません。

行けば殺される可能性があったからです。


秀吉は、まず自らの妹・朝日を嫁がせました。
これは家康が懇望した縁談だったとも言われます。(※補1)

それでも家康は動かない。


すると今度は、「朝日の病気見舞い」という名目で、病身の老母・大政所を家康のもとへ送ります。

もちろん、これも人質です。

さしもの家康も、これには腰を上げざるをえず、ついに秀吉の命に従いました。


越境の自由とその限界

実は、この人質は圧倒的に不公平です。


秀吉が家康を殺さない限り、人質が害される可能性はまずありません。

リスクは低いが、リターンは高い。

一方、家康が彼女たちを手にかければ、ただちに自身の面目や政治的正統性を失い、孤立します。

リスクは高く、リターンは皆無です。


このような人質は、本来「禁じ手」だったはずです。

人質はただの駒ではなく、互いの信義の象徴。

大義名分なく殺せば、武家社会での立場を完全に喪失するからです。


共同体にとってルールは神聖なものであり、ゆえにタブーが存在します。

秀吉はそれをただのシステムとみなしていたからこそ、タブーを"バックドア"として利用できました。


家康は当然ルールを守り、結果として秀吉の望みが達成されていく。


もっとも、この「奇策」が成立した理由は、策そのものが優れていたからではありません。

それについては、最後で触れることにします。


家康の「持続」の思想

秀吉は「目の前の政治ゲームに勝ち続けること」に軸足を置き、個人の才覚とカリスマに頼るシステムを構築しました。

しかし、それは本人が不在になった瞬間、急速に安定を失います。


対して家康が志向していたのは、「長期的な秩序の維持」でした。

彼は、誰が政権を担っても組織が回る、イレギュラーを排除したシステム(※補2)を構築していきました。


その基盤には、「家」という武士の共有概念がありました。

「家」は一代で終わるものではなく、子孫へ継承すべきものです。

その枠組みと、その価値観を共有する集団があれば、当主個人の失敗があっても、「家」を存続させることができるのです。


かくして、豊臣政権は秀吉の死後15年で崩壊し、徳川政権は家康の死後251年続いたのです。


現代という境界なき社会

ところで、共有概念とはなんでしょう。

古臭いルールと見なされることもありますが、それは違います。


人が肉体を持ち、他者が存在する限り、どうにもならない現実は生み出され続けます。

そうした不条理と格闘してきた無数の人々の蓄積こそ、共有概念です。


そこには幾世代もの試行錯誤を経て磨かれてきた倫理や哲学が含まれます。

それらは「いま、ここ」を生きるための判断基準であり、いわば人の支柱そのものなのです。


ただ、継承には大きなコストがかかります。

時間も必要だし、伝える側には経験や視座も求められます。


しかし現代社会は、合理化と効率化の中で、維持コストの高いものを切り捨てていく。

共有概念は、その筆頭でしょう。


その一方、グローバル化は境界を薄くし、デジタル化は、人間の処理速度を超えて情報を増殖させ続けています。


境界が曖昧になれば、自分が何者なのか分からなくなる。

情報が増えすぎれば、何を基準に判断すべきかも分からなくなる。


だからこそ人は、自分を支える倫理や哲学を、より必要とするようになります。

ところが、それと同時進行で、それらは失われているのです。


すると次には、より手早く、より単純で、より分かりやすい帰属先を求める傾向が強くなるでしょう。(※補3)

しかしそこには長い時間をかけた蓄積はありません。

せいぜい、不安を一時的に誤魔化す程度のもの。


そしておそらく、人は二つの道へ分かれるでしょう。

一つは、よりインスタントな帰属先を求めていく道。

もう一つは、より強固な境界を引き、他者を排除することで相対的な拠り所を作り出す道。


どちらの先にも真に帰属できるものはないはずです。

十分な支柱を育てられるだけの蓄積がないからです。


もっとも恐ろしいのは、その状態が次世代へ継承されていくことです。

支柱を十分に持てない人間は、十分な支柱を手渡せない。

世代を経るごとに、それは目減りしていくのです。


おわりに

最後に、秀吉による「ハック」の答え合わせをします。


それが成功した本当の理由は、「彼以外の全員がルールを守っていた」からです。


確かに彼は天才でした。

しかし、これを知略と呼べるかどうかは、また別の話です。


現代では、ルールが急速に失われつつあります。

つまり「なにを基準に考え、何を行うか」を互いに読めない人間が、どんどん増えていくということです。


いずれ、世の中が秀吉だらけになった時──何が起こるか想像するのはそう難しくないでしょう。


補足:

※1 河内将芳著『図説 豊臣秀長――秀吉政権を支えた天下の柱石』戎光祥出版、2025年

※2 「武家諸法度」など。

※3 その共同体の母数を小さく取れば「推し」や「界隈」であり、大きく取れば国家・民族・思想などになる。
後者は本来、長い時間をかけた蓄積を内包するものだが、ここで求められるのはその外形であり、内側が引き継がれるとは限らない。


次回:


参考記事:似たようなスタンスで人物評伝書いてます。こういうのお好きな方、ぜひ!

− 秀吉編 天下人となった男は、なぜ晩年に自壊していったのか

− 茶々編 世継ぎ誕生という慶事は、なぜ豊臣家を地獄へ導いたのか

− ねね編 賢夫人と呼ばれた女性は、実際は何と向き合い続けていたのか


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