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“安くて便利”の時代に人間だけが安売りされる理由

本noteはシリーズ『怒りから始める哲学エッセイ』の第1弾です。

Vol.1 “安くて便利”の時代に人間だけが安売りされる理由
Vol.2 “空気”が民主主義を殺した日
Vol.3 怒ることが、なぜこんなにも怖いのか?
Vol.4 「頑張れば報われる」は誰のための言葉か?
Vol.5 その光は誰を照らし、誰を見えなくしているのか?
Vol.6 私は誰かの怒りを、笑っていなかったか?
Vol.7 感情を捨てることで、何かを守っていないか?
Vol.8 なぜ私たちは、“普通”に苦しめられるのか?
Vol.9 沈黙に加担しないために - 怒りを手放さずに生きる術



序章:


私たちは「安くて便利」を求める社会に生きている。
安いものを選び、便利なサービスを使うことが、当たり前になった時代。
だけど、その裏側で何が起きているのかを、私たちは見ようとしない。
いや、見えているのに「そんなものだ」と受け入れてしまっている


例えば、コロナ禍でのエッセンシャルワーカーへの感謝の言葉。あれは本気だったのでしょうか?


海外の「フェアトレード」を礼賛しながら、目の前のコンビニ店員、介護職、保育士、教師、清掃員といった人たちには「安い給料で当然だ」と思う。


そんな二枚舌を、私たちは持っている。



第1章:「誰でもできる」は本当か?


例えばコンビニの仕事。
レジ打ち、品出し、宅配便の受付、公共料金の支払い、コピー機の対応、揚げ物の管理…。
あれが誰でもできる仕事だろうか?


もちろん、業務内容はマニュアル化されている。でも、実際にそれを一人でこなし、トラブルにも対応し、時には理不尽なクレームに耐える。
それは決して「誰でもできる仕事」ではないはずだ。
にもかかわらず、私たちは「コンビニ店員は時給1000円で十分」と思う。


それは、自分たちが安く利用したいから
安く使えるためには、その人の価値を低く見積もる必要がある。
だから「誰でもできる仕事」だと無意識に思い込もうとする。



第2章:エッセンシャルワーカーへの二枚舌


コロナ禍では「医療従事者の皆さんありがとう」「介護職の皆さんありがとう」と言われた。テレビもそれを積極的に流していた。
でもその感謝の言葉は一瞬で、終わった後には元通り。
介護職の待遇は低いまま、保育士の賃金も上がらず、看護師への負担も放置されたまま。


海外では介護職が好待遇で雇われている国もある。
人間のケアをするという高度な仕事に対して、きちんと価値を認め、報酬を出している国もあるのに。


では、なぜ日本では変わらないのか?
それは「自分たちが安くサービスを享受したい」から。
そして「声を上げない国民性」がそれを許しているから。



第3章:「自己責任」の呪い


「待遇が低いのは、その人の努力が足りないから」
「誰でもできる仕事しかしていないからだ」


そんなふうに切り捨てる空気が、この社会にはある。
でも、この状況は個人の努力でどうにかなる話ではない。


制度を変え、仕組みを整え、社会全体で支える必要がある。
それなのに、私たちは「自己責任」という言葉を振りかざし、無関心でい続けようとする。



結び:声を上げない私たちの責任


本当は、変えられるはずなんだ。
政治も、制度も、社会のルールも。


でも、私たちが声を上げなければ、何も変わらない


「誰かがなんとかしてくれるだろう」という他人任せでは、ずっとこのまま。
安くて便利の時代の中で、人間だけが安売りされ続ける未来が続くだけ。


だから問う必要がある。
「この社会で、人の価値をどう扱うべきなのか?」
「私たちは、何を許し、何に抗うべきなのか?」

その問いを忘れずにいることが、小さな抵抗であり、未来を変えるための第一歩なのだと思う。


そして、やはり行動が伴わなければ変わらない。
まずは、選挙に行くことくらいはしよう。
世の中で起きていることを知るための時間を、少しでも持とう。


決して、あなたと無関係ではないのだから。


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